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□人は見かけによりけり
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「消太さん、今日何かあるんですか?」

時は神野区の一件が過ぎた直後、8月のとある日のこと。古びた家の窓際で、強い日差しを浴びながら愛猫のミケと日向ぼっこをしていた私の視界に、普段見慣れぬ消太さんの姿が映り込んでいた。

キッチリとしたスーツに袖を通し、髪を束ね、鏡の前でネクタイを締めている。いつもは無精髭をそのままにしているというのに、今日は綺麗に剃られている。普段の浮浪者のような雰囲気とは大きく異なるその様子に違和感を感じ私は思わず尋ねていた。

「ああ、ちょっとな」

消太さんはあまり詳しく語ることなく支度を進めている。休日の昼下がりだというのに、その表情はどこか険しい。私はなんとなく嫌な予感を感じていた。冷静に答えるあたり、これはきっと気持ちの良い準備ではないようだ。

「ちょっとって何ですか?」

私の質問に消太さんはこちらに視線を合わせることなく、鏡に写った自身と見つめ合ったまま答えた。

「教育委員会に呼ばれた。少し出てくる」

「教育委員会……?」

なんだか嫌な響きだ。私は不穏な空気を察しながら顔を曇らせた。消太さんは私をチラリと見ると、特にいつもと変わらない淡々とした様子で続けた。

「まァ、結果はどうあれ何かしらの処罰があるのはわかってたことだからな。どうせその通告か何かだろ」

林間合宿で消太さんが下した判断である“戦闘許可”。それは決して正当なものではなく、メディアを含む世間からのバッシングは凄まじいものであった。結果、生徒の負傷被害は最小限に留まり、爆豪が攫われたにせよ今では救出も無事済んでいる。それでも、雄英高校のメディア対応は未だに続いているらしい。

「懲戒解雇とか、そういうことはないんですよね……?」

私は恐る恐る不安を口にした。それはないだろ、と否定をして欲しかった。だが、消太さんこ口から発せられたのは私の願いとは真逆の返事であった。

「どうだろうな、その時はその時だ。覚悟の上で下した判断だったから悔いはない」

「そんな……!」

気を落とす様子もなく、いつも通りにしている様子に、私はミケを撫でる手を止めいつの間にか日向ぼっこを放棄してしまっていた。そしