渚カヲル、という使徒がいた。
とは言ってもパイロットだった頃のアスカは全くその存在に関与していなかったのだが。
彼女にとって一番思い出したくない時期にカヲルはこの街に来てパイロットになった。当時アスカは精神を病んで入院し、退院する頃には最後の使徒は殲滅されていたのだから、完璧な入れ違いというやつだ。

本来はそのまま一生会話は疎か出会うことすらなかっただろう。
しかし、全てが終わった頃にカヲルは帰ってきた。なにがどうなって生きているのかは説明されてもさっぱりわからない。
アスカにわかったことは、"カヲルは今生きていて、これからも存在し続ける"という事だけ。

最初に会話する機会を持った時はそれでも警戒した。そして、警戒が全くの無意味であることもその日のうちに知ってしまった。

カヲルの姿形を見て拍子抜けし、話し方に困惑し、威圧感のなさに脱力することになる。


そんなアスカはパイロットという肩書きを失ってからは以前よりも人間として器が大きくなった。シンジに対する暴言やレイに対しての態度も和らぎ、"戦いをともに勝ち抜いた"というしっかりとした絆が出来つつあったのだ。
そうして概ね上手く行っていた所にカヲルがひょっこり帰ってきたという訳だ。




エヴァに乗らなくなってから一年が過ぎる頃には、そんな二人が会話する機会は多くあった。時にはシンジを交え、レイを交え、いつの間にかカヲルは3人に馴染んでしまっていた。

最初の頃はその生活感の無さや非常識さ、凡そ人間性のない態度に驚かされたものだ、とアスカは回想する。
けれどカヲルは少しずつ変化を重ねていった。今では周りに存在する男の子に混じって話ことも当たり前のように出来る。中でもトウジやケンスケとはとても仲良くなっていた。
外見の良さからか女の子に告白されたりもする。告白の方は全て断っているようだったが、何せ優しい断り方なので一層の事人気があがっていくのに本人は本気で困っているようだった。
女の子が次々に振られていく中でアスカやシンジはただ苦笑いするだけ。カヲルはきっと誰のことも特別にはしないだろう、と何故か確信めいた考えが存在していた。それがカヲルの境遇の所為なのかは誰にもわからない。


そんな使徒は奇妙なことに今年の春からバスケットボール部に入部して周りを酷く驚かせた。昼休みなどに助っ人として駆り出される光景はよく見るものだったが、まさか入部するとは。

何はともあれそのおかげでカヲルはますます人間に溶け込んでいった。アスカでさえ日常の中でカヲルが使徒である事実を忘れる程に。








******




「フィフス!」


帰宅中、通り道の小さな公園のバスケットゴールの下で見知った背中を発見したアスカは彼の呼び名を呼ぶ。すぐに振り向いた少年はボールを片手にアスカへと駆け寄ってきた。
最も振り向く前から自分を呼んでいる相手が誰だかはわかっていただろう。カヲルをフィフスと呼ぶのはアスカしかいない。
いくら親しくなってもアスカはカヲルを名前では呼べなかった。今更だと何だか気恥ずかしい気もするし、周囲がやたらと変化に微妙な所為もある。男子に人気があるアスカと女子に人気があるカヲルだ。そして二人とも元パイロットであり美男美女である事も要因だろう。
今ですら「渚くんと付き合ってるの?」と尋ねられることが少なくないのに、名前で呼ぶようになればもう反応が見えている。ありもしない事実で騒がれることだけは間違いない。

そんな訳で未だに使われなくなった番号で彼を呼んでいるのだが、カヲル自身も同じように返してくれるのは大いに救われる所だ。





「やぁ、セカンド。今から帰るのかい?」

「まぁね。あんたはまた練習?」



そうだよ、とカヲルは楽しそうに笑う。元々カヲルの運動神経が異常に良いことは周知の事実だったので、そんなに練習することもないだろうにとアスカは考える。
それでもカヲルは毎日のように練習を繰り返した。楽しくて仕方がないとでもいうように。

部活がない日にカヲルはこの公園を練習場に選んでいるらしく(練習場といってもゴールがあるだけのお粗末なものだが)、帰宅中のアスカと鉢合わせになる機会はここの所よくあった。



