短編(龍が如く)

□Promise ring
1ページ/1ページ




「それは買い換えないのですか。」
「え?」

とある夜。平日に珍しく買い物に付き合ってくれた峯さんが、私の右手首についている編糸を見て呟いた。買い物帰りの休憩にと寄ったバーで、利き手でグラスを握っていたから目に入ったのだろう、良く見えるようにワイシャツの裾を少し上げた。
学生時代に必ず流行っただろう、その編糸はミサンガと呼ばれて友達同士で良くつけたものだ。最近、腕時計が壊れてしまって手首がさみしいなと思い、買い替えるまでと自分で編んで見たのだ。だが、仕事でPCを触る私はマウスを動かすごとに擦りまわる物で、糸が所々ささくれだってしまっている。
新しい物をずっと見に着けているのか、と驚くくらい身に着けている物に傷一つない峯さんの目には異様な物のように映ったのだろう。
訳を説明すると視線がやっと私の手首から離れて峯さんはグラスを煽る。

「ご自分で編んだ物なら無粋な質問でしたね、忘れてください。」
「気にしてませんよ。もうこんなになってますし、そろそろ切れそうですね。」
「それなら尚の事、無くされる前に外した方が良いのでは?」
「あれ、峯さんはミサンガをご存じないのですね。」
「…ミサンガ?」

少しばかり予感はしていたが、峯さんにチャラ付いた趣味があるわけもなく。どうやら峯さんの学生時代にミサンガの流行はなかったようだ。遭ったところで忘れているのかもしれないが。
見やすいようにと再び手首を出し、更に峯さんの方へその腕を出して見せた。茶色のテーブルはコルク柄で、私のピンクと赤のミサンガはすごく浮いて見えた。

「これを身に着ける時に一つお願い事を掛けるんです。そして、そのミサンガが切れた時、掛けた願い事が叶うってもので。学生が好きそうなジンクスでしょう。」
「ええ、女性が好きそうなものですね。」
「私も女性の端くれな物で。」

峯さんは表情こそ笑っていなかったが、和やかな雰囲気を口調に感じたので私が代わりに笑っておいた。チャームの皿に乗った銀紙に包まれたチョコレートを口に含む。
会話が少し切れてお互いの間にバーの静かなBGMが流れてくる。椅子三つ向こうのカウンターで、若いカップルが大笑いした。それに押されるように峯さんが「じゃあ」とこちらに声を掛ける。

「そのミサンガにはどんな願掛けを?」

口内で溶けかけのチョコレートを吹き出しそうになった。超現実主義な彼が真面目にこの糸の集合体に興味を持っていることにいじらしく感じたのだ。私のその様子に眉根を寄せ一瞬不快そうな顔をしたが、恨み言までは出で来なかったところを見ると飲み込んだらしい。こういう時に、峯さんの敬愛する大吾さんと仲が良くてよかったと痛感する。相手は普通の富豪の会長様ではなく、筋物の会長様だ。

「え、えーと、これは…まぁ色合い的に勝負事、とか恋愛運、とかですかね。」
「恋愛?大吾さんですか?」
「いやいや、いつかの飲み友達があんな立派になっちゃってもう私には届きませんよ。…ていうか、本当に腕時計の代わりにつけているだけなので、また今度時計を見つけたら自分で切りますよ。」
「…。」

本音に近いが、少し誇張した発言だった。大吾さんにそういった感情がないのは本当だが、恋愛やらなんやらはあわよくばなんて思っている。そして、腕時計を見つけても自分から切ることはしないだろう。私も所詮"女性の端くれ"なのだから。
私の言葉を聞いて、峯さんは何を思ったのか。左手に着けている金色の重厚な腕時計を外すと、テーブルの上に無造作に置いた。おそらく私が逆立ちしても変えないそのお金の塊にぎょっとする。

「それ、差し上げます。」
「えっ。」

なんて簡単に。バーの暗い照明にもキラキラと輝いて見せるその腕時計は凛とそこへ鎮座している。私の腕に着けても、きっとこの時計は似合わないどころか私が"つけられている"状態になるだろう。
わたわた慌てていると、峯さんは今日初めて口角を上げて見せる。

「だから、俺にも同じものを作ってくれませんか。俺も掛けたい願がありまして。色も模様も、貴方に任せます。」

それだけ言って、峯さんはまたグラスを傾けた。会話はそこで途切れ、次の話題はいつもの大吾さんの話に戻った。
結局峯さんからその腕時計を頂戴し、後日、峯さんにミサンガを編んだが、可愛い暖色のミサンガは白いスーツからチラチラ覗いては大吾さんを笑わせ、ついでに私の手首の金色に気付いては「あぁ、そういう事か」なんて勘ぐられて恥ずかしい思いをした。

「貴方と俺の、どちらが先に切れますかね。」
「峯さん、激しい運動は避けてくださいね。すぐに切れますよ。」
「さぁ、それは約束しかねます。」

切れたか、と連日お伺い建てをされるくらいには峯さんはそれを気に入ったらしい。何を願掛けたかは大吾さんすら聞き出せなかったようだが。



3.Promise ring


次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