short story

□春の庭へと続く道(レッド)
1ページ/2ページ


※シロガネ山に登る少し前のお話し。レッドについて語りますが、本人は出てきません。

暖かい陽気は窓から差し込む光によって作り出されていた。それはまるで風を受けて揺れる光のカーテンのようであり、天から指す導のようであった。

「今日はこれだけでいいんですか?」

「ええ、お願いね。グリーンくん」

がさりと両手に袋を持ったグリーンに女性は申し訳なさそうな、気弱そうな微笑みを浮かべ、愁いを帯びる瞳を瞑目した。

これで一体何度目だろうか。彼女の息子である少年がチャンピオンと言う輝かしい功績を残し、消息がぷつりと絶たれてから。シロガネ山にいるという情報をグリーンから知らされるまでどれほどやきもきした気持ちを抱えて毎日を送っていたのだろう。
それを知っていて且つ、情報をもたらしたグリーンはいまだに影を落とす瞳を心配そうに見つめ、そしてなるべく朗らかに笑った。

「あんまり心配しなくても大丈夫ですよ。レッドはそんなに軟じゃありませんから」

気休めに近い言葉だ。そう分かっていても、本当なら今すぐあの山から引きずってでも連れてくるべきなのだ。だがグリーンは彼が自分に勝てる相手を求めていることも、それが果たされなければ降りる気などないという確固たる意志も、久しぶりにしたバトルで嫌と言うほど思い知った。
「負ければ降りる」と単純だが相手がレッドになればそれは困難を極める。

チャンピオンになったなり、旅の当初から手を掛けて育て上げたポケモン達とですら敵わない。
なら一体だれが勝てるというのだろうか。カントー最後のジムを任されて以来、バッチを勝ち取っていったトレーナーはほんの一握りだ。
けれどそのトレーナー達が四天王に挑戦したと聞いてもチャンピオンであるワタルに勝利を収めたという情報は入ってこない。
つまりジョウトとカントーのジムバッチを集めてもそれで四天王、チャンピオンに勝てるほどの実力が必ず付くなんて都合のいい話ではないのだ。
つまり、その程度の実力しかつかないという訳だ。

「そうか…」

ふと溢した彼の声にカップを片付けていた彼女はきょとんとして手を止めた。

「どうしたの?グリーンくん」

「いますよ。有力な候補が二人も」

もしかしたら四天王に勝ち、チャンピオンの座に届くのではと思われるトレーナーが。
自分が出来ないことをやり遂げてくれるのではと一筋の希望が生まれつつあった。
もう一人で、この家で生きている事だけで満足して穏やかにゆるゆると時が過ぎて行く中に身を置いても会いたくないはずがない。

「最近強いトレーナーが二人もオレのジムに挑戦しに来たんですよ。もしかしたらレッドを連れ戻してくれるかもしれません」

もし、強い相手とのバトルを、高みを目指しているならレッドのことがいずれ耳に入るかもしれない。そうであってほしいと願ってしまう。

「そう…でも、なんだか申し訳ないわ。だってあの山に好んで登る人はあまりいないでしょう」

「まぁ、それは…」

確かに一年中雪が降り積もり、積雪が絶えないあの山に自ら登ろうとするのはもはや変わり者ではないだろうか。そう思え、苦笑してしまう。
けれどそれも含めて、受け入れて彼女は春の澄んだ、やわらかな光を浴びて笑った。

「ありがとう。グリーンくんにあの子のことを聞けるだけで私は十分だから。
幸福ものね、こうやって会いに行ってくれる友達がいるなんて、どうかこれからもあの子と仲良くしてくれると嬉しいわ」

懇願に含まれていた声音に一つ頷いた。「それじゃあ、また来ます」とドアを開けて外に出た。
ボールからピジョットをだし、ひょいっと軽々乗って飛びだって行く姿を見送って、洗い物の残りをして洗濯物が入ったカゴを持って外に出た。

今日は特に天気がいい。雲一つない青空を見ているとなんだかいいことがありそうだと子供のようなことを思って喉を震わせて小さく笑った。
カゴから一つ服を取り出し、ぱんっとしわを伸ばすために空気を入れる。真っ白な服が海のような青空にはためく旗のように見えた。
ここにいるよ。待っているよと無意識に奥底からこみ上げてくる思いを呑み込む。
情けない。母でありながら息子のことを理解しきれなかった。今もあの山にいると分かっていて、残りたい理由を教えてもらい、理解できても受け入れることが出来なかった。

どうして、と言う問いと。お腹はすいていないかしら、寒くはないかしらと彼の身を案じる気持ちがぐるぐると胸の中で渦巻いていく。
ああだめね。どうして今日はこんなに考えてしまうのだろう。あまりにも暖かくていい天気だからかしら。こっちが春の陽気に染まっていてもあちらは永遠の冬に閉ざされているのだという現実に静かに胸を刺す痛み。

洗濯物も一人の量なんてすぐに干し終えてしまう。カゴの軽さに、寂しくなった。
日常から消えていく当たり前。こぼれていく愛おしい日々の出来事。

手のかからない、大人しくてども、優しい子。庭に植えたたくさんの花の世話を嬉しそうにしていたこと、指が土で汚れてもそれすらも花の為になるなら、なんてことないように木漏れ日が木々の隙間からぽつぽつと光りの雨が零れるような小さな笑みをたたえていたことが鮮明に思い浮かびました。

じゃーっと水道の蛇口から出る冷たい水を如雨露に注いで、二人で慈しみ、宝物のように育て続けた花にかけました。
ぱしゃぱしゃと花びらが水を弾いて、真珠のような丸い水滴を辺りに散らす。
全てに水をやり終える頃、びゅっと一際強い風が吹いた。巻き上がった自身の髪を抑え、通り過ぎるのを目を閉じて待つ、ようやく風が過ぎ去り目を開ければそこには一人の少女が立っていた。

庭へと続く小道が作られた先に、この家の第一の玄関であるようにぽつりと備え付けられた華奢な鉄の扉。そこに手を掛けようとして、そっと引っ込められる。
開けようか開けまいかと逡巡している少女、気が付いた時には駆け寄る様にそちらに足を運んでいた。

「ねぇ、あなた」

声を掛ければびくっと肩を震わせて伸ばしかけていた手ごと動きを止める。かしゃりと開けた扉が擦れ合う音にすら瞳が揺れる。

色素の薄い髪がふわりと肩の上で揺れた。薄茶色の瞳に春の光りが広がっている。
なにかを言いかけ、一度キュッと固く結ばれた唇。

「あの…レッドさんはいますか」

小さく、しかしはっきりと紡がれた言葉にふわりと胸の中に何かが広がっていった。

でもこんな偶然はあるのだろうか、人違いではないのだろうか。人とのかかくぁりが極端に少なかった彼が唯一、仲良くなった女の子。

「今日は約束を果たしに来たんです」

夕日に照らされたあの日に聞いた声に酷使した響きに、どうしようもなく胸が震えた。

次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