「バスケってそんなに楽しい?あんたが夢中になるなんて滅茶苦茶意外なんだけど」

「楽しいよ、だいぶ筋肉もついたしね。身長も伸びるらしいよ」



そんな風に答えながらカヲルがボールを手渡してくる。アスカはいつものように受け取って、代わりに鞄をベンチの下に置いた。


「いつもの通りでいいかな?君がゴール出来たら何か飲み物を奢るよ」

「あんたそんな事言って毎回私に負けてんじゃないの。ちょっとは進歩しなさいよね」



手厳しいな、と困ったように眉を寄せるカヲルを呆れたように見て、それからアスカはゴールまで一気に駆ける。
きっと今日もアスカの勝ちだ。


恒例となってしまった帰り道の勝負は、これまたおかしなルールなのだ。アスカがゴール出来たら勝ち。なのに、カヲルの勝利の条件は存在しない。
彼女もそれにはしっかり気付いていた。

これは勝負ではない。ただ、カヲルは「送っていくから一緒に帰ろう」と言っているだけである。
ただそう直接的に言えばアスカは素直に頷いたり出来ない。だからカヲルは会うたび勝負をもちかける。それに気付いたのはこの公園で3回目に会った時。
物でつられているような気がしないでもないが、元来素直じゃないアスカとしては有難いことだった。

勝負じゃないと言っても負けず嫌いな性格もあって、やるからには本気でかかる。カヲルもアスカに合わせて適度にディフェンスをしてくるのでそれなりに楽しめるのが良かった。
手を抜かれるのは好きではなかったが、異性同士、そして片方はバスケ部となっては致し方ない。「そこまでして私にジュース奢りたいってんなら許してやるわ」とはアスカがいつか言った台詞。



それに、カヲルとともに歩く帰り道は嫌いじゃなかった。1人で黙々と歩くよりは、話せる相手がいた方がいい。
勿論アスカがそれをカヲルに告げたことはなかったが。





*****



10分程たってアスカがゴールを奪い、勝負は終了した。決まっていた結末でも二人は気付いていない素振りを続ける。いつものように。


アスカが勝ち誇ったように笑うと、カヲルは苦笑いを返した。



「君には適わないね」

「当然でしょ!」






これが一年をかけて二人が作り上げた関係で、今の二人そのものだった。









*****








「実は、」


とカヲルが切り出したのは公園内の自販機に向かって歩いている最中の事。流石に買ってこさせるのは悪いと思ったアスカは隣を歩きながらボールを弄んでいた。
その手を止め、きょとんとしてカヲルを見る。その反応を見届けてから少年は言葉を続けた。




「今日、僕の誕生日なんだ」



「………はぁ!?」





勢いよく声をあげた所為でボールが手から転がり落ちる。
てん、てん、と特有の音を響かせながら転がったそれはカヲルの足に当たり結局アスカの足下に落ち着いた。

それを気にする風でもなく、アスカは初耳だ、と今日の記憶を辿ってみる。しかし、今日1日でカヲルが誰かに祝われているような場面は検索にヒットしなかった。
誰からも祝われないなんてこの男に限ってあり得ない。なにせ人気があるのだからプレゼントの山を持って帰るための紙袋が一つや二つあってもいい筈なのに、彼は鞄以外何も持っていなかった。
何より、シンジですらそんな事を一言も言っていなかったのに。

これは一体どういうことだと必死に答えを探していたら、「と言っても、」とカヲルがあっさりと返答を口にする。


「クラスメイトは誰も知らないんだけどね。教えたのは君が初めてだよ」


それに更に戸惑った。


「何でよ。普通誕生日ってのは友達とかに祝ってもらうもんでしょ」


アスカにだってヒカリに祝ってもらったことがある。最もそんなに主張することではないからシンジやミサト、ヒカリくらいにしか教えてはいなかったが。
それでも何処からだか噂が広まって、当日の下駄箱や机の中は悲惨だった。靴を入れる場所もなければ教科書をしまう場所もない程プレゼントがぎゅうぎゅうに詰められていた(但し全てゴミ箱に放り投げてしまったので下駄箱と机はすぐに本来の役割を取り戻したけれど)。

そういう事がカヲルにだって起きていたっておかしくはない。教えなくとも情報というものは勝手に認知されていくものだ。
それが全くないというのだから、それは異常だった。



