短編(龍が如く)

□夜の帳が降りたら
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どうしても眠れなくて、ベッドから降りた。あーあ、最近いつもこうだ。寝ようとすると余計に眠れない。どうせ眠れないのだからと電気を付けた。
その時、枕元に置いてあった携帯が鳴る。画面を見ると見たくなかった今の時刻が見えてウンザリした。鳴っているのは着信を知らせる音楽で、画面には谷村さんの名前があった。

「……深夜2時ですけど、なんの御用ですか?」
「あ、いや。今から俺帰るんだけど、暇かなーって。」
「こんな時間に帰るって、どこから…?」
「ちょっと書類が片付かなくてさー、色々してる内にこんな時間になっちゃったワケ。」
「その“色々”に昼寝だとか息抜きのギャンブルが含まれてるわけですね。」
「よく分かってるじゃない。」

悪びれもなくケラケラ笑う声に怒る気も失せた。この不真面目な刑事の上司はさぞ大変だろう。
ベッドに座り、利き手に携帯を持ち替えた。もう片方の手で何となく近くの雑誌を手繰り寄せる。少し前に買って、既に読んだファッション誌だ。

「今日さあ、俺仕事中に怪我してさぁ。」
「珍しいこともあるもんですね。」
「心配くらいしてくんない?結構抵抗する下着泥棒がいてさ、ホント勘弁して欲しいよ。」
「下着泥棒ですか、それはまた。」

雑誌を机に放り、谷村さんの声に集中した。雑誌なんかよりも谷村さんの日常の方が面白い。続きを促すように「それで?」と呟いた。

「頬切ってさ、顔洗う度に痛くてしょうがないよ。」
「顔やられたんですか?勿体ない。」
「何、勿体ないって。」
「谷村さんのいい所って顔だけでしょ?」
「は?それ、俺褒められてんの?」

いや、褒めてはない。でも半分は本気だから答えは出せなかった。顔のことは褒められ慣れているだろう谷村さんに、あからさまな褒め言葉は言いたくなかったのだ。

「外、寒くないですか?歩いてるんでしょう。」
「超寒い。どっか泊まりたいくらい。」
「署の仮眠室で寝ればよかったのに。」
「明日休みなんだよ。嫌じゃん、休みの日を仕事場で迎えるなんて。」
「厳密にはもう“明日”は来てるので、仕事場で休みの日は迎えちゃってますよ。」
「あーあーうるさい、そういうの屁理屈って言うんだよ。」
「谷村さんの得意分野だ。」
「ハイハイ。」

言い返す言葉が無くなったのがありありと感じて、ほくそ笑んだ。面倒くさそうに流されても気にならなかった。
さすがに室内でも寒くて、ワンルームのキッチンへ歩いた。ケトルに水を入れる。携帯はスピーカーフォンに変えた。

「何?シャワー?」
「違いますよ、何回も聞きますけど今何時だと思ってるんですか?平日のこんな時間、人は普通寝てるんですよ。」
「あぁそうだ、なんで起きてんの?眠れないとか?」
「…まあ、そうですね。最近は起きてます。」

適当にそう答えると電話向こうの谷村さんの声色が変わった気がした。

「そうなんだ。なんか仕事であったとか?」
「別に、そんなことも無いですけど。」
「じゃあ、なんだろ。プライベートでなんかあったとか。」
「……特に。と言うより、何も無くてマンネリしてるかもしれないです。」

家と仕事場の往復。寝て起きて食べて働いて。その繰り返しをしていると落ち着くが、どこか退屈で殻を破りたいと野心が芽ばえる。だけど、そのきっかけなんて平凡な日常にはない。

「なぁ、羚、お前今何してんの?」
「え、特に何も…。寝れなくて起きてるだけですけど。」
「じゃなくて、さっきの水の音何よ?」
「あ、ポット…。暖かいもの飲もうかなって。」
「じゃあ俺の分も用意して。コーヒー、じゃなくてココアがいい。」
「え?ウチ来るんですか?」

素っ頓狂な声が出たけど、谷村さんは何事も無かったかのように「ほらァ」と急かすようにため息混じりの声を出した。

「開けて、寒い!」

その声は携帯からの物と、玄関からの物が交差して聞こえた。まさか!!?玄関に走り寄り、扉を開けるとそこには鼻を真っ赤にした谷村さんがいた。いつものダウンジャケットを上まで締め、ポケットに手を突っ込んでいる。

「ばぁか、ちょっとは警戒して開けろよ。こんな時間に確認もなく開けるなんて不用心すぎるだろ。」
「あ、すみません…。」
「さっむ、早く入れて!」
「は、はい。どうぞ。」

中に招き入れると、外の冷気が一緒に入ってきた。部屋が一段と寒くなって谷村さんを追いかけるように部屋に入ってから、エアコンの温度を二度上げた。
ポットが丁度カチリと音を立てて、それに気付いた谷村さんが勝手にそれを取り上げ、水切りカゴに入っているカップを二つ取り出す。

「ココアでいいよね?」
「やりますよ。」
「いいよ、俺やるから。」

棚にあるココアの袋を出して来て、スプーンで三杯。勝手知ったる様子だがこうやって押し掛けてくるのは初めてだ。いつもはご飯を食べに来たり、サボりに来たりすることがあったくらいで、日中が多かったから。
途端に夜中に異性を招き入れた事に警戒心が芽ばえる。相手がよく知った相手でも。

「はい。」
「ありがとうございます。」

湯気の経つ暖かいカップを1つくれて、ベッドに背を預けて座った私の隣に谷村さんは腰掛けた。よっこいしょ、なんて声を上げて、それが警戒心なんて吹き飛ばした。………谷村さん相手に警戒とか、私はバカか。相手は刑事だ。

「やっば、凍え死ぬかと思った。あったけぇ〜。」
「本当に怪我してる、勝利の勲章ですね。」
「んーん、捕まえたのは結局通り掛かった桐生さん。俺は追い込んだだけ。」
「ああ、神室町のスーパーマン。」
「そ。」

知り合いの名前まで聞いて、ああ今日も神室町は相変わらず夜を迎えたのだな、と安心する。最近は行ってないから今度、退屈な日々を壊す意味でも繰り出してみようか。

「あ〜、ごっそさん。」
「飲むの早いですね。」
「職業病だよね、飲み食いが早くなるの。お前は遅すぎだけど。」
「猫舌なんですよ。」
「じゃあ途中でケトル止めろよ。」

ごもっとも。言い返すこともせずに未だに一口しか口を付けてないカップの中身を啜った。あっつ、舌先を火傷してもう味が分からない。
これでまた眠れない理由がひとつ増えた訳だが。

「はー、今日泊まっていい?ていうか、泊まるね。もう歩きたくないし。」
「もとよりそのつもりでしょう。」
「イイじゃん、昼寝と変わんないって。」
「別に反対意見はございません。」

上着をやっと脱ぎ、ゆるゆるのネクタイをポイとその辺に放って、谷村さんは私のベッドへ横になってしまった。さむー、と布団に潜り込む。私がさっきまでそこにいたから幾分か暖かいはずだ。

「パジャマ貸しましょうか。」
「モッコモコのそれ?やだよ、俺もう29だよ。」
「部屋着に歳は関係ないですよ。」
「お前が早く布団入ってくりゃいいじゃん、モコモコなんだから。」

恋愛感情が欠落している、と前に話されたことをふと思い出す。いや、そんな機械的な言葉ではなかったけど、確か1度飲みの席で「恋愛感情が分からないんだよね」と相談されたことがあった。
谷村さんは感じたことがないのだろうか。
不安な夜に駆け付けてくれた時の胸の高鳴りを。
寂しい心に染み入る優しさに当てられた時の暖かさを。
そして、他人の生活スペースにいとも簡単に入れると言う何ともくすぐったい特別感を。

「…じゃあ、入ります。」

冷めたココアを飲み干し、谷村さんの使ったカップの隣に自分のカップを置いて布団に潜り込んだ。腕枕だとか抱き締め合うとか、そんなカップルみたいなことはしないけど、冷たい指先を暖かい手が握って、「寒い」なんて嘘じゃないかと内心で愚痴った。
刑事だからか他人の誘導が上手いな。むしろ、私が谷村さんに甘えすぎているだけか。
じんわり暖かいその手に眠気を誘われて、それから部屋の電気を切ったのは誰か知らない。




9.夜の帳が降りたら
(不思議と手をかけたくなる知り合いに、少しばかり甘やかしすぎるのも悪くない。)
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