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□スマイリー
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「約束は守らせて貰います。彼のもとに数日以内に連絡が行くと思いますよ」
丸井にそう告げて、すぐさま背を向けた。
遠野の置いていったバッジを拾い上げると、鬼と目が合った。鬼は無言で手を差し出した。平等院を見遣ると君島に軽く頷いてみせる。君島は鬼にNO8のバッジを預けた。
君島の胸には確かな充足感が広がっていた。当面の間遠野と行動を共にしなくて済む。そのことに口笛を吹きたい気分だった。
ふと、顔に違和感を覚えた。ああそうだ。殺し屋にぶつけられた箇所にガーゼを貼っていた。こともあろうか顔に直撃されるなんて。しかも忌々しい処刑人は、裏切りを重ねた中学生への罵倒を口にしながらも、その表情は凶悪なまでに輝いていた。処刑の対象が増えて喜ばしい、と言わんばかりに。遠野の表情と共にその瞬間に抱いた感情をリピートしそうになったところで、記憶の中の映像を断ち切った。
今は気分が良かった。試合の結果に満足していた。久しく感じていなかった清々しい勝利の余韻にしばらくは浸って居たかった。
鏡を取り出して口角を上げてみせる。いつも通り、正確な笑顔だった。目障りかと思われたガーゼも眼鏡のフレームがかぶる位置で、それ程目立たない。曇りの無い表情に改めて満ちたりる想いだった。

「遠野の様子見てきてくれへん?」
種ヶ島の頼みに君島は目を見張った。
「私が、ですか?」
「相当堪えとると思うねん、怪我の再発ってのは。今回のは事故みたいなもんやけど」
君島はあえて動揺を隠さなかった。事実、種ヶ島の意図が読めなかった。
「しかし、そう言われましても」
「あいつが個人として喜んで絡みにいくの、自分くらいやろ?」
種ヶ島は君島を指差して言った。君島は小さく、悩ましげにため息をついた。
「今は誰が行っても同じだと思いますが」
「パートナー同士、今日のミーティングも兼ねてな。頼むわ」
パートナー。そのワードに心は一瞬で冷え切った。先ほどの充足感が嘘のように跡形もなかった。既に自分を守るのに何の役にも立たなくなっていた。
そんな心を隠して、種ヶ島に薄く微笑んだ。
「善処しましょう」

「礼にはおよばねえ」
「は?」
ひとしきり暴れた形跡の残る医務室のベッドの上で遠野は口の端を持ち上げてみせた。
「キミ様の顔に球ぶつける不届きな野郎を処刑してやったことなら礼を言われるまでもねぇよ。介錯も決まらなかったしな」
君島は言葉を失った。呆然とした表情で遠野を見た。
「話って、それじゃねえの?」
「いえ、私は……」
「あ、それとも怒ってんのか?中学生1人処刑できなかったことにさぁ」
理性を総動員させて心を鎮めた。
「今後の話をしましょう。遠野くんがリハビリに専念するなら、W杯までの間、私達がダブルスを組む機会は無いでしょう。今日の試合が最後になるとは思ってもいませんでしたが」
「この程度の怪我、すぐに治してやるよ」
「強がりを」
君島は微笑んでみせた。
「無理に動かそうとしたら余計に痛めますよ。くれぐれもお大事にね」
そう言うと遠野は険しい顔を向けた。
「何か?」
「適当なこと言ってんじゃねぇぞ」
「適当?心外ですね。私なりに君のことを慮っているつもりですが、伝わっていないようなら残念でなりません」
「当たり障りの無い言動が気に食わねぇんだよ。薄ら笑いで馬鹿でも言えるようなことペラペラ垂れ流しやがって」
君島はため息をついた。遠野にも聴こえている筈だが、配慮はしない。
「見舞いに来ただけで期待されても困ります」
「お前だから言ってんだよ。お前いつももっと面白いだろ」
君島は絶句した。
「そんな風に思っていたのですか私のことを……」
遠野は当然のように頷く。からかったりしている様子はない。
君島は取り繕わず、冷め切った視線を遠野に向けてから背も向けた。
「とにかく、お疲れ様でした。遠野くん」
「待て。ついでにちょっと手貸せ。医者のやつと適当に話しててくれよ。その間にこっそり出てくから」
「まだ安静にしていたほうが身体の為ですよ」
「俺の為に何が良いかは俺だけが知ってんだよ」
既に遠野はベッドを降りて、足を引きずりながら医務室の出口を窺っていた。左膝から転ぶよう後姿を蹴り倒したい衝動に駆られたが、そういう粗暴なやり方は自分に相応しくない。むしろリハビリを焦って悪化するなら上々の結果と言える。遠野に協力するのは癪だが、望みを叶えてやることにした。
医療スタッフに近づき、ダブルスパートナーとして医師の話を訊きたい、遠野の話は要領を得ない、という旨を伝えた。スタッフが姿を消したのと同時に遠野の動く気配がした。

