プラネタリアの結晶

□再会
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事情聴取も終わり警視庁を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
ボウヤに絡まれていたせいで事情聴取の順番が遅くなり、まだ残っているのはあのボウヤくらいだ。彼は刑事と知り合いのようだから、最後に残して刑事たちが送ってでも行くのだろう。

さて、ジャックにあったばかりだしバスは避けるとして……電車か、タクシーか。徒歩でも帰れないことはないけれど。
帰る手段を考えていたら、横を通った車が急に減速して隣に並んだ。そのままサイドウインドウが開く音が聞こえる。

「送って行こう」
「? ……結構よ」

横目で確認した運転手の顔は、今日のバスジャックで隣に乗り合わせたニット帽の男性のものだった。外車なのだろう、左ハンドルの車の運転席は随分と歩道に近い。
彼の誘いは当然断った。今日が初対面だし、そもそも送ってもらう理由がない。
無視して歩く速度を上げた私に、しかし、彼は再び声をかけてきた。

「そう言うな。久々の再会じゃないか……ルリア・ナイトレイ」
「っ!」

彼が口にしたのは、この世でたった1人、「私」しか知り得ないはずの名。24年以上前に捨てた、「前世の私」を表す言葉。

反射的に片足で踏ん張り、もう片足を前輪にかけた。もともとゆっくり動いていたタイヤが、強力なストッパーにその動きを遮られる。少しの衝撃の後、彼も反射的に踏んだのだろう、ブレーキによってそれは完全に停止した。
男が態勢を整える前に、その首元に右手を添える。凶兵器の形状変化(コンバージョン)で手のひらサイズのナイフを生成し、その切っ先を首へ当てた。後は上から少しでも力を加えれば、頸動脈でも何でも切り裂くことができる。

「っ、……さすがだな」
「吐け。どこでその名を知った」

知らず口調が暗殺者のそれに変わる。

「……まさかとは思ったが、覚えていないのか」

首に凶器を当てているというのに、男は一向に焦る気配もない。それどころか、私の反応から何やら考え事をする余裕すらあるらしい。
その証拠に、視線を私とは違う方向へ向けたまま黙り込んでしまった。

「答えろ」

首に当てたナイフを少し沈める。肌が薄らと切れ、赤が一筋流れた。
このまま男を殺すことは簡単だ。けれど、情報の出所を抑えなければ解決とは言わない。何が何でも口を割らせなければ。

とりあえず爪でも剥ぐか、そう考えて左手を男の方に伸ばした時。男の緑の目が再び私を捉えた。それに既視感を覚える。

「俺は、赤井秀一。2年前、お前と一月共に過ごした男だ……ルリア」
「……赤井、秀一……?」
「わからないか? ああ、今と違って、あの時は髪を切る前だったが」

2年前。1か月共に過ごした。黒いニット帽。長い黒髪に、緑の目の男。

……赤井、秀一……。

ドクンッと、体の奥の方で衝撃が走った。途端に脳裏をよぎる、忘れ去っていた記憶。


「好きだ、ルリア。愛している」

ある日突然、人の家へと現れた男。話を聞くに別の世界からやって来たらしい男と、私は1か月共に暮らしていた。
その彼が、一切の迷いもない真剣な瞳を逸らすことなく私へ告げた。私などに、向けるはずのない感情を。
だから鼻で笑ってやった。

「ハッ……バカ言わないで。私の手は……否、手どころか全身が血塗れ。これからだって、この生き方を変えるつもりはないわ」
「構わんさ。過去に何をしていて、今何をしていようと、それがお前だろう。なら、今のお前自身を作った過去も今も、もちろん未来も、俺は否定しない」

なのに。彼は、私の一切を否定しなかった。
自分は悪を取り締まる側の人間だと、出会った時に言っていたではないか。

「綺麗事ね」
「ああ、綺麗事だ。本来の立場なら、俺はお前の行動を咎め、敵とならなければならない。だが、」

言葉を切った彼の左手が、私の右頬へ添えられる。そのまま流れるように後頭部へ。右手がいつの間にか背後へ回され、グッと強く引き寄せられた。

「今の俺に立場はない。だから1人の男として言おう。……愛している、ルリア」
「……秀、一……んっ、」

想いをぶつけるようでいて、それが暖かく伝わるような口づけ。
ただ唇を合わせるだけ。今まで幾度となく経験してきた行為。なのに、胸の奥が暖かくて苦しくて、気づけば涙が流れていた。



とうに忘れ去っていた。否、忘れようと決め、抹消していた記憶。
その中にいた男と、目の前の男が重なってゆく。

「……秀一?」

やっとの思いで紡いだ名は、自分でも驚くほど弱々しいものだった。
体から力が抜け、首元に添えていたナイフが右手から滑り落ちる。思わず引こうとしたその手を、彼の左手が力強く捕まえた。

「やっと思い出したか」
「……ほんとに、貴方なの?」
「ああ。今度はお前がこちらに来たんだな、ルリア」

私の名を紡ぐその声は、あの日、私へ愛を伝えてくれたそれと同じ響きを持っていた。

その言葉を聞いた翌日。目覚めて、貴方がこの世界にいないとわかったあの時。もう、二度と会えないと悟った。もう、二度とその声を聞けないと。その瞳に映ることはないのだと。
その貴方が、今、目の前にいるなんて。

「……秀一っ!」

滲み始めた視界な中で、飛び付くように彼の首へ両腕を回した。驚きつつも後頭部へ回された手が、私を優しく撫でてくれる。
車越しだなんてことは既に忘れていた。ここが往来だということも。



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