短編(2BRO.)
□大人ってのは
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お風呂から上がると、兄者がビールとおつまみをテーブルに広げて待っていた。自身の傍にはまだ中身の詰まった袋が2個。どうやら私がお風呂に入っている間にコンビニに行ってきたらしい。どれだけ自分が長く入浴していたのか気付かされた。
「おう、まあ飲めよ。」
「私ビール嫌い…。」
「心配すんな、チューハイも買っといた。」
コン、と私の大好きな蜜柑味のチューハイが置かれて、私は喜んでそれに飛び付いた。ぽたりと髪から落ちた水滴が兄者の足元に飛んだらしく、タオルを頭に押し付けられる。
「ちゃんと拭いてから出て来いよ!風邪ひくだろーが!」
「こんなに部屋暖かいんだから大丈夫だよ。」
「あーもー、これだから大雑把な女は…!」
ブツブツと文句を言いながら、兄者は私の頭にタオルを擦りつける。がくがくと揺れる頭も気にせず、私はチューハイを開けて乾いた喉にそれを流し込んだ。柑橘系の酸っぱい味が舌を痺れさせ、アルコールが喉を焼く。ぐらりと一瞬で酔いが体内を駆け巡り、ふんわりと余韻を残して再び意識が戻ってきた。
「久しぶりに飲んだぁー!ほんとこれ好き!」
「お前いっつもそればっかだもんな。」
「美味しいよ、飲んでみてよ。」
「そんな弱いのじゃ俺酔えねぇから。………ん、背中こっち向けろ。」
肩をとんとんとつつかれて言われた通りに兄者に背を向けると、大きな手が私の肩を揉み始めた。関節がしっかりした男の指は凝り固まったツボをよく刺激し、時たま痛く気持ちよかった。変な悲鳴や恍惚の声を上げる度に兄者が「やめろ」とツッコミを入れる。
「兄者ぁ」
「ん?」
「ありがとね。」
「何言ってんだ?明日が本番だからな、ほら、もっと飲め。俺が酔うまで寝かせねえぞ。」
「うへぇ、兄者が酔うなんて夜が明けても無理でしょー。」
「分かってて言ってんだよ。」
肩を押しつつ、再びビールの缶を煽った兄者はアルコールの匂いを強めて私は鼻腔からも酔いを回らせていく。少ししただけで仕事に疲れた体はアルコールに根を上げ、チューハイの缶の中身を残したまま兄者の方へ背を預ける形で倒れ込んだ。頭を肩にのしかからせ、上を向いた視界には兄者のやれやれといった顔が見えて、私も笑みを浮かべて見せた。瞼が落ちる。
「寝るか?」
「……ね、る。」
虚ろに呟いた言葉は兄者に聞こえただろうか。そのまま私は意識を手放した。泥にまみれるような睡魔ではなく、心地の良い綿あめに囲まれたような甘い睡魔に囲まれて寝たのはいつぶりだろう。ああ、きっとおついちと最後に遊んで泊まった日だ。「世話のかかるお姫様だこと。」そう聞こえた声は兄者のものだったか。それとも。
「ん…。」
夢は見なかった、ように思う。少なくとも覚えているような夢は見ていない。手指を動かす感覚があって、ごろりと寝返りを打つ。自分の小さく漏れた息で目を覚ました。その途端、頭が一気に覚醒して寝ぼけ眼のまま体を勢いよく起こした。
「仕事!!」
身体に掛かっている布団が膝の上で盛り上がり、それを掴んで私はベッドを飛び降りた。壁の時計は9時を指している。始業の時間は8時。ああ、遅刻だ!洗面台に行く前に、と枕元にいつも置く携帯を探すが見つからない。充電器のコードが寂しく伸びているだけだ。ますますパニックになって、慌てて部屋を出ようと後ろを向くと力強い力で抱き締められた。
「っわ!」
「朝から元気だな、捜し物か?」
ニヤ、と口元に笑みを浮かべた兄者は私の顎を指先で押し上げると、目線を合わせて来た。そこではたと気付く。昨日、兄者に今日は一日仕事を忘れさせるって言われたんだと。だが、そうはいっても身体や脳はそれを良しとしない訳で。
兄者の腕から逃れようともがいたが、兄者は離す気がないらしく「朝メシ食おーぜ」と私の腰に手を添えてリビングへ私を引きずった。仕事に行かなければ、とパニックになる頭がまだ落ち着かないが、添えられた手に安心感を覚えて少し冷静になるように自分に言い聞かせた。
「兄者、私仕事…。」
「あ?聞こえねぇなぁ。それより飯食わせろや、腹減った。」
「携帯知らない?連絡しないと。」
「何処に?弟者?あいつはいいよ、今日予定あるって言ってたし。」
「兄者!」
ソファーに私を座らせ、隣に腰掛けた兄者は肩を抱き寄せて私を逃がさない。ひときわ大きく名を呼ぶと眉間に皺を寄せて「なんだよ。」と私を睨んだ。途端に戦慄が走って、思わず口を結ぶ。
「…行かせねぇって。」
「なんで。」
「お前のそういう顔みたくねぇんだよ。」
眉間の皺はすぐになくなり、次は眉が下がる。こんな兄者の表情、今まで見たことがなかった。今にも泣きだしそうなその顔に心がぎゅっと痛くなる。ダメだ、こんな顔をさせるために仕事をしているわけじゃないのに。私は頭を抱えて俯いた。