短編(龍が如く)

□Ersatz
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港区にある豪華な事務所で出されたジュースを飲みながら、こちらの事なんて気にもせず仕事を続けている男をじっと見ること二時間ほど。そろそろ怒られるか、と思ったが峯さんの集中力はちょっとやそっとのそれとは違うようで。私の方が心が折れそうになっていた。

「その写真立て、いつも裏向いてますよね。」

業を煮やして、そしてジュースが無くなったからストローを口から離すついでに、そう峯さんに問掛けた。無視されるかと思ったが、意外と峯さんはそれに反応を示した、眉間の皺という形で。
地雷を踏み抜いた自覚はあった。でも、何ヶ月も前に初めて入ったこの事務所で唯一気になった物だ。この無機質な、モデルルームに高価なものを並べたような事務所内で、一番馴染み易い物だったから。
当然、中身は見た事がない。

「…貴方には関係ありません。」

そしてやっと帰ってきた答えはこんなモンだ。二時間以上言葉を発していないはずなのに、迫力のある静かな低い声だった。
だが、隠されれば余計に気になるもので。

「……。」
「……。」

未だに自分を見ている私の視線をついに睨み付けた。本人の私はそれに縮み上がるわけでもなく、相変わらず綺麗な目の形だなあと見ていると向こうから視線をそらされた。諦めたのだろう。賢い人間は諦めも挑戦もタイミングが上手い。

「…。」

ジュースも飲んでしまったし、もうお暇しようかとしていると峯さんが手元のスイッチを押した。音もなく入り口の扉が開かれて、秘書の美人さんが私のグラスを見てすぐに下がった。最初、その視線も峯さんが秘書を呼んだことすら気づかなくて、時間にして二分も経たずに秘書さんが同じジュースを持ってきて初めて気づいた。
―――まだ私は此処にいていいらしい。

「貴方は子供の頃、今と変わらない様子だったんでしょうね。」
「え、そう…ですかね。そうかもしれません。」

不意に話題を振られて素っ頓狂な声を上げてしまった。何故いきなり子供の頃の話をされたのか分からないまま、せっかく峯さんが話題を提供してくれたので乗っかることにした。私の幼少期なんてこの世界ではありふれた時間だが、峯さんにはそれが物珍しいかもしれない。

「元気な子供だったと思いますよ、高校生まで運動に打ち込んで…でも大学は普通の学校に行って……。一人っ子で親にはわがままばっかり言って…。」
「わがまま、ですか。」
「そう。今はとても不自由だし、自分じゃやりたい事の一つも満足にできないけど。子供の頃は本当にやりたいこと、ほしい物、全部手に入ってたなぁ、今の峯さんみた、い…に……。」

気が付けば峯さんは窓の方を見てしまっていた。こちらには背を向けてしまっていて。あれ、話過ぎただろうか。ジュースの中に入っている氷がからんと音を鳴らす。すると、突然峯さんは椅子を回してこちらに振り向いた。

「なら、今の貴方は子供の頃の俺ですね。」

とても冷たい目で、それでいて寂しそうな目だった。言葉の意味を理解するのが少し遅れて、謎掛けをとくように黒いもやがかかっては晴れた。峯さんの幼少期の話を聞くのは初めてだった。大吾さんにも聞いたことがない。むしろ、知っている人がいるかさえ怪しいくらいの情報だ。
興味はあれど、それを満たすのは些か憚られた。目の前の峯さんはいつもの眼光はなく、…いや、ない訳ではないが覇気は幾分か削がれていた。

「まぁ、今は何でも持っているので良いんじゃないですか。ないよりはある方が。」

次は私がその視線から逃れたくてジュースに視線を落とした。氷が解けて少し色が薄くなっている。一口飲んだ。

「じゃあ、今の貴方に分け与えれば俺は救われますか。」

次の言葉を私はちゃんと受け止めきれたかはわからない。だけど、この日を境に峯さんは私を時間があれば可愛がるようになった。時には食事に誘い、飲みに誘い、私が行きたいと言ったらアクティビティにもつれて行ってくれた。
――――何かおかしな地雷だったらしい。足を持っていかれなくてよかった、と思う事にした。


5.Ersatz


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