長編


□第四章
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「最近御崎先輩が冷たいって、紫乃さんが嘆いてましたよ」

 唐突な言葉に、御崎は目を丸くして晃一を見返した。その顔には非難の色がありありと見てとれる。彼の意図が読めた気がして、御崎はうんざりとした。付き合いは自分との方が長い筈なのに、晃一は何かと紫乃の肩を持つ。

「あ、待てよ。お前の腹は読めたぞ。だからその先は一切聞かないことにする。さあ、仕事へ戻れ」

「俺が何を言いたいかわかるんですか?」

「俺を詰ろうとしてるんだろ。絶対に耳は貸さないからな」

「てことはやっぱり思い当たるふしがあるんですね」

 それでもなお、晃一は引かなかった。わざとらしく目を細めて、御崎の顔を覗きこんでくる。米を研ぐ手を止めると、御崎は盛大にため息を吐き出した。

「あのなあ、晃一。お前は俺よりあいつの言い分を鵜呑みにするのか。俺の意見は聞かずに」

「そんなことありませんよ。俺はいつだって先輩の味方です」

「そうかな。あいつのことになると、なにかと責められてる気がするけど」

「やだなあ、気のせいですよ。───あ、そういえば今日店に来るって紫乃さんからメールがありましたけど……」

 濡れた手をタオルで拭い、御崎が頷く。

「駒野君も一緒にって言ってたから、一応カウンター空けとくか。混んでたら案内頼むな」

「了解です」

 夜の七時を回った頃、紫乃が駒野を伴って店に現れた。だが連れは彼だけではなかったようだ。続けて後ろから暖簾をくぐる男二人を、紫乃が親指で軽く示した。

「北村さんとその従者も一緒やで」

 服の上下を黒で揃えた北村の隣に、水色のTシャツを着た若い男が立っている。彼は紫乃を睨み、不服そうに言い放った。

「おい、従者ってなんだ。俺は北村さんの部下だぞ」

「似たようなもんやろ」

「もういいから、お前は黙ってろ。ややこしくなる」

 抗弁しかけた男を遮ったのは、北村だった。彼は御崎に目を向けると、男の肩を叩いて簡単に紹介した。

「あ、これ俺の部下の斉木ね。彼がここの店主の御崎君」

 御崎はいつものようににこやかに片手を差し出し、改めて名前を名乗った。その手と御崎の顔を交互に見つめてから、斉木が不思議そうな面持ちで手を握り返す。
 
「今ちょうどテーブルが埋まったところで……カウンターでも大丈夫ですか?」

「ああ、いいよいいよ。気にしないで。急に押しかけて悪いね」

「いいえ、とんでもない。いつでも大歓迎です」

 晃一がお通しの小鉢をカウンターに並べている間、御崎は紫乃に耳打ちをした。

「連絡くれたら席空けておいたのに」

「いやそれがな、向かう途中で偶然会ってん。聞いたら二人も晩飯まだって言うから、じゃあ一緒にって話になって───ていうか久しぶりやな、御崎さん。相変わらず美しくて惚れ惚れするわ」

「……どうも」

 御崎は腰を伸ばし、正面に座る四人に笑いかけた。

「さて、皆さんなに飲みます?」

「俺達はいつもビールからだけど、斉木はどうすんだ。お前、酒飲めたっけ」

「飲めますよ。じゃあ俺もビールで。っていうか北村さん、俺と何回か飲みに行ってるでしょ」

「あれ、そうだっけ。二人で?」

「違います!課の集まりとか!」

「なんでそんな怒ってんの?」

 御崎はビールを用意しながら、二人のやり取りに笑みを零した。

「こいつ、全然刑事に見えないだろ」

 北村が顎をしゃくって斉木を示す。御崎は不躾にならない程度の視線で、斉木を控え目に観察した。確かに、彼が北村と同じ刑事とは驚きだった。身体の線も細く、整った顔立ちは中性的で柔和だ。童顔なので、言われなければ酒を出すのを躊躇ってしまいそうになる。

