sleep
□素直になれたら
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きっかけは、すごく些細なことだった。
『コルの顔なんて、もう見たくない!』
そんな言葉を吐き捨てて、家を飛び出してしまった。
ちょっとした言い合いになることは今まで何度かあったけど、大きな喧嘩に発展したことはなかった。
最近、お互い多忙で全く会えておらず、心身共に疲労が溜まっていた。今日は私が休日でコルの仕事が早く終わるということで、夕飯をコルの家でとることになっていた。
しかし、せっかく久しぶりに会えたというのにも関わらず、些細なことをきっかけに言い合いになってしまった。
どうして余裕がないときほど、どうでもいいことが気になってしまうのか。どうしてあんな態度をとってしまったのか。なんで、私はこんなに可愛くないんだろうか…
もう、怒りなんて微塵もなく、ただただ後悔だけが残っていた。
澄んだ夜空に金色の弧を描く月を眺め、大きく溜め息をついた。
あんな態度をとってしまったから、どんな顔をして会えばいいのか分からない。
…今日は真っ直ぐ自分の家に戻ろう…
そう思ったとき、後ろから声をかけられた。
「お姉さん、1人?」
「俺たちとこれから遊びに行かない?」
振り向くと、にたにたと下品な笑みを浮かべた男が2人いた。
「…大丈夫です。これから帰るだけですから。」
「そう言わずにさぁー」
「てか、この子超かわいくない?」
この子…。多分自分より年下であろう彼らにこの子呼ばわりをされて、内心苦笑いしつつも、丁重に断るも、全く引き下がろうとせず、更には強引に手を引かれてしまった。
「ほーら、行こうよ!」
今は私服のため、武器は持っていないが、大して力もなさそうな彼らくらいなら、護身術だけでも大丈夫そう…。
そう思い、反対の手で構えようとした瞬間、目の前の男がいきなり視界からいなくなったのだった。
「…ぐぁッ!」
「…て、てめェ!なにしやがるッ!」
目の前にいた男はいつの間にか地面に伏しており、もう1人の男が私の後ろに向かって声を荒げた。
「命が欲しいなら、逃げることをすすめる。」
「げっ、こいつ、確か王都警護隊のやつ…!くそっ、覚えてろよ!」
そのまま男2人はその場から走って逃げていった。
聞き覚えのある声。会いたいようで、今一番会いたくない人の、声。
「コル…、どうして…。」
後ろを振り向くと、息を切らしたコルが、心配そうに男に掴まれて少し赤みを帯びた右手首を見ていた。
「…大丈夫か。」
その表情に、チクリと胸が傷んだ。
ここにいるということは、私が出ていったあと、探してくれていたのだろうか。
息を切らしてまで。こんなに優しいコルに、どうして私はあんな酷い態度をとってしまったのか…
もう、自分が情けなくて、コルの優しさに胸が苦しい。何を話せばいいのか、どんな顔をすればいいのか分からない。
「…うん。ありがとう…。」
ここで、素直にその胸に飛び込めたらいいのに。だけどそんな度胸もなく、子供のような態度を取ってしまったことが恥ずかしく格好悪くて、合わせる顔がなかった。本当にかわいくない奴だ。
顔を伏せ、足早にその場を去ろうとすると、後ろから肩を掴まれた。
「待て。」
「……ッ」
「すまなかった。俺の配慮が足りなかった…。」
「……っ、コル…」
違うの、続く言葉が出ない。あなたにそんなこと、言わせたくないのに。
本当は久しぶりに会えてすごく嬉しかった。一緒に美味しいご飯を食べて、美味しいお酒を飲んで、会えなかった寂しさを埋めるように、その温もりに包まれたかった。なのに、ちょっとのことでカッとなってしまって、悪いのは、謝らなきゃいけないのは私なのに…
深呼吸をして、震える唇を噛み締める。
「ごめんなさい…。」
ぽろぽろと落ちる涙はコンクリートへと吸い込まれ、その跡を残していく。
ふいに、肩を引かれ、温もりに包まれた。ずっと待ち望んでいたその温もりに、涙はせきをきって溢れ出る。
「名無しさん、もう夜も遅い。…家に、戻ってこい。」
「うん…。」
その腕の中で小さく頷くと、顎に手を添えられ、角度を変えて何度も、何度もその存在を確かめるように私たちはキスをした。
再び心の通った2人を月明かりが優しく照らしていた。