短編(龍が如く)

□mochtest du eine Zigarette?
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「うわ、最悪。」

仕事終わり、今日は家でご飯を食べるのが嫌で街に繰り出した。駅から降りて神室町のアーケードをくぐった頃、気分を下げるには調度良いくらいの、細い雨がしとしとと降り出した。
今まで緩やかだった人の流れが雨を避けようと早くなり、傘を持っている人間だけがその歩を緩めず早めない。私は適当な雑居ビルの軒下に入り、先程までは無かった雨雲を見上げた。

「あー、失礼しますよっと。」

その時、同じく雨を避けようとまた一人軒下に入ってきた。青いダウンが水を弾いて、髪をしっとり濡らしたその男性は髪をかきあげ、上着の水滴を払い落とした。

「ついてないっすね、そっちも傘無し?」
「はい、天気予報を見ていなかったので。」
「同じ同じ。はー、でもやまないねえ。」

参ったなぁ、と言葉では言っているがそこまで困った様子もなく、その男性は煙草のケースを取り出すと、中から一本抜き取り咥えた。ライターを一度、二度、ボタンを押したが火は上がらなかった。「えー……」と高めの、不服そうな声が響く。

「お貸ししましょうか。」
「あ、すみません。ありがと。」

他人行儀でも内輪向けでもないその言葉にささくれだった心が少し和んだ。ライターを貸すと、火をつけた後に「良かったら」と煙草を差し出された。
喜んで一本貰い、咥えるとライターを返される前に火を付けてくれた。火がついたことを確認してから「ありがとう」とお礼を言った。二人して少しの間、煙草を蒸かした。
雨の日の軒下は雨がまるでカーテンのように空間を仕切る。軒下内が同じ煙草の匂いで充満して、煙を外に飛ばすように自然と強く雨へと吹く。雨への敵対の意も少し込めて。
尚も降り続く雨の中、彼の携帯が鳴る。「ごめんね」と断ってからそれに対応した。

「あ、マジすか……すぐ行きます、はい、今天下一通りなんで……はい。」

どうやら何処からかのお呼び立てのようだ。携帯を切り、ポケットにしまうとため息をひとつ漏らす。

「仕事で呼び出し食らっちゃった。雨、止むといいね。じゃあまた。」
「あ、はい。」

仕事中だったらしい。青いダウンを頭に掛け、彼はそのまま降り続く雨の中を太平通りに向けて走っていった。きっと目的地に着くまでにビシャビシャになってしまうだろう。風邪をひかなければ良いが。
そうこうしている間に雑居ビルの看板が一つ着いた。どうやらバーのようだ。丁度良い、一杯引っ掛けるか。雨宿りを諦めて私は雑居ビルの中へ入っていった。

××××

そしてそれから数日後。私はまた神室町に来ていた。仕事帰りはどうしても寄りたくなる。今日は時間も早いし、適当にミレニアムタワーで買い物でもしようか、と中道通りを歩いていた。

「こら、待て!」

すると、通りの裏から聞き覚えのある声が張り上げていて。覗き込むと、これまた見覚えのある青いダウンを着た青年が人相の悪い男を掴みあげているのが見えた。
二人とも息を切らしていて、恐らくは追い掛け追い掛けられたのだとすぐに分かった。

「この野郎ッ!」
「!」

ブン、と男の拳が振り向きざまに空を切る。拳を避けたあの人は流れる速さで男の背後にまわり、反対の腕を締め上げた。鮮やかなその手際に見蕩れていると、ガチャリとその腕に手錠が掛かる。
―――あ、刑事さんだったんだ。
そこで気付いてそんな風には見えなかったのが、途端に青いダウンの下のネクタイだとか、耳から垂れているイヤホンだとかが目に付いて、なるほどと合点がいった。

「……あ、アンタこの前の。」
「どうも。」

瞬く間にパトカーが狭い路地に入ってきて、手錠を掛けられたままの男を連れて行ってしまった。残された路地でぽつんと立った私をまさか見逃すはずもなく。

「刑事さんだったんですね、お仕事お疲れ様です。」
「あー、まあね。いつもはあんなのに手間取らないんだけど、今日はちょっと。」

そう言って彼はまた見覚えのあるパッケージを取り出す。この前は見なかったが、珍しい銘柄だ。コンビニ店員の後ろに掲げられているパッケージに、同じものは見たことがない。
私の視線に気づいたその人は、またこの前と同じようにパッケージをこちらに差し出した。

「吸う?」
「あ、え…は、はい。」

煙草税が上がっていく中、これは新手のカツアゲをしてしまっているんじゃないかと頭に過りながらも上手く言葉が出ず、流れで一本貰ってしまった。往来で吸う訳にも行かず、近くの公園に自然と足が向いてベンチに二人並んで腰掛けた。
「はい」とライターの火がこちらに差し出される。

「今日は持ってた。いっつもどっか落とすんだよなぁ、忘れてんのかもしれないけど。」
「分かります、いつも煙草のそばに置いてるのにいつの間にか無くなってますよね。」
「そうそう。」

吸っている間にも今日は少し話に花が咲いた。夕方の明るいんだか暗いんだか分からない明るさに、相手の顔に影が落ちている。それを横目で見ながら、顔は地面に向けていた。先の尖った革靴。私のは先の丸いパンプス。