「知られると色々と面倒だからね、その辺りは徹底しているんだ」


ネルフの人達は知っているんだけど、と続けられて漸くアスカは今日という日の重大さに気が付く。

9月13日。



セカンドインパクトが起こった日。




その日に生まれたとあっては確かに面倒なのかもしれない。まさかその日が誕生日というだけで使徒じゃないかと勘ぐられるような事はないにしても、念には念をといった所だろうか。
ミサトやリツコと違ってセカンドインパクトを体験した訳ではないアスカでは完璧に重要性を理解出来ないものの、きっとそういう事なんだろう。使徒に恨みを持つ者は少なくない。


そういえばこいつ使徒だったんだっけ、と自分が忘れかけていた事にまず驚いて、それから眉を顰める。
それにしたって、同じパイロットであり秘密を共有する自分達にまで黙っているだなんて何だか薄情な気がした。アスカはまだいいとしても友達だと自他共に認めるシンジにまで知らせていないというのは文句のつけたい所だ。使徒であるという以前に、カヲルはシンジの親友なのだから。





「…あんたねぇ、…………っ!?」




説教してやろうと足を一歩踏み出した瞬間、唐突に浮遊感が襲った。

ふわりと綺麗に体が地面から離れ、視界がカヲルを通りすぎて空を捉え始める。一瞬映ったカヲルは、驚いたように目を丸くしていた。


(ちょっと、これ倒れる訳!?この私が無様に!?大体なんで………、)


スローモーションで屈辱的な浮遊感を味わう最中、自らが落として足下に転がったボールを思い出した。あれを踏んで、滑ったのだ。
気付いてしまえばもっと屈辱的だった。間抜けすぎる、と悔やんでも仕方がない。そう遠くないうちに訪れる後頭部への衝撃に備えて、アスカは覚悟を決めなければいけなかった。


この一連の思考はコンマ何秒だっただろうか。
突然視界に銀髪と珍しく焦ったようなカヲルの表情が飛び込んできた。


「セカンド!!」


そう呼ばれてアスカの時間は急速に正常へと戻った。スローモーションだったのが嘘のように状況は変化する。
宙に浮かんだ二の腕をしっかりと掴まれた。恐らくセカンド、と叫んだ奴がその手の持ち主だろう。
ぐい、と引き上げられるような感覚。アスカが地面に叩きつけられるのをカヲルが阻止する事に成功したのだ。


と、思ったつかの間。


掴んだものの引き上げるには至らず、重力に従って二人は呆気なく地面に落下した。
ぼふ、と情けないような鈍い音が響く。

けれど、思っていたような痛みはない。もっと衝撃が走ると思っていたのに。
アスカはいつの間にかぎゅっと閉じてしまっていたらしい目を恐る恐る開く。

始めに映ったのは白だった。
それをカヲルのワイシャツだと認識したのは数秒後のこと。


「………あんた、筋肉ついたとか言ってなかったっけ」


言ったね、と耳元からカヲルの声が聞こえる。
現在の体勢と言えばまるで抱き合っているようなものだったのだが、唐突に起きた出来事を認識するので精一杯の二人にはそんなことはどうでも良かった。



「だったら私1人くらい簡単に引き上げなさいよ!まるでこれじゃあ私が重いみたいじゃないのよっ!!」

「はは、そんな事はなかったんだけど。重力には逆らえなかったよ、ごめん。怪我はないかい?」



カヲルがそう言いながら顔を上げた事によって始めてアスカはこの状況に気付いた。恐らくカヲルもそうだっただろう。
ない、と告げようとした口のままアスカは停止する。


「…………」


抱き合っているような状態。それはまだいい。厳密にはよくないのだが。
それより何より、至近距離で見つめ合っているという方が彼女にとって問題だった。
きょろりとカヲルの真っ赤な目がアスカを覗く。かっちりと合ったままの視線は動かせない。


