short story

□心に焔を抱く少年と羽を持つ少女(レッド)
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※捏造が多々あります。


違う。

少年は紅い、まるで燃える炎の色をそのまま映し込めた瞳を苦し気に細めた。
パートナーのピカチュウはたたっと雪の上に小さな足跡を残して肩に飛び乗った。
きゅっと少年の凍てついた風に煽られた頬に自分の頬を擦り付ける。

すると、ようやくパートナーが戻ってきたことに気が付いたのか、ぴくりと指先が微かに動き、薄くやわらかな花びらを傷つけないように触れるようにそっと頭を撫でた。

「ちゃぁ…」

気持ちよい、甘える声が漏れる。

パートナーは知っていた。覚えていた。忘れる筈がない。
蒼白と言える顔が高揚に赤くなる瞬間を、勝利を喜び合う時決まって強く抱きしめてくれたことを、大仰に声を上げることはないがささやかなそれでもはっきりと見て取れる微笑みが浮かぶことを。
もうずっとそのどれもが悉く彼からなくなっていることも。

「ありがとうございます。レッドさんまた来ますね。もっと強くなって」

礼儀正しくお辞儀をして、去っていくヒビキと名乗った男の子。彼は強かった。けれど彼は勝てなかった。

静謐な眼差しが一変して焦燥した面持ちで、ザクリ、ザクリと雪を踏む。
歩みにまでその焦りと苛立ちが如実に表れていた。

『楽しいバトルがしたい』

『君達ともう一度最高のバトルがしたい』

いつか温かな焚火の火を囲んで、ぽつりと無意識にこぼされたほど小さな声で紡いだ、切なる願い。

まるで息をするように最善の手を打つことを難なくこなし、手持ちのポケモンの長所を伸ばし欠点をカバーしてしまうほど完璧な育成をした。
けれどいつからか難しくなったそれら。しかしそれでも強い彼はずっとここで願いが叶う日を待っていた。

原点と言われ、しかしただ旅と新たな出会いと、ポケモンと共にあることに憧れていた少年だった。

大切だから、大好きだから、一緒にいたいから。長く過ごした時間は彼を救う手段を、それを実行する勇気をポケモン達から奪っていた。

「嫌われたくない」と、けれど助けてと…。
こんなにも苦しげで寂しげな横顔を盗み見ながら今日も共に待った。

冬が終わり、春がこの雪山に訪れる日々を。



きゅっきゅっと雪を踏むたびに、まるでリズムを刻むように歩みの音が楽し気に聞こえてきた。
その音に誘われるように外に出てみれば、眩しい太陽の光りが目を焼き、視界を白に染め上げた。

白い光りの向こうに見たものはふわりと白銀の世界の中ではためいた真っ白の羽だった。

「あっ…えっと、こんにちは」

秘密を知られて恥ずかしく思うようにほんのりと頬を染め、相好を崩した。

目を瞬けば背に見えた羽はミルク色のマフラーだった。白い世界は変わらず来るものを遠ざける。日の光りすらもはねのける冷たさを湛えていた。
すっと手がボールに伸びる。それを目にした少女は機敏な動作で止めにかかった。

「ま、待ってください!」

すぐ目の前まで来てボールを持つ手に自分の手を重ねてきた。その時感じた自分にはない温かい熱に目を見張る。久しぶりに感じた人肌の温もりだった。

人とはこんなにも温かかっただろうか。こんなにも染み込んでくるものだったろうか。

「ごめんなさいっ。いきなりこんなことをして」

不躾に触れたと、手を引っ込めて苦い笑みを作った。

「ええっと、その、実はお願いがあって…今日は来ました」

訥々と話し始めた少女は自分が少年と同じマサラタウン出身で、小さな頃バトルをしようと約束されたこと。
その願いを叶えたくて旅に出たことを。

「もう…憶えていないかもしれませんが、それでもいいんです。だってあなたが忘れていてもわたしは憶えていますから。
この約束のおかげでわたしは旅に出れて、こうしてあなたともう一度会えて、願いが叶えられるから」

屈託なく笑った。それは本当に約束が忘れられていても気にしていないと物語っているように思えた。

「あなたはわたしにバトルをしようって約束してくれました。わたしもあなたに約束しました。
わたしが勝ったら願いを叶えてくれますか?」

そしてボールを手に取った。
それはバトル開始の合図だった。きっと目尻を上げ、鋭くしても少女は変わらず毅然とした態度で、そしてワクワクするように淡く笑っていた。

「お願いっ」

凛とした声は雪に吸い込まれず、その意志の強さを含んだまま広がって、響き渡った。







少女の唯一の楽しみはパートナーであるガーディと木の下で読書をすることだった。
体が丈夫ではなく、普通の子供がするような外での遊びを固く禁じられ、それを守る代わりにこのガーディを受け取ったのだ。

少女は知らない。忠実であるを知られているガーディが少女の親から「大人しくさせておくこと」と言いつけられていたのを。
少女のパートナーであったが、鎖でもあった。けれどその鎖は簡単に壊され、自由を与えたのも「鎖の象徴」であったガーディだった。

少女は惜しみない愛情を注いだ。何一つガーディの前では偽ることも隠すこともしなかったそれが少女が見せた信頼故の行為だった。
「いつか、あなたと遊びたいな」と口癖のように言っていた。


ぱらりとページを捲る音がピタリとやんだ。かさりと草を踏む音がした。伏せて目を閉じていたガーディが顔を上げれば少女の本の上に陰りを落とした少年がじっとこっちを見ていた。

