sleep

□過去拍手
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先日提出された王の剣からの報告書とそれに関連した討伐依頼の整理、次の出向先の資料整理…それは膨大な量で、ここ数日多忙を極めていた。何日自宅に帰っていないのか、自室化した執務室は資料で溢れ返っている。
身体は怠く動きたくない気持ちになるが、そんなことも言ってられない状況で、今日も朝早くから資料整理をしていた。
室内の淀んだ空気とは反対に窓の外からはサンサンと日が差し込んでいて、それはまぁいい天気だった。時計は既に正午を指していて、天気もいいしこのままここに籠るより少し外の空気を吸う方がいいか。王都から少し歩いたところにある、最近お気に入りのカフェにランチでも行こうかと思って、久しぶりに外に出た。

なのに…




「嘘でしょ…?!」

さっきまでの晴れ間は何処へ。
空は瞬く間に分厚い灰色の雲に包まれ、あちこちでゴロゴロと雷が轟き、バケツをひっくり返したような雨が降ってきた。
もちろん傘なんて持っていなくて、抱えていたバッグを翳すも、財布と小さめの化粧ポーチしか入らない大きさのそれは何の意味もなく。
近道をしようと裏道を通っていたせいでこの辺りは閑散としている。近くに入れる店なんてなく、どこか雨宿りのできるところはとキョロキョロ辺りを見渡すと、シャッターで閉ざされた古びた小さな店の前に軒先が見えた。少し離れた場所だが、そこ以外に雨宿りが出来そうな場所はないようだ。肌に伝わる冷たい感触は全身に広がっていき、急ぎ足で向かった。

さっきまであんなに晴れてたのに!
なんでこのタイミングなのよ…!

なんとか軒先まで来たが、既に下着が濡れるほど雨に打たれてしまい、足元のアスファルトの色がじわじわと濃くなっていく。時折吹く風に古びたシャッターが揺れ、身体が粟立つ。人が二人入るか入らないかのスペースに身を縮ませ、温めるように自身の身体を両手で抱き締めた。

「寒い…」

恨めしそうに空を眺めるが、相も変わらずそこには灰色の雲が広がっている。止む気配のない雨に肩を落としていると、乾いたアスファルトの上にぽたりと雫が落ちた。

「すまない。少し入れてもらえるか?」

どうやら同じく雨宿りの人が一名。急な雨なもんだから、この人も傘を忘れたのか。気の毒に。
だけど、それはどうも聞き覚えのある声で、顔をゆっくりと上げた。

「あ…」

「…何やってるんだ、こんなところで。」

そこにはよく見知った…というか、現在進行形で片想い中の人物がいた。

「コル将軍…」

その髪からは水が滴たり、自分ほどではないがいくらか雨に打たれたようだ。

「お前も傘を持っていなかっのか?」

「まさか降ると思ってなかったので…」

「あぁ、予想外だったな。」

降りしきる雨を眺めながらコル将軍が困ったように笑う。
ピタリと張り付いた白のインナーは、隆起する筋肉をくっきりと表し、濡れた首筋に雫が艶やかに滑り落ちる。
水も滴るいい男とはこの人のためにある言葉なのではと思わざるを得ない。
将軍がいる右側だけが妙に熱いのは、気のせいではない。視線をどうすればいいのか分からず、ふわふわと将軍と同じ方に目を向けた。
風は止み、真っ直ぐ力強くアスファルトに叩き落ちる雨。

