Book-short-

□馬鹿と天才は紙一重
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私は時々、自分が天才なのではないかと思う時がある。筆記テストのクラス順位では下から数えた方が早い私だ、学力的なもので言っているわけではない。だが、突如として思いつく悪巧みは峰田くんや上鳴と同じくらいとても精妙なものであると言える。

月が煌々と照らす満月の夜。
私は前もって〈模写〉していた消太さんの姿に変貌した上で、教師陣が棲まうアライアンスの棟の前に佇んでいた。

「楽勝だな……」

私は普段の消太さんと同じボサボサの髪を風に靡かせたまま、ポケットに手を突っ込んでニヤリと笑った。夜の出歩きは原則禁止されているが、今日は規則を無視して私はここにいる。理由はない。あえて言うならいいことを思いついたから、というところだろう。私は自身が寝泊まりしているアライアンスと同じ造りの大きな入り口の扉を押し開けると、静かにロビーへと入って行った。

時間も時間だ。人の気配はない。真っ暗なロビーには時計の針が進むカチッカチッという音だけがわずかに響いている。その静寂がさらに私を緊張の渦へと引き込んでいくが、私はそれに耐えながらも静まり返ったロビーを抜けエレベーターを使わずに階段を登っていった。

大丈夫、大丈夫と心に呼びかけドキドキと高鳴る心臓を抑えながら私は一つの部屋の前で足を止めた。ゆっくりと手のひらを閉じ胸の位置まで持ち上げると、扉に近づけてノックをした。

そう待つこともなくガチャッと音を立てて扉が開かれた部屋からは、無精髭を生やしたままの消太さんが姿を現した。普段のボサボサに広がった髪は後ろで束ねており、真っ黒なスウェットを着ている。こちらを見るなり少しだけ目を大きく開いて驚く仕草を見せたが、瞬時にすべてを察した彼はあっという間に呆れた表情を浮かべると、頭を掻きながら扉をさらに開いてみせた。

「ハァ……とりあえず入れ」

堪忍したようにこめかみを押さえると、早くしろとばかりに中へと誘導していく。私は口元を緩めながらその薄暗い部屋の中へと静かに入って行った。中は電気が付いておらず、机の上で開かれたパソコンから発せられた画面の光だけが辺りを照らしている。

「何やってんだ、鏡子」

パタンと扉を閉めるなり、消太さんは私に尋ねた。私はあっという間に姿を元の姿へ戻し、悪戯に笑ってみせた。

「何って、消太さんに会いに来たんです。ちゃんと生活出来てるのか心配で」

私の姿に気づいた愛猫のミケが愛おしそうに甘えて来ている。私は久し振りに触れるミケの温かな背中をゆっくりと優しく撫でた。そんな私に対し、消太さんは気だるそうな表情と声で言った。

「誰かに見られていたらどうする」

「バレないから来たんです。ここまでちゃんと消太さんの姿で来たし、もし見られていたとしても誰も私が潜入してるなんて思いませんよ」

私は自信満々に悪びれる様子もなく言った。呆れて物も言えない、とでも言いたげな消太さんは小さくため息をつくとパソコンの置かれた机へと近づきギシッと音を立てて椅子に座った。

「それにしても、相変わらず陰気臭い部屋ですね」

「そう言うな、俺なりに考えた合理的な部屋だ」

光はパソコンから発せられたものだけで、それ以外の電気はすべて消されたままだ。物が少ないところは私とそう大差はないが、ここは何処か湿気じみているようにも感じられる。私達が住んでいたあの家と比べたら壁や天井はもちろん綺麗な造りではあるが、殺風景な内装と暗がりの部屋は相変わらずだ。

私は消太さんに許可を得ることなく、床に敷いてある布団に横になると枕に顔を埋めて深呼吸をした。気持ち悪いと言われたらそれまでなのだが、包み込んだのはなぜか安心することが出来る懐かしい消太さんの匂いだった。