「俺のこと未成年だと思ったでしょ。こう見えても二十九ですよ」

 斉木はビールを一気に呷り、何故か挑むような目つきで御崎を見上げた。

「御崎さんのことは北村さんから聞いてますよ。いやあ、実際お会いしてみると本当にお綺麗で。あ、唐揚げください。こんなに素敵なお店も持たれて、立派ですね」

「なんで間に唐揚げ挟むねん」

「はは、どうもありがとう」

 御崎は破顔して笑うと、褒めてくれたことに礼を言った。早速調理に取りかかろうとするその姿を、ビールを喉に流しこみながら、横目で斉木がしげしげと眺めてくる。

「はあ、なるほど。北村さんはああいう人が好みなんですか」

 隣で北村がビールを噴き出しそうになる。

「は?」

「綺麗だ綺麗だって、そればっかり言ってたじゃないですか。違うんですか」

「お前なに言ってんの」

「じゃあ、ああいう色っぽい感じの女性が好きなんですか。そもそも俺に色気が無いって?ふざけんなこの野郎。俺は可愛いキャラで通ってんだよ」

「馬鹿、落ち着け。お前、まさかもう酔ってんのか」

「キャラって言っちゃってるけど、大丈夫かこの人」

 駒野が僅かに身を引きながら、困惑の入り混ざった視線を投げかける。紫乃はやれやれと肩で息をついた。

「全部北村さんのせいやな」

「俺かよ」

「だって、さっきからずっと北村さんに怒ってるやん」

「俺は部下にこんな理不尽な怒られ方される覚えはないぞ」

「ええ、嘘やろ。ここにも鈍いのがおったな。鈍感ランキングがあったら御崎さんの次点で北村さんやで。ほんま酷いおっさんやな、斉木君が可哀想やわ」

「紫乃さん、わかってくれますか」

「痛いほどわかるよ。俺なんか誰かさんのせいで一年以上も悩まされてるからな。それも進行形で」

「その誰かさんって誰のことだよ」

 唐揚げを盛った皿をカウンターに置きながら、御崎が低い声で唸った。

「紫乃君はもうビールはいらないのかな」

「ごめんなさい、飲みます」

「そう。酔い過ぎないようにしろよ」

 御崎は不敵に一笑すると、身を翻して去っていった。呆然とする紫乃の耳元で、駒野がからかうように呟く。

「御崎さんのほうが何枚も上手だな」

「ほら、斉木、一旦酒は止めてこれ食えよ。お前が頼んだんだろ?御崎君の料理はどれも美味いぞ」

 北村が唐揚げの皿を斉木の前に寄せた。空きっ腹にアルコールがよくなかったのだと思い、とりあえず食えと進めるが、斉木はますます不機嫌そうに眉間の皺を深めた。

「なんですかそれ。あの人に胃袋掴まれてるんですか」

 北村は舌打ちをし、らちが明かないといった様子で箸を持ち上げた。

「おら、黙って口開けろ。俺が入れてやるから」

 斉木の全ての動きがぴたりと静止した。何故か頬を赤らめ、恥じ入るように北村の顔を見る。

「あの、ちょっと今のもう一回言ってもらってもいいですか。携帯に録音したいので……」

「はあ?」

 紫乃と駒野は同時に吹き出し、腹を抱えて笑った。

「なに笑ってんだ」

「そこは言うといたろうや、北村さん。それで斉木君もしばらく落ち着くやろ。ていうかずっと思ってたんやけど、北村さんの私服のセンスなに?足の先まで真っ黒やん。アサシンか」

「実はそれ、俺も思ってました」

「お前らなあ、警察官をおちょくるなよ」

「……あっ、この唐揚げ凄い美味い」

 斉木は口に唐揚げを頬張り、感動したようにぽつりと呟いた。相好を崩して笑い合う彼等を眺めながら、御崎はこの瞬間の幸福を密かに味わっていた。


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