「当分止まんだろう…」

「そう、ですね…」

「それにしても、随分濡れたんだな。」

「あはは、ご飯に行こうと思ってたんですけど、まさか降るなんて思ってなくて…。コル将軍こそ、こんなとこでどうしたんですか?」

「俺も昼飯でも食べに行こうかと思ってな。予報では晴れだったが、まさかこうも降ってくるとはな…。」

鼻を擦りながら見せる笑顔は少し照れたものなのか。目尻に刻まれた皺ですら格好よく見えてしまう。

あぁ、せっかくならこんな格好じゃないときに会いたかった。どうせなら…

「どうせなら、一緒にご飯でも行きたかったです。」

無意識に出てしまった言葉に口をつぐむ。
な、何を口走ってるの私…っ
焦って話題を変えようと口を開いたとき、鼻に違和感を感じた。

「…くしゅっ 」

「…上着が酷いな。それだけ濡れているなら脱いだ方がいいだろう。」

逆上せた顔とは反対に、いつの間にか身体は冷えきっていた。確かにこんなどぼどぼになったものを着ている方が身体を冷やしてしまうのかもしれないと、将軍の言葉に頷く。
肩にかけていたバッグを降ろし、上着を脱ごうとすると、手元のバッグに将軍が手を伸ばした。
この将軍は、本当やることなすことスマートなのだ。隙がない。
忘れてほしいと思った筈なのに、さっき言った台詞に何も反応がなかったことに少しだけ悲しくなった。

「あぁ。風邪を引く前に、脱いだ方がいいだ…っ」

素直にジャケットを脱ぐと、将軍の動きが止まった。

「え?」

「あ、いや…」

「コル将軍、どうしました? 」

顔を背いて明らかに動揺しているような様子を見せる将軍に首を傾げた。耳は心なしか赤く染まっているように見える。更に首を傾げていると、将軍が口を開いた。

「その…シャツが…」

「え?………きゃぁぁッ!」

下に着ていた白のブラウスまで水が伝わり、中の下着がくっきりと透けてしまっていたのだ。
慌てて胸元を手で隠して将軍から離れようとしたが、それは逆効果で

「きゃ…っ、冷た…」

「何やってるんだ!濡れるぞ!」

腕を引っ張られ、将軍に抱きつく形になってしまった。

「ご、ごめんなさい…っ」

見上げると、思っていた以上の至近距離で見つめ合うことになり、慌てて視線を下へとずらすと、前髪からポタリと雫が落ちた。そして、その先には将軍の身体に押し付けるように胸元の膨らみがふにゃりと形を変えていた。

「わ、悪かった。」

素早く身体を離し、顔を背けた将軍の耳は赤く、自分の頬にも熱が集まるのが分かった。

初めて触れた身体は見た目通り男らしく筋肉質で、肩に触れた手は大きくて。
そして、近くで見た双眼は全て見透かすほどの澄んだ蒼だった。そのまま身を委ねたくなってしまう。もっと触れてほしくなってしまう。
突然のことで頭が一杯になり、目をぎゅっと瞑っていると、ふわりと将軍の匂いに包まれた。

「あ…これ…」

「俺のジャケットの方が濡れていない。これを羽織っていた方がまだいいだろう。」

「ありがとうございます…。」

腕は通さず羽織った上着は身体をすっぽり覆うほどに大きい。スンっと息を吸うと将軍の匂いがした。まだ温かい内側に胸の奥が音を立てた。

「俺はもう召集のかかる時間になるから王都へ戻る。」

「え?でも雨が…」

「これでも警護隊として人よりは多く戦闘を重ねている身だ。これくらいのことで身体は根を上げんだろう。」

「じゃあ、ジャケットも…」

遮るように、将軍が咳払いをした。

「…明日はよく星が見えるらしい。」

「え?」

「この時期のガーディナは魚が絶品らしいな。」

一歩前に出たせいで、もう背中しか見えない。

「…明日夜七時に執務室へ迎えに行く。」

そう告げて、将軍は走り去っていってしまった。
雨の中に走り出す直前に見えた顔が頭から離れない。頬が赤かったのは気のせいじゃないですよね?期待してもいいんでしょうか、将軍。
上着をすっぽりかぶって大きく息を吸うと、溶けるほどの甘い匂いに包まれた。
雨はまだまだ止みそうになかった。








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