「何か用?」

きょとんと小首をかしげながらそう問うが少年はただじっと本を凝視しているだけで口を閉ざしたまま。
けれど少女は視線と本だけであまりにも簡単に少年の胸中を悟った。

「あなたも一緒に本を読まない!」

笑って言えば今度こそこくりと頷いた。たったそれだけ、細い花が風にそよぐように儚い笑み一つでますます嬉しそうに笑みを深める。

草の上に本を直において、隣をポンポンと叩けば少年は徐に歩み寄って腰を下ろした。
ガーディがチラリと横目で見守っていたが、それだけだった。
少女が嬉しそうだったから。両親に言いつけよりも少女の喜びがいつの間にか勝っていた。それは過ごした時間の中で生まれた少女に対して抱いた忠誠心が成せたことだった。今の主人も、トレーナーももう両親ではない。

いつの間にか一番になっていた。


本を読みなれている少女のページを捲る早さは少年が字を追うペースよりはるかに早い。初めこそ気が付けなかったが、がさっとついている膝と草が擦れ合う音が何度もすればさすがに気が付く。

そのことに笑みをこぼし、少女は口を開いた。流暢に本を読み始めたのだ。サラサラと詰まることなく、歌うように優しく語りかけてくる声がその場を包んで、二人の世界を切り取った。

心地よい時間だった。誰かといることが幸せだった。願うならこのままずっと…と思い始めるが無情にも時間は止まらない、秒針は時を刻み続ける。

夕焼けのオレンジ色が本に色をこぼし始めれば終わりだと、分かれる時間だと告げてきた。二人とも口には出さないがあと少しだけこの時間が続けばと名残惜しさから文字を追う目を、声を途切れさせることが惜しかった。

けれど…ぱたりと本を閉じた音が二人の世界から現実に戻す。幸せが待っていない魔法が解ける音だった。

「ねぇ、また明日も会える?」

終わらせたくなかった。また二人で過ごしたかった。言葉を介さなくても二人には十分なほどの幸福が感じられる時間が確かにそこにあった。
明日も、明後日も、そうしていたいという少女が抱いた願いは、しかし、初めて聞くことが出来た少年の声によって砕かれる。

「…ごめん。明日から旅に出るんだ」

声を聞けたことに本当なら歓喜の声を上げていただろう。つい結んでいる唇をゆるめてしまうほどの威力を秘めていただろう。けれど少年と言うには少し高い、どこか少女のように澄んだ、透明な声は謝罪を紡いだ。

眉を下げて、項垂れるように視線が地面を見つめ、どうすればいいか分からないというように足をその場に縫い付けたまま、動かなくなった。
線が細い体から伸びる影が寂しげに、オレンジ色に染まった草の上に佇む。

少女は本を胸の前に抱いて、サクサクと草を踏みしめて立ったままの少年の傍まで行き、ずいっと持っていた本を差し出した。
始めこそ差し出された理由が分からず怪訝な眼差しを向けてしまいそうになったが、あまりにも切実にそうすることに多大な勇気を支払ったのか瞳には恐怖が溢れていた。
拒めばついには泣き出してしまいそうとも。

受け取れば安堵の吐息と共にほほ笑みを浮かべ、

「その本はもう何度も読み返したから貸してあげる」

けれど少年は焦った。旅立ちは明日に迫っている。分厚く重いその本は中の文字も細かい。今夜中に読み切るのは無理難題だった。

しかしそんなこと、もうこの本を何度も愛読した少女が知らないわけがない。旅の準備就寝時間を見積もって本を読み切るのにかかる代替の時間を導き出すことはそう難しくはない。

「読み終わったら返してね。明日じゃなくてもいいの」

少女はもう一度少年に会うためにこじつけの理由を無理やり作ったに過ぎない。
旅をやめることは出来ないが約束をすればいつか会えると、もう一度会ったときに本の約束が繋いでくれると、見つけてくれると。
わざわざ無理をしてまで理由を作ってくれたんだと漸く気が付き、また少年も慣れないが精一杯の思いを込めて紡いだ。

「バトル…しよう」

この大きすぎる善意に変わるものなんて持ち合わせていなかった。持っているはずがなかった。
少年はどうにか、出来る範囲で何かを返そうと。ずっと隣で見守るガーディを見て咄嗟にそう口をついて出ていた。

「旅に出て、強くなる。…だから次会ったらバトルしよう」

いつかの未来の小さな約束。けれど十分だった。

「うん、約束ね」

差し出された手は小指だけがたてられ、少年もおずおずと小指を絡めた。
指の中で一番細くて頼りなく見える小指。それでもつながった指はどちらも温かかった。高揚と緊張、それぞれ違う思いを抱いた、ちぐはぐな行為だったがどちらも最後には幸せそうに唇に笑みをたたえる。

「帰るわよ〜」

不意にかけられた声に弾かれたように振り返る少年。その視線の先を追えば少し遠くに女性がこちらに向けて手を振っている。
少年は少女と女性を交互に見て、戸惑いの表情を浮かべる。

「行って、待っている人がいるんだから」

するりと絡められた指が解かれ、背後に回ってくるりと肩にかけられた手によって反転させられる。視界には燃えるように赤い夕陽と、小道と、女性。

「またね」

ぐずりと鼻をすする音がした。でもふり返ってはいけないと思った。そうすることが賢明なのだと自分に言い聞かせて、両手で抱きしめるように持つ重い本と共に駆け出した。

駆けて、自分と母の隣に並んだ頃―――。

「あのね! ―――」

震えていた。けれど明瞭に言葉が発せられ届いた二つ目の約束は驚くことに少年も密かに抱いていたものだった。
一つでは足りないと欲張ってしまった。

『読み終わったら返してね。明日じゃなくてもいいの』

『旅に出て、強くなる。…だから次会ったらバトルしよう』

それぞれの約束を心の奥に大切にしまう。

少女はもう一度少年に会いたくて、少年は必ずもう一度少女に会おうと本を預かった。


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