ミルククラウンを戴く
□初めての魔法界
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時は過ぎ、8月の終わり。明日からのホグワーツ入学を控え、私はイギリスからの迎えを待っていた。
こちらの時刻は既に夕方。向こうでは朝食を終え、8月最後の一日をそれぞれ過ごし始めた頃だろう。
私は孝太郎と2人、夏休みの課題と新学期の準備の最終確認を終え、ホグワーツの話をしていた。私のホグワーツ行きを知っているのは、この国ではごく僅か。父と母、兄、じいやとばあや、そして幼馴染の孝太郎だけ。
「今日から学校が始まるのか?」
「いいえ、明日からよ。今日は準備に行くの。制服とか教科書とか、揃えないといけないらしいわ」
「なら、明日は……」
「休むのか」と続けた孝太郎に、再び首を振って答える。
「行くわ。新学期の汽車は11時発と言っていたもの。学校が終わってからでも間に合うし、これは私なりのけじめだから。両方に通うと決めたんだもの、可能な限り、片方を蔑ろにすることはしたくないの」
「そうか。頑張れよ」
「ええ、ありがとう」
ホグワーツ入学後は自室と繋がる予定のリビングの暖炉は、夏の休暇中はロンドンにある漏れ鍋というパブに繋がるようになるらしい。最もまだ自室のない段階なので、今はそのパブにしか繋がっていないのだが。
その時、目の前の暖炉から緑色の炎が上がり、全身黒づくめの男性が現れた。
男性にしては長めの黒髪、黒いローブ、その下にはいくつものボタンがついた服、自然と寄せられた眉間の皺。間違いない。ホグワーツの魔法薬学教授、セブルス・スネイプその人だ。
『……ミス・ミズシマですかな?』
『はい』
スネイプは私たち2人を一瞥して、そして少しだけ驚いたような顔をする。けれど事前に性別を聞いていたのだろう、迷わず私に話しかけた。
『我輩はセブルス・スネイプ。ホグワーツで魔法薬学を担当している』
『スネイプ先生ですね。アカネ・ミズシマです。よろしくお願いします』
まだ組分けされていないからかもしれないが、知識として知っていたセブルス・スネイプよりも気持ち当たりが優しい気がした。
『今日は君の学用品を用意するよう校長から言われている。着いてきたまえ』
『わかりました』
側に用意して置いたカバンを持って、孝太郎を振り返る。すると、先程までいなかったじいやとばあやも見送りに来てくれていた。
『スネイプ殿、お嬢様をよろしくお願い致します』
『ああ』
「お嬢様、お気をつけていってらっしゃいませ」
「ありがとう、じいや、ばあや。……それじゃ孝太郎、行ってくるわ。また明日」
「ああ、また明日」
3人に別れを告げて、スネイプを見上げる。
『お待たせしました』
『ミス・ミズシマ、煙突飛行粉の使い方は知っているか?』
『はい、大丈夫です』
フルーパウダーによる煙突飛行は映画でよく見たシーンであるし、先日、ダンブルドアが帰り際に説明してくれていた。ついでにと、粉の入った壷を暖炉の上に置いて行った。
『そうか。では先に行け。目的地は"漏れ鍋"だ』
『はい、先生』
暖炉に上に置いてある壷から、きらきらとした粉を掴んで暖炉に投げ入れた。
『漏れ鍋!』
暖炉から緑の炎が立ち上り、私の声を引き金に景色がクルクルと回って行く。そうしてしばらく、目に見えない力によって、私は暖炉の外へと投げ出された。
『わっ……!』
初めての煙突飛行。もちろん体がそれについていけるはずもなく、ドサっという音と共に床に伏すことになった。
私の後、平然と暖炉から出て来たスネイプ。彼は立ち上がり服を払う私に構わず、スタスタと店の奥へと進んで行く。
「あ、待ってください!」
ここが、漏れ鍋。映画で見た景色と相違ない店内を堪能する間もなく、日本から着けてきたデュアルタイムの腕時計が正常に作動していることだけ確認して、私は慌ててその背中を追いかけた。
煉瓦の壁が杖で叩かれ、開いたゲートの向こう側。そこには、幼い頃、夢にまで見た魔法の世界が広がっていた。
裾の長いローブに、とんがり帽子の男女。宙に浮く箒や雑貨、ペットショップのふくろう、見たこともない奇妙な品々。
思わず、自分の精神年齢を忘れて魅入ってしまう。競技用の箒を扱う店に新商品として「ニンバス2000」が飾られているのを見て、やはりと時間軸を確認した。
「ミス・ミズシマ。置いて行きますぞ」
「すみません、今行きます!」
少し先に進んでいたスネイプに追いつくと、「まずはグリンゴッツだ」と言われ銀行へ向かった。
予め円から換金しておいたポンドを、更にグリンゴッツ魔法銀行でガリオンに換金する。2重の換金が必要で面倒なことは否定できないが、こればかりはどうしようもない。
それから、スネイプと共に学用品リストに倣ってそれぞれの店を回った。制服、教科書、大鍋や薬材、そして杖。必要な品々を全て揃えた時には、既に昼を回っていた。
「スネイプ先生、お付き合いいただきありがとうございました」
「我輩は校長の命で動いたまで」
「それでも、助かりましたから」
買った学用品を焦げ茶色のトランクになんとか押し込む。本当はもっと色々な本や薬材を物色したかったのだが、明日、特急に持ち込む荷物のことを考えたら限界だっただろう。
とりあえず、入学準備は整った。日本はそろそろ寝ても良い時間になっているし、帰ろうかと考えていると、隣から視線を感じた。
「……スネイプ先生?」
「……薬学に、興味があるのか?」
それは意外な問いだった。けれど、私の中で既に答えは出ている。薬材を買っている時、店中をこっそり物色していたことに気づいていたのだろうか。
「はい。父と母は、薬を開発する仕事をしているんです。私も幼い頃から見てきましたから、魔法薬学はとても楽しみです」
「ほお……」
「もちろん、他の科目も同じくらい楽しみですけどね。……学期中、質問に伺っても構いませんか?」
「……他が疎かにならない程度ならばな」
それは、是との返事と捉えて良いだろうか。了承と、それから今日の付き添いと。二重の意味で礼を言って、私はフルーパウダーを暖炉に投げ入れた。