「この時間仕事帰り?」
「はい、今日は少し早めに終わって。刑事さんはまだお仕事中ですね。」
「今日はもう終わり。…っていうか、毎日そこまで真面目なわけじゃないんだけどさ。」
「大丈夫です、真面目そうには見えていません。」
「なんだよそれ?」

なんて屈託のない笑い方をするんだろう。細められた目がこちらを向く。自然と私も相手を見ていた。羨ましいくらいに整った顔立ちに今更ドキッとする。ああ、二度目とはいえこんなハンサムな男性と話しているのが珍しい。

「ま、気をつけてね。神室町、物騒だから。」
「ありがとうございます。何かあったら呼びますね。」
「フッ、どうやってさ?テレパシー?」
「そうですね、不真面目な刑事さんをと言えば恐らく誰かは気づくんじゃないでしょうか。」

煙草の火が消え、どちらともなく立ち上がった。別れ際になってしまったが、そんな冗談が途切れずにまた公園の出口で二人して立ち止まる。

「俺、谷村。生活安全課だから呼んだらすぐ来るよ。」
「私は羚と言います。事情聴取する時に聞かないでくださいね。」

自然と名を明かすとその人、谷村さんは「はいはい」とまた笑った。


××××


「ばいばい、羚〜!」
「気をつけて帰りなよ!」

その日は深夜だった。神室町で馴染みの友達と飲んでいるうちにそんな時間になってしまっていた。ふと、一人になって谷村さんを思い出す。最近、神室町に来る度に会っていたけど今日はまさか会えないだろうな。
すっぽん通りの暗がりの中で飲んでいたから、足早に太平通りに出るとミレニアムタワーが綺麗に光っていた。それを背景の一部として帰路に変えるサラリーマンや、遊びに向かうスカートの短い学生達の中に、私は自然とみつけてしまった。
別段いつも伸びている訳でもない背筋を、いつもよりずっと丸めて歩く青いダウンを。

「……。」

声をかけようかと一瞬悩む。その内に谷村さんは劇場前広場の前道路に曲がっていき、姿が見えなくなるまえにその背中を足早に追いかけた。
いつも堂々とスタスタ歩いていくのに、今日ばかりは足取りが重い。何かあったのだろうか、と心配で心が重い。
劇場前広場に来ると、それを西に進んで行って児童公園まで彼は歩いて行った。私は隠れることもせず、人混みを掻き分けて追いかけていく。

「…俺の名前忘れた?」

途端、追いかけていた背中が止まって、そう問い掛けられた。「え?」と声を出す前に振り返られて、相手は刑事なのだから尾行なんて浅はかな事をするものじゃないなと気恥ずかしくなってしまう。
いつから気付いていたのだろう、いや、もしかしたら太平通りからもう私の姿を見ていたのかもしれない。

「忘れてないですよ、谷村さん。」
「なんだ、忘れて声掛けらんないのかと思った。」

まさか。そう返そうとしたが、冗談を言った谷村さんの顔が曇ってしまったので言葉が出なくなった。またずしりと胸が重い。痛みに似たその苦しさが何故なのか分からなくてまた苦しい。

「なにか、ありました?」
「……。」

勇気を振り絞って掛けた言葉は返されなかった。無視をされたのではない。答えられないのだろう。事実、彼は私の方を見たまま口を閉ざしているのだから。
やがてその目が私のつま先まで落ち、再び顔へ戻ってくる。

「今日、なんかお洒落だね。こんな夜遅くまで飲み?」
「はい、帰りに見掛けたので声を掛けようかと。」

話題を逸らされそうになったからすぐに戻した。それに気づいた谷村さんは「あ」と間抜けな声を出して、両腕をやれやれと広げてみせる。

「職質される奴らっていつもこんな気持ちなのかな。」
「何も悪いことがないなら、きっとそんな気持ちもないですよ。」

そう言って私は懐に手を差し入れた。随分とご無沙汰になったパッケージを取り、中身が湿気ていないか確認。大丈夫だと安心して一本だけ先を抜き出し谷村さんに向けた。
キョトンとした顔にパッケージを更に近付けると、無言で谷村さんは一本抜き出して咥える。ライターを取り出そうとする手を制して、いつかのお返しのように私がつけた。

「…私の煙草もなかなか美味しいでしょう。」
「ん、そうだね。」
「で、白状する気になりました?」
「……。もう一本、くれない?」
「な……、」

なんで、と聞く前に空いた口に煙草が差し込まれる。パッケージを持った手を抑えられて、面食らっている間に額に口付けられた。咥えた煙草の先が潰れるくらい噛み締めてしまって、少し歯が痛い。

「物騒な街って言ったろ?」

いつの間にかパッケージを奪われて、勝手にもう一本を取った谷村さんはニヤと笑った。ああ、そうですね、物騒な街だ。心臓がドクドクと脈打ち変わらず苦しい。警官にさえ煙草を奪われ、しかも大事な心まで取られているのだから、この街は本当に物騒だ。



04.たばこはいかが?
(結局落ち込んでた訳は?)
(麻雀に負けただけ。明日には取り返すさ。)


※お題拝借
  腹を空かせた夢食い 様
  https://hirarira.com/
  


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