CP1

□ダメージ
1ページ/2ページ


応急処置は試合中に済ませたが、検査と治療を受けることを命じられ木手と丸井は医務室に向かっていた。付き添いを申し出たチームメイト達にはそれよりも代わりに試合を見届けるよう頼んだ。
「もっと早い段階で協力しておくべきでしたね」
木手の横を歩いていた丸井が目を瞬かせた。
「交渉されたことをアナタに伝えていたら、という話です。今だから言えることですが」
「そうは言っても処刑の囮役はゴメンだぜ?」
「確かにね」
ジロリと横目で丸井を睨んだ。比嘉中の面々なら震え上がる眼付きだったが丸井は眉を上げてみせただけだった。
「お互い様だろい」
殺し屋はしばらく丸井を睨み付けていたが、結局は何も言わずに味の薄くなってきたガムを噛み続けた。
試合は結局君島の一人勝ちといったところだった。彼は自分の手を汚すことなく試合に勝利し遠野を排除することにも成功した。君島を侮っていたつもりは無かった。だからこそ交渉に乗った振りさえして隙をついて反撃に出た。
「俺だってお前が交渉されてたなんて思わなかったよ、君様も自分の相方の膝狙うよう言っておいてよ。まあ勝たせてくれるわけじゃなかった、てことだろ」
「しかし意外ですね。アナタがそのような取り引きに応じるとは」
「え?あ、あぁ」
「まあ、あのような人間相手なら良心の咎めをそれほど感じなくて済むのでしょうが」
「あのな、別に俺だってお前が思ってるような、っと……」
丸井がはたと足を止めた。視線の先には足を引きずって進む遠野の姿があった。丸井の表情が強張って見えるのは気のせいではないだろう。
「向こうから回りましょう」
木手は反対側の道を示した。先導して踵を返すが丸井は動かなかった。その場に立ち尽くして遠野を見つめていた。
「いきましょう」
何か言いかけた丸井を遮るように肩を押して行くべき方向へ振り向かせた。
「私がやっていれば、そんな顔をさせずに済んだのですね」
「キテレツどうした?」
「本心ですよ。アナタには少々荷が重かったように見える」
「俺が選んだことだ、後悔なんてねーよ。それに処刑されんのはゴメンだってさっきも言ったろ」
木手が背後を見遣ると、既に遠野の姿は見えなくなっていた。


君島に交渉を持ち掛けられた時、考慮に値しない内容だと思った。遠野の古傷について聞かされたとき得心がいった。明け渡せる座は遠野のものだけ、だからパートナーを切り捨てろ、そう君島は言った。その瞬間木手の標的は決まった。
試合には敗れ、バッジも手に入らなかったが後悔は無かった。気にかかることがあるとすれば丸井のことだった。君島となんらかのやり取りがあったようだが、遠野がコートに置いていったバッジはそのままだった。
丸井がどのような交渉をされたかはわからない。ただそれが試合やレギュラー争いに関係ないものだとしたら、そもそも同じフィールドに立っていないことになる。
夏に感じた焦燥とは違う。自分の力が及ばないところで裏から手を回す人間がいる。そんなことが許されていい筈がなかった。



前方に見えた姿に思わず足が止まる。
医務室の前に君島がいた。どこか疲れた様子のぼんやりとした何も見ていないような表情が垣間見えた気がしたが、木手の存在に気付くと僅かに目を見張って、すぐに笑顔を見せた。
「ごきげんよう」
おどけた口調で君島が優雅に微笑みかける。試合にまつわる中での冷徹な表情を目の当たりにした後では分厚い仮面にしか見えなかった。
「身体の調子は如何ですか?彼の技は強烈でしょう」
「お陰様で処刑は完了していないようですからね。大したことはありませんよ」
そう言ってみせたところで君島は変わらず笑みを浮かべている。
「私はアナタの手の平で踊らされていたわけですね。丸井くんにはなんと言って交渉を持ちかけたのですか」
「君と同じですよ。遠野の傷を狙うのを条件に相応の見返りを約束しました。もっとも彼と違って君は気に入ってくれなかったようですが」
まったく悪びれる様子のない穏やかな口調だった。
「私のパートナーの座はお気に召しませんでしたか」
「自分の手を汚そうとしない人間など信用に値しませんね」
「おや、君も案外純粋なんですねぇ……」
君島は心底可笑しそうに顔を綻ばせた。
「良かったのですか。巻き込んだ人数が多いほどアナタの企てたことは広まってしまうのでは」
「丸井くんのことは信用してるのでね。もちろん君のことも。仮に咎められることがあってもその時にまた交渉するだけですよ」
昨日の交渉の時と変わらない。自分の思い通りにならないことなどないと言わんばかりだ。何を言ってもするりとかわされてしまうだろう。木手は首を振ってため息を吐いた。
「ご自慢の交渉でダブルスも円満解消しては如何です?」
何気なく発した言葉だった。
木手の発言を受けた君島からは、見間違いかと思えるほどの一瞬死んだように表情が消え去り、そうして目から光の消えた笑みを浮かべた。
「反骨精神も大概にしたほうがいいな。これから世界と戦うなら、相手を知ることも重要だよ」
「……そのつもりですよ」
貼り付けたような笑顔を見せて君島は立ち去った。足音が完全に消えてから思わず息を吐いた。
君島のような男がわかり易い恫喝をしてくるとは予想外だった。
一体何が逆鱗に触れたというのだろう。敗北した中学生の戯言に交渉人としてのプライドを傷つけられたとでもいうのか。



