IFについて-[見解.考察]

□私的見解と考察
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食べてる途中ふと気付いた、葡萄って人間の脳の記憶構造と間接的に何か似てない?

よく木に例えられるのは知ってるけど…ぶどう全体が記憶の媒体として、房の枝分かれしてる部分は神経回路、実を包む外皮が意識、皮の中にある実が無意識(潜在意識)

外皮が腐ると実にも影響を及ぼす?

私が説明しても専門家じゃないから正確には不明だが

まず生まれた赤ん坊の頃は房だけの状態をイメージして、経験を重ね成長し1個ずつ実がなって記憶が徐々に形成されてく、脳が記録できる量には限度があるから実が一杯になれば不要になる記憶は房から落とされるか皮(意識)の中の実(無意識)として残る

でも、そうなると一つ問題があって…『IFはどこから生まれるのか?』

心的外傷後ストレス障害(PTSD)や解離性障害(DID)などを患う前の苦痛によって傷心し実が腐り、その果汁(記憶の染み・歪み?)が神経回路や媒体を通して分散した後に、個の自分を愛し守護する種(人格やIF)として自然と生み出される的な?

で、そうして新たに作られた種(人格やIF)は、個の自分と共に同じ・似た経験を重ねた記憶を読み解き、知らない間に不足した部分を補えるまで成長し、確かに認識できる存在になって現れ、物心ついた頃からずっと一緒に住むようになる…

我ながら道理としての筋は通るんじゃ? 人間の脳ってやっぱスゲー!
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