短編(2BRO.)

□熱帯夜
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夏って嫌いだ。暑いし、汗をかくし、だるいし、何もかも億劫になってしまう。途中のプロジェクトファイルを保存してPCを閉じた。こんな蒸し暑い夜に仕事なんてやってられない。近くに置いていた携帯を何時間ぶりかに起動して、メールと着信を確認する。

[今日も仕事?時間空いたら家おいでよ。おいしいごはん用意して待ってるよ。]

メッセージがそう届いていて、送り主である弟者の番号をタップした、メッセージの受信時間は2時間ほど前。もう食事は終えてしまっているだろう。
それでも2コールほどで弟者は通話に出た。もしもし、と自分の疲れた声を聴いて自分がまずうんざりした。

「うわぁ、疲れてる声だねえ…。今まで仕事してたの?」
「まだ途中。今から行っていい?」
「あー…でも、もう夕飯食べちゃってさ…。」

ちらりと時計を見る。短針が10のところを指していた。まだ弟者が寝るには早い時間だ。食事を終えてまったりしている時間だろうか。

「ご飯は良いよ、なんか弟者に会いたくて。」
「えー?なに、何か企んでる?」
「…。」
「あぁ、嘘嘘!」

私が黙り込むと、弟者はあわてた様子で訂正した。それと同時にガサガサと音がして、続いてバタンと扉の締まる音がする。弟者の息が反響して聞こえる。マンションを出たらしい。

「何?迎えに来てくれるの?」
「いいや?そっち行こうと思って。」
「え、いまから?」
「うん。」

次は私が慌てて立ち上がった。がたんとPC机の椅子が音を立てる。弟者の家から私の家が徒歩15分くらいだ。更に慌てて机の上に散らばる書類やエナジードリンクの缶をまとめる。
その音が受話器の向こうにも聞こえたのか、弟者がくすくすと笑った。私が仕事に没頭すると全てが蔑ろになるのは弟者は知っている。だから、隠そうとしたってその自堕落さは透けて見えるのだろうけど、わざわざこれ見よがしにする必要もないだろう。

「コンビニで何か買っていこうか?」
「いや、いいよ。家にも一応ご飯あるし。」
「あ、そう?じゃあまっすぐ行くね。」

適当に話をしてそれから通話を切った。今から会う人間と特に話す事はない。先に部屋の掃除とシャワーを済ませておこう。人に会うなんて何週間ぶりだろう。いや、言いすぎた。一昨日も弟者が無理矢理私の部屋に来たわ。

恐らく私の壊滅的な生活を気にしているのだろうが、それでも私は生きていけているし、むしろ生きる為にこうなっているのだから心配こそしてはいるが弟者は注意をしてくることはない。

ただ、生存確認のように定期的な連絡をよこしてくる。ありがたいような、失礼なような。だけど、仕事の合間に甘えたい時期がやってくるからこうして電話をするだけで、家に来てくれる弟者のやさしさに私も助かっているのだ。

「あれ、ゆっくりお風呂入ってくればよかったのに。」
「……やっぱり私弟者嫌い。」
「なんでえ!?」

シャワーから出てくると弟者がもう部屋に入っていた。部屋の合鍵は渡してある。一度、私が部屋で倒れていた時に部屋に入れず玄関を蹴破る事件があったからだ。その時は私もだいぶ痛んでいて、胃に穴が開いて倒れていたのだが。

そういえばそれからかもしれないな、弟者が心配するようになったのは。

濡れた髪のまま弟者が座るソファーの隣に腰を下ろして、首に巻いてきたタオルを渡した。怪訝そうに小首を傾げられたがすぐに理由は分かったらしく髪をわしゃわしゃと拭かれる。

「もう少し丁寧にしてよ。」
「人にしてもらっておいてわがまま言うなって!」
「…だって、絡まるじゃん。」
「絡まっても解くの俺じゃん。」
「…。」
「あ、図星ー。」

そう言いながらも幾分か優しくなった手で髪を拭かれ、満足した私は弟者の手からタオルを奪う。まだ濡れてる、と抗議する弟者を無視してキッチンに入った。お腹空いた。

「もしかして、言ってた"ご飯"、それ?」
「そうだけど。」

後ろを追いかけて来た弟者は私の手元にあるカップ麺を見てひきつった笑いをこちらに向ける。電気ケトルに水を入れて専用の台座にはめた。少し待つ。

「食生活壊滅してるでしょ…。」
「そんなん元からよ。おついちさん、ウチにも来てくれないかなー。」
「おっつんより先に自分で料理覚えた方が早いよ。」

多忙で、数えるほどしか会った事のない彼の友人を思い浮かべる。一度だけ兄者と四人で彼の料理を食べたことがあるのだが弟子入りしたいくらいにおいしかった。
その時、食事もとれないほど仕事が切羽詰まっていて、それをすべて片付けた後だったからというのもあったかもしれないが、今から食べるカップ麺よりははるかにおいしいだろう。

「俺が手伝ってやろうか?」
「弟者は味見でしょ。」
「これでも色んな所の物食べてるし、そこそこアドバイスはできると思うんだけどなぁ。」
「そういうのは兄者にお願いするわ。」
「絶対続かないでしょ、兄者容赦ないよ。」
「……確かに。」