「わぁ……懐かしい」

私はクンクンと嗅ぎながら小さく呟いた。以前はよく悩んだり辛い時には消太さんのベットに横になったものだ。気づかれてしまったときにはすぐに自分の部屋に連れ戻されてしまうのだが、それでも安心できる嗅ぎ慣れた匂いを求めて私はよく部屋に忍び込んで居た。その時と変わらない匂いに喜ぶ私に、消太さんはさらに呆れた様子で言った。

「やめとけ。加齢臭だぞ、それ」

「……落ち着くからいいんです」

現実的なことを言って引き離すつもりなのだろうが私は特に聞く耳を持たぬまま体を仰向けにすると布団の上で大の字になった。

「ついこの間まで当たり前だったことが、今では全部貴重です……」

突然真面目な表情をして言う私の姿に驚いたのか、消太さんはすぐに言葉を返すことはしなかった。まるでミケも同感だと返事をしてくれているようにミャーと鳴く声が小さく聴こえる。消太さんはミケを軽々と抱きかかえると再度椅子に座り足を組んだ。そして愛おしそうにミケを撫でながら飄々とした様子で答えた。

「大袈裟だな、まだ数日だろ」

「そうですけど……!寂しくないですか?……私は早くあの家に戻りたい」

バッと勢いよく起き上がった私は、布団の上で座ったまま消太さんを見つめた。今の生活がとても寂しく感じ、あの頃を懐かしくさらには愛おしく思っているのは私だけなのだろうか。私は下唇を噛みながら視線を落とした。

「まァ……寂しくないって言ったら嘘になるか。一人暮らしなんて、もう何年もしてなかったからな」

消太さんは立ち上がり窓側へと足を進ませると、締め切っていたカーテンを少しだけ開いた。夜空から煌々と照らす月の光が差し込み、少しだけ部屋の中が明るくなっていく。この部屋の窓から見える景色は茂った森ばかりだ。だが、消太さんの視線の先には、私が棲む1ーAのアライアンスの上部が少しだけ見えていた。

「近いようで、遠いな」

もの寂しげに言う消太さんの瞳は、気だるそうでもあり儚げだ。私はその横顔に目を奪われながらも、少しだけ見える綺麗な夜空に目を移した。

「平和になれば、また一緒に暮らせるんですね」

そう。世界が平和にならない限り、あの頃の生活を取り戻すことはできない。私が雄英高校を卒業したとしても消太さんはここに留まらなければならないのだ。ヴィランを排除し、平和な世界を作る。それが以前の暮らしを取り戻す一番の近道なのだろう。

私は夜空に輝く満月を眺めながら小さく呟いた。

「今夜は月が綺麗ですね」

以前、消太さんが読んでいた本を覗き見した際に書かれていた言葉だ。意味深いその言葉が、とても印象的だったことを覚えている。何故だか無意識にその言葉が私の口から出ていた。私の言葉に視線を満月に移した消太さんは、しばらく煌々と輝く満月を眺めてからボソリと言った。

「……死んでもいいな」

その答えに私は可笑しくなって思わず吹き出してしまった。彼がそんなことを言うとは思わなかったからだ。また子ども扱いされる、そう思っていた私の隙を突くように言った彼の言葉に私は少しだけ動揺しながら言葉を返して言った。

「フフ……それはダメです。長生きしないと」

まるで数日前まで住んでいたあの家にいるような錯覚に陥りながら、私はしっかりと懐かしさを噛み締めていった。まだまだ平和な日々が訪れるのは遠い未来だろう。それでも私はその日を夢見て気持ちを切り替えるように立ち上がった。

「今日のところはもう帰ります。ちゃんと暮らせているみたいで、なんだか安心しました」

私は消太さんの腕の中で気持ち良さそうにしているミケの頭を優しくひと撫ですると、そのまま扉に向かって歩いていった。今日は満足だ、大人しくここを去るとしよう。消太さんも静かに私の後に続いた。