医務室を出て息を吐いた。酷く脱力した気分だった。近くの壁にもたれて目を閉じた。
遠野はまるで堪えた様子を見せない。何かが変わることを期待していたのだろうか。
遠野の心身への影響などはどうでもいい。重要なのはダブルスを解消するという目的を達成できたことだ。そう言い聞かせてもどこか気分は晴れなかった。
ふと視線を感じて顔を上げた。見られることなど日常茶飯事だが、視線の先の人物は剣呑な気配を纏っていた。


「ごきげんよう」
おどけた口調で木手へと笑いかけた。殺し屋と呼ばれる男は据わった目で君島を見据えていた。
「身体の調子は如何ですか?彼の技は強烈でしょう」
声を掛けてみると、木手は僅かに目を細めた。それから静かな口調で言った。
「お陰様で処刑は完了していないようですからね。大したことはありませんよ」
強がりを。
先程の遠野へと同じ言葉を口にはせず微笑んでみせた。
「私はアナタの手の平で踊らされていたわけですね。丸井くんにはなんと言って交渉を持ちかけたのですか」
「君と同じですよ。遠野の傷を狙うのを条件に相応の見返りを約束しました。もっとも彼と違って君は気に入ってくれなかったようですが」
にこやかな君島とは対照的に、木手は不快感を露わに眉をしかめた。
「私のパートナーの座はお気に召しませんでしたか」
「自分の手を汚そうとしない人間など信用に値しませんね」
「おや」
思いもよらなかった言葉に思わず笑みが零れた。胸に広がるものは暖かくはないが、それでも心からの笑みには違いない。
言うとおりにしていれば先の試合の主役は君だったのに。
「君も案外純粋なんですねぇ……」
くすくすと笑う君島に木手は言った。
「良かったのですか。巻き込んだ人数が多いほどアナタの企てたことは広まってしまうのでは」
「丸井くんのことは信用してるのでね。もちろん君のことも。仮に咎められることがあってもその時にまた交渉するだけですよ」
木手は諦めた様子で首を振ってため息を吐いた。
「ご自慢の交渉でダブルスも円満解消しては如何です?」

遠野をアシストして勝利へ導く度、奴は耳障りな奇声を上げ目を輝かせた。君島は冷めた心でただ悠然と構えていた。
試合の後、勝利以上に処刑技が決まったことの興奮冷めやらぬ遠野にあまり調子に乗るなと釘を刺した。
「何故私達が組まされてるとお思いですか」
きょとんとした何も考えて無さそうな表情の遠野に君島は言った。
「君はあまりにも周りが見えて無さ過ぎる。世界に処刑の畳み掛けで勝てる相手はほぼいません。私のようにゲームを組み立てるパートナーがいなければたちまち足下を掬われるでしょう」
「じゃあいいんじゃねえの?お前居んだから」
君島は言葉を失った。遠野は不敵に微笑んだ。
「お前と俺なら世界に通用するってことだろ。俺と組めることをもっと誇っていいんだぜ?処刑技を駆使する俺に乗っかって、裁きを下す権限を持ってるようなもんで悪い気はしねぇだろ?」
「この流れでよくもそんなことが言えますね……」
君島の声が震えているのにも構わず、遠野は愉快そうに笑った。
「だって大好きだろ?血生臭いの。試合中からいつもゾクゾクするような表情してんじゃねぇか」
「馬鹿な」君島は吐き捨てた。遠野はその表情に目を輝かせた。
「ほらそれ!今の顔だよ!」
己に酔いしれた遠野が、熱に浮かされた目で笑いかけた。
「好きだぜ君島。お前のその人殺しのような目」
まじまじと見つめたその表情は邪悪と形容する他無かったが、若干の照れが含まれていることに、それなりの付き合いで読み取れるようになってしまっていた。
「失礼な」
心外であった。心を隠せずそう告げた。
君島にとって本心のままに感情を曝け出すのは非常に不道徳で恥ずべき行為だった。それゆえ遠野には苛立たされるばかりだった。代表に選出されたメンバーの中で素直に感情を表現するのは遠野だけではなかったが、それでもダブルスを組んで以来、日に日に強まっていく感情の抑制に努力を要した。
そのはずだった。これまでどんな相手にもそうしてきたように、たとえ不快極まりない遠野の前でも綺麗に笑えてるはずだった。
「素直になれよ君島ァ!」
何がそんなに面白いのか顔中に笑みを浮かべた遠野が君島の背中をバシバシと叩いた。君島は顔をしかめ、それから静かに言った。
「それも、いいかもしれませんね」