夜も深まった頃、ひどく喉が渇いて目が覚めた。傷が熱を発して体温が上がっていた。床で寝ている田仁志に躓きそうになりながら、切らした水を補充するため部屋を出た。     
階下の共用のシンクで、火照った身体に染み込ませるように少しずつ水分を取り、空になったペットボトルに水を注いだ。
非常灯以外の照明が落ちた廊下を歩くと、曲がり角の薄闇の中に人影が見えた。壁に手をついて半身を支えている姿はすぐに像を結んだ。

「君島?」
遠野は木手に向けてそう呼びかけた。
探るような目が木手を捉えると、身を乗り出してじろじろと眺めた。
「ん?お前……昼間のリーゼントか」
相手は怪我人だったが、傷を負った箇所が警告を発し、本能的に身構えていた。
「何やってんだこんな時間に。夜討ちか?」
「まさか……アナタにやられた傷のせいで目が覚めたんですよ」
そう言ってやると遠野は目をぎらつかせて、口の端を上げた。
「まぁ、今のアナタならたとえコートの上だろうが恐れる必要は無さそうですが」
口ではそう言いつつ、身体は緊張を緩めない。遠野の瞳に怒りが宿り、身体を震わせて哄笑を上げた。
「無様な姿晒してたやつが言うじゃねぇか!精々あのガムに感謝しとけよ?」
「むしろ謝らなくてはいけない。アナタには理解できないでしょうが」
「裏切ってゴメンナサイって?」
「やっぱり」
木手は密かに呆れた。目的と手段が同一のこの男にとって、手を汚すことは何の意味も持たないのだろう。
「気に入らねぇな」
遠野は木手を睨みつけた。
「何でも知ってます、みたいな面しやがって。テメェの思い通りにならないことなんかないと思ってんだろ?甘いんだよ。君島と一緒だぜ」
「君島……先輩が?」
「おぅ」遠野は何故だか誇らしげな表情で頷いた。
「表の顔はニコニコ愛想振りまいてる芸能人サマだがとんでもねえ、あいつは悪党だぜ。そこら辺のチンピラとは比べ物になんねぇ、中世の役人みたいな凶悪なツラが本性の大悪党だ」
「へぇ……」
君島とてこの男にだけは悪党呼ばわりされたくないだろうが、そういったところで遠野の悪辣さが君島が悪党ではないことの証明にはなり得ない。
「お前も見ただろ?お前の蛇責めとかいう技喰らったときのあいつの表情。あんな自分以外の全ては魑魅魍魎塵芥かのように見下す目をした奴は世界にだって中々いなかったぜ」
「大ハブです。あまりパートナーを刺激しないほうが良いですよ」
「刺激?俺が褒めるなんて滅多にないのに」
「ご自分の感性を信じすぎないほうが良いということです」
そう言ったところで遠野は怪訝な顔をしている。
木手は君島とのやり取りを思い返していた。ほとんど投げやりな気持ちで出た言葉だったが、なるほどこの男相手に駆け引きの類いは通じないのかもしれない。
沖縄の中学生でしかない自分とは比べ物にならないコネクションを持ち、裏から手を回し、言葉巧みに立ち回る交渉人。その君島が手の込んだ手段を用いて潰そうとした相手がこの男であるという事実。
あの冷静さを欠いた態度。加えて遠野の語る君島像。
悪い芽は摘んでおきたい人ですよね?君島先輩。
まともにぶつかって敵う相手ではないというなら遠野より君島のほうだ。しかし、その付け入る隙に手が届くかもしれない。
木手は遠野の懐へと距離を詰めた。

「近っ!何だよ?やっぱり夜討ちに……!」
「ここ。力入ってますね?」
遠野の身体を支え、腰回りに触れた。
「あ?お、おう」
「同じ場所にばかり負担がかかってしまいます。こうやって」
手の位置を移動して、僅かに体勢を変えさせる。
「少しずつでいいから、重心を移動して負荷を分散させるんです」
遠野は虚を突かれた表情で木手を見ている。
「何か?」
「どういうつもりだ?今ならなんだってできるのに」
「別に……。コート外の手段に訴えなければならない程の相手じゃないというだけですよ」
「はぁ?!処刑に手も足も出なかった野郎がよく言うぜ」
「同じチームのアナタに躍起になってる場合じゃないんですよ。追いつかなければいけない相手がいるのでね」
そう言って遠野の手が届かない位置まで飛び退いた。遠野は怒りと戸惑いが混ざったような表情のまま、木手の姿を視線で追った。
木手が触れた所をなぞるよう手を当てている遠野に悪くない気分で口の端を上げて見せ、部屋へ戻る方へ向いた。


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