「“今日のところは”って、まさかまたくる気か?」

「え、ダメですか?」

消太さんの問いに私もあっけらかんと答えてみせた。もちろん、今日で最後なわけがない。家になかなか帰ることができない分、ここへは定期的に出入りする気は満々だった。消太さんは少し考えたような素振りを見せたあと、小さく溜息をつくと仕方ないと言わんばかりに口を開いた。

「……ちゃんと上手くやれよ」

「任せてください!」

私は満遍の笑みで自信満々に答えた。そして扉の前でゆっくりと右手を差し出し言った。

「おやすみなさい、消太さん」

「あぁ、おやすみ」

本来ならば意味のない行為と言えるだろう。それでも、私はいつものように消太さんと手を重ね合わせ彼を〈模写〉した。温かな体温が私の手を伝い、あの頃の記憶を呼び戻す。毎朝、おはようの挨拶と共に〈模写〉した日々。当たり前だったあの習慣を名残惜しく感じながら私は目を瞑った。

そして私は消太さんの体温を噛み締めながら僅かににこりと微笑むと、姿を相澤 消太へと変貌させ部屋をあとにした。




静まり返った廊下、薄暗い階段。私は来た道を息を殺しながら静かに戻っていった。潜入時とは違った妙な緊張感が私を襲っていく。

こんな時間だ、誰にも会うわけがない。自分を落ち着かせるためにはそう思わざるを得なかった。だが、それが逆に私の警戒心を緩めることになってしまっていたのかもしれない。背後から突然かけられた声に、私はビクンッと体を跳ねさせ振り返った。

「おっ!イレイザー!これから風呂か?!」

「マイク……!あ……あぁ、ちょっとな」

不運にもロビーでプレゼント・マイク先生に遭遇してしまったのだ。口ごもる私は驚いて姿が元に戻ってしまうのではないかと思うほど心臓がバクバクと高鳴っている。集中力を高めながら呼吸を整えていると、プレゼント・マイク先生はその場を平穏無事に立ち去る隙を与えることなく私の背中をバンッと叩いて言った。

「いい夢見ろよ!」

プレゼント・マイク先生が触れた瞬間、私の〈模写〉の対象は彼に変わっていた。一瞬にしてもう逃れられない、そう悟った。私はあまりに気が動転していたせいか、その瞬間自身の姿に戻すことなく消太さんの姿からそのままプレゼント・マイク先生に変貌してしまっていた。

「ぬわっ!俺!?なんだなんだ!?」

咄嗟に取った行動だが、それはあまりに粗末なものだった。何の意味もない、むしろ余計な行動だったと言えるだろう。

「す……すみません!失礼しました……!」

私はプレゼント・マイク先生の姿のまま反射的に勢いよくその場から走って逃げ出していた。もはや振り返ることはできない。私の姿を見せなかったとしても、その個性の性質からしてもはやそれは私が犯人ですと言っているようなものだった。

「あ!ありゃ鏡見か!オーマイガッ!」

その場を立ち去る際に聞こえたプレゼント・マイク先生の声は私の耳にしっかりと届いていた。それでも私は自身の部屋に到着するまで走る足を止められなかった。部屋に戻った後もしばらく布団に絡まり、身を隠すようにうずくまっていた。不安や葛藤、後悔から泣いてしまいそうになるのを必死で耐えながら。





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後日、私がそれなりに注意を受けたのは言うまでもない。ルール違反をしたのだから当たり前のことである。消太さんも校長先生に頭を下げることになってしまった。

だが、今回の一件を知った校長先生の計らいで私が消太さんの部屋へ入ることを暗黙の了解で許されたのは意外な結果と言えるだろう。

私と消太さんの関係を知っているからこその配慮だろうが、私はその日以降コソコソと〈模写〉して潜入する必要なくこのアライアンスに出入りが出来るようになったのであった。

悪巧みが成功する可能性はいつだって低い。だが、そこから生まれる成功もある。

それを学んだ一日となった。




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