次は彼の兄君の話になる、弟者と一緒にいるといつも会話はこんな感じだ。私との二人の話題より、特別仲の良い兄や友人の話が多い。

当たり前と言えば当たり前だ。私は仕事が忙しくて弟者と顔や声を交じ合わせても、同じ時間を消費しているだけで一緒に何かを取り組んだことはない。私が寝るまでの行動を弟者が見守って、私が寝れば彼は安心して家に帰る。そんな感じだ。

何も不満はない。見守ってくれている間は私の好きなように動いてくれるし、無条件に優しくしてくれるのだから。ただ、今日はそれだけじゃ物足りない感じがして。

「何?どうしたの、眩暈?」
「こうしたかっただけ。」

不意に弟者のそばに寄って、その逞しい体に身を寄せると優しい腕が私の体を支えた。生乾きの髪をさらりと指を一度くぐらせ、首に掛かったタオルで撫でる。

その手に手を重ねると、タオルを持つ手が止まり視線が髪から私の目に落ちて来た。

「……今日、雰囲気違うくない?」
「疲れてるだけだよ。」
「にしたって、いつもより甘えてない?」
「困る?」
「いいけど……俺、帰らなくなるよ?」
「良いよ、一緒に寝よう。」

電気ケトルの電源を消し、弟者の腕を掴んで寝室に導いた。そう言えば、弟者が家に泊まった事は一度もなかった。夜に家に来る事は何度かあったが、朝までいることはなかった。

理由はなんとなく聞いたことないが、弟者も忙しいしそういった理由なのだろうと勝手に納得していた。

ベッドに入ると、弟者はいつもと同じようにベッドに座って私を見下げる。てっきり私はそのまま一緒に寝てくれるものだと思っていたから目は閉じずに弟者を見上げた。

「本気?」
「何が?」
「いや、一緒に寝るって……。」
「本気だよ。ほら、隣入ってよ。」
「………。」

布団をめくると弟者は黙り込んでしまった。どうしたんだろう、変なことを言っているのは自覚しているが黙り込むほどのものでは無いはずだ。

それに、弟者は私の言うことをなんでも聞いてくれていたのに何故これは聞いてくれないのだろう。表情を曇らせ、弟者を再び見上げると弟者は私の方を見ていなかった。どこか宙に視線を上げている。


「あのー…さ。」
「うん。」
「レイは、さ、俺の事なんとも思ってないかも知んないけど。」
「うん。」
「俺は……レイの事、結構、その…好きって言うか……。」

「私も好きだよ。」
「い、いやっ、そういうんじゃなくてだな…!」

ばっと顔を上げた弟者は暗くても分かるほど顔を赤くしていた、そして私の顔を見てその顔を間抜けに緩ませる。きっと私も同じような顔をしているはずだ。……顔が熱い。

「え……な、何その顔……。」
「弟者もだいぶ間抜けだよ。」
「は、…まじ…?」

大きな手のひらで自分の頬を抑える弟者は女の子みたいだ。再び来いと言うように隣を示すと弟者はまだ納得いっていないのか、「でも」と続けた。

「本当、無防備すぎだよ。俺以外にもこんなことしちゃだめだよ。」
「しないよ。」
「本当?俺だけだよ。」
「勿論。」

ここまで話しているのに、甘い空気にならないのはきっと私たちに似合わないからだ。お互いがお互いを友達以上の目で見ていたなんてとっくの昔に気付いていたことだろう。弟者は優しい。私の事を大事にしてくれているのが分かる。だからこそ、私も弟者の事を大事にしたいのに。

「あー…だめ、余計に俺そこ入れない。」
「何でよ。むしろ弟者以外入れない所でしょ。」
「なんかレイ、いつもと違うし…。」
「弟者の方が女の子みたい。襲ったりしないから、おいでよ。」
「襲っ…!」

いい加減じれったくなって、顔を覆ってしまった弟者の腕を掴んで優しく引き寄せた。すんなりと弟者はこちらに上体を傾かせて、観念したように隣へ入ってきた。早くとその体を抱き寄せて、無理矢理腕を自分の頭の下へ敷いた。弟者の腕は安心する。いつかこうやって腕枕してほしかったのだ。

「うわ…レイって本当甘え上手じゃん…。」
「でしょ?弟者にだけ。」
「わかったから…今日はこれ以上俺の事からかわないで。明日改めて話聞くから…。」
「甘ーい言葉囁いていいの?」
「男前すぎでしょ…。」

満更そうでもない弟者に笑って見せる。弟者の効果は絶大だ。こんな話をしているうちにも眠たくなってきた。瞼が一瞬閉じて自然と息が深くなる。弟者もそれに気づいたらしく、私に掛け布団を掛けなおしてこちらを優しい目で見て来た。

「おやすみ、レイ。」
「おやすみ、弟者。」

明日にはまた前と同じように接することになるのだろうか。それとも顔を真っ赤にした弟者に真剣な愛の告白を受けることになるのだろうか。そんなことを考えながら、ドキドキとうるさい心臓を抱き寄せて眠りについた。

体温が共有されてじんわり汗をかく。たまには蒸し暑い夜も良いかもしれない。




8.熱帯夜


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