消灯時間直前、君島の部屋に来訪を告げるノックの音がした。扉を開けると堅い表情の丸井が立っていた。
「なにかな?」
招き入れて笑みを浮かべた。親しみではなく、優位性を示すためだった。
「君島さんの連絡先、教えてもらえませんか?」
「どうして?なにか心配かい?」
笑顔のまま、間を置かず丸井に問いかける。
「なんつーか、仲良くしてもらえませんか?キミ様は俺に親身になってくれたって。そういう風にしてもらえませんか」
そう言ってぎこちなく、恐らくは無理矢理笑ってみせる丸井に、君島は作り物ではない笑顔を向けた。
「悪くないね。嫌いじゃないよ、そういうの」
テニス関連で使っている端末に登録を済ませると、丸井は君島を見上げた。
「何でパートナーを?」
そこまで憎むのか、と聞きたいのだろう。
「元々僕と組んでいたパートナーは奴にテニスを奪われた……そんな理由だったら納得してもらえるかな?」
「それなら……もし相棒がそうなったとしたら、俺だったら自分の手で同じ目に逢わせてやらないと気が済まないですね」
変わらずにこやかな笑みを浮かべたままの君島から、丸井は気まずそうに目を逸らした。時計をちらりと見遣って軽く頭を下げて、背を向けようとしたのを思い留まったように、再び君島に向かい合った。
「あの、俺本当に、君島さんのこと嫌いじゃないんで」
君島は不思議そうな顔を向けた。
「なんか、伝えておきたかったんです。聞かなかったことにしても構いません」
「お人好しが過ぎるのも、どうかと思うよ」
「そんなんじゃないですよ」
自嘲を浮かべた丸井を見つめた。
「そうだね」
静かな声で君島は言った。

それから数日はW杯に向けての鍛練と仕事のスケジュールの調整に追われた。部屋こそ隣同士のままだったが、生活サイクルの違いからか、遠目に見かける以外は遠野と遭遇することは無かった。
そんな日々を送る中、久方振りに遠野の笑う声が鼓膜を揺らした時は、思わず足が止まった。
君島の目に殺し屋に絡んでいる遠野の姿が飛び込んできた。激しい試合を繰り広げた2人ということもあって、遠巻きに眺めるものも少なくなかった。立ち止まって見つめる君島の横に種ヶ島が並んだ。
「ここんとこのお気にやって」そう言って木手を指差した。
「意外ですね……遠野くんが敗者に関心を持つなんて」
「まだ介錯が済んでないとか言うてん。キテレツのほうも殺し屋の名が廃るとか言って遠野との再戦諦めてないらしいわ」
不遜な中学生に絡む彼は新しいおもちゃを見つけた子供のような目をしていた。嬉々とした様子の遠野に対し、木手は心を閉ざした、石のような無表情で淡々と受け流している。
君島はその場に立ち尽くして2人を見つめていた。
あれはさながら遠野と自分ではないか。
何も変わらない。遠野は代替を見つけるだけで、何も変わりはしないのだ。
それでいい。これ以上関わりを持ちたくなどない。その考えに切り替えるまで、君島としては短くない時間を要した。
そして自分も。
口角を上げてみせる。息をするくらい自然に身に着いた動作だった。表情筋が固定されてはどうしても作り物めいた印象を与えてしまう為、バリエーションをつけるよう鏡で常に自分の顔を確認していた。
何も変わっていない、完璧な角度で、それでいて新鮮な印象を与える笑顔に違いない。
それでも今は鏡を見る気になれなかった。


2017/08/06



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