カヲルの左腕が自分の頭の下に敷かれていることと、カヲルが抱き締めるようにして庇ったお陰で殆ど痛みがなかったことも同時に理解した。


本来であれば彼女はすぐさま自分の上から退くようにと叫びだしたかった。
しかしそれを躊躇ったのは最初にかけるべき言葉があるんじゃないかと過ったからだった。


今回のことに関してカヲルに非はない。アスカが勝手に滑って転んだだけだ。それなのにカヲルが引き上げられなかったからといって文句を言うのは理不尽ではないか。
もしかしたらアスカが痛くなかった分カヲルは痛かったかもしれない。そうだとすればまさに身を犠牲にして守ってくれたのだ。礼の一つや二つ言うべきかもしれない。

けれど、口からぽろりと零れ落ちた言葉は感謝ではなかった。




「…………誕生日、オメデトウ」




彼女は悲しいかな、自分の性格を理解しきっていた。感謝など伝えられる筈がない。謝罪などもっての他。
そうして探しあてた言葉が誕生日への祝辞だった。

それでも「何でこの状況で」だとか、「もっと言うことあるでしょーが!」と心で後悔するのは忘れない。誰がどう見ても状況に相応しい言葉じゃないことは明白だった。


(…ま、まぁ。お祝いどころか説教するつもりだったんだし、それが無くなっただけ有難いと思うべきよね)



カヲルが先程のように驚いたような顔を見せたのと同時に開き直る。普段友人や同居人とですらこんな距離で会話をしたことがないアスカの思考は完璧に乱されていた。通常の彼女であればどんな言葉を探したとしても決して「おめでとう」などと言わないであろうことにも気付かないくらいには。

否、大抵の人間は彼女と同じ状態に陥るだろう。普段の生活で至近距離から見つめ合うというシチュエーションは滅多にあることではない。

けれどアスカの言葉に驚いてはいたものの、カヲルは異常なまでに普通だった。それに気付いて一気に脱力する。
カヲルがこんなことで動揺する筈もない。
至近距離、ましてや異性同士ということすら特に驚くことではないのだ、彼にとっては。

それを知っていながら動揺したことが悔しくなって、アスカは口を開こうとする。




不意に、カヲルが微笑んだ。




柔らかく、温かく、嬉しそうに。

酷く人間臭い顔で。








(   、)







不覚にも心臓が跳ねて、一瞬見惚れた。
色々な出来事が重なったからかもしれない。その"不覚"にすら気付かないままアスカはカヲルを見つめる。


ゆっくりと彼の唇が動いた。
言葉の形に。
アスカの目はそれを呆然と追い掛ける。










「好きだよ」










数秒遅れてその言葉を認識した。今度はアスカが目を見開く番だった。
無造作に広がった髪や、投げ出されたままの腕をどうにかしようと考える余裕は今の彼女にはない。

とんでもない爆弾発言をした少年は笑っている。ただ、笑っている。










じりじりと太陽がカヲルの背を焼く。真っ白な少年も来年のこの日には少しだけ変わっているのかもしれない。この一年で多彩な変化をしてきたように。
好きなものだってきっと増える。嫌いなものすら出来るかもしれない。他にだって変わる事は沢山ある。形を変えていく。でも、それはきっと歓迎すべき事なのだ。







二人は体を起こすでもなく、会話をするでもなくただ静止していた。アスカは真意を探るように、カヲルは何故だか楽しそうに。


たっぷりと時間をかけてから、何かを諦めるように一度だけため息を吐いてアスカは口を開いた。







「………あんたって、本当にバカね」







この状況でよくもまあそんな事を言えたものだ。
……しかし、その点について先程の事があるので中々咎めにくい。だから、許してやってもいい。
誕生日を教えなかったことも、これが恐らく恋愛としての告白で、こんなムードも何もあったもんじゃない場所でのものであったことも。



その銀髪をぐい、と引くとカヲルが困った顔をしたので内心ほくそ笑んでやる。もっと困って、悩んで、私に振り回されればいいんだと舌を出した。

返事もしていないと言うのにカヲルはやっぱり嬉しそうだった。溢れんばかりの笑顔で起き上がると、手を差し出してくる。ばーか、ともう一度憎まれ口を叩きながらも心臓が跳ねているのをしっかりと認識して。


差し出された手を取りながら、視線を外して考えた。





今日くらいはジュースを奢ってやってもいいかもしれない、と。













*******



カヲルくんおめでとう^^
青春させてみました。いいじゃないか、妄想だもの!




100913.
title:≠エーテル

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