短編(龍が如く)

□Form der Gunst.
1ページ/1ページ



「アンタなんて嫌い!」

バシン、と大きな音が路地裏にこだまする。音の後にジンと頬が痛くなって、歪んだ視界が戻るにつれてその痛みがじわじわ広がって行った。
私の頬を張った目の前の彼女だった女は目を血走らせてこちらを睨みつけている。
同性で結婚こそ出来ないが、一生一緒にいようと誓い合ったパートナーだった。私の気持ちをよく分かってくれて、相手の気持ちも私が一番分かっていた、はずだ。
だが、小さな歪みがだんだん拡がって気がつけば私が頬を張られている。相手が新しいパートナーを見つけただけなのに。私は未だに彼女のことを信頼しているのに。

「汚い仕事してる人なんてやっぱり信用出来ない。一生関わらないで!」

吐き捨てるようにそう言い、彼女は私の目の前から消えた。姿が見えなくなると惨めさが急に湧き上がってきて吐き気がした。街の隙間に出来たそこでしゃがみ込み、どこで間違ったんだろうと泣きそうになった。

「あのー……大丈夫?」

その時、背後から声が聞こえた。ああ、間違ったのはこの人のせいかもしれない。涙を引っ込めて立ち上がる。背後の人物はゆっくりこちらに近付いてきて、私の肩をぽんぽんと叩いた。

「…大丈夫です、絶縁されただけなので。仕事のせいで。」
「え?俺のせい?」

振り向くとやっぱり、私の上司にあたる秋山さんが立っていた。私はこの人が貸した金を回収する仕事をしている。元々は街で秋山さんに声をかけられ始めた仕事だ。汚い仕事、と言われてしまったがまあ普通の人間からすれば綺麗な仕事とは言えないのだろう。
別に利用者に臓器提供をしろと言ったり、マグロ漁船に乗れと言ったり、ドラム缶に詰めて海に捨てたりしていなくても、だ。

「最近の子って友達の仕事にまで口出してくんの?あ、もしかして利用者になんかされた?それなら俺フォローしに行くけど……。」
「違います、利用者に何かされたくらいならまだマシですよ。……あと、あれ彼女です。」
「え?彼女?君の?」
「ええ。」

目を丸くして秋山さんは詰め寄ってくるが、その問いかけすらもう答えるのが苦痛だ。もう終わったのだ、彼女との関係は。
勘弁してください、と体ごと逸らして話を切り上げた。

「へー、羚ちゃんって“そう”なんだ。」

なのに、話は流れてくれない。いや、流してくれない。私は普段からそういう話は一切しなかったし、秋山さんの興味をそそってしまったのだろう。面倒くさいと口には出さず、顔と態度に出してみたが気にしてないようだった。

「でもさあ、それってニーズにあってなかったんじゃない?」

その言葉にカチンと来た。ニーズだなんて、私は商品かなにかだろうか。物の喩えなのはわかるが火に油を注いでいるのを自覚しつつも、歯に衣着せない物言いに突っかかってしまった。

「私はちゃんと愛していましたよ、今だって。むしろ、あっちがほかに男を作ったんだから私が咎められる非はないはずです。」

ムキになって言い返し、それ以上の話に付き合う気もないので踵を返すと、がしりと力強く腕を掴まれた。初めて感じた、男の力だった。そのまま引っ張られ、返した踵が更に引っ繰り返る。また秋山さんを自然に捉えて、その真剣な表情に驚いた。

「じゃあ、男を知ったら解決するかもよ?気持ちの整理にも。」

次は先程よりも弱い力で、だが以前強い力で腕を引っ張られて胸を寄せられた。秋山さんの肩口に浮かされた手に力を入れるのを忘れるくらい、衝撃的な言葉だった。

「―――まさか。分かりませんよ、男性の良さは私には一生分かりません。」

引かれた力は強かったが、それほど掴む力は強くなかった。すぐに手を取り返し、次こそちゃんと背を向けて数歩歩いた。離れた私を追いかける素振りも見せず「あぁそう」とだけ秋山さんは呟いた。
そしてその場を立ち去る私の背中に少しして、また口を開いた。

「明日、また仕事頼みたいから事務所においでね。」

思わず足が止まりそうになって、変なリズムで何とか歩き続けた。大通りの角を曲がって、人混みに紛れてもこの複雑な心境は結局収まらず煙草に火を付けた。
男?まさか、ただの上司を知ったところで何も変わるはずもない。そして、また明日に事務所で会ってもいつも通り笑って私を迎えるのだろう。
この街で一番読めない男なんて、一生知りたくはない。


7.Form der Gunst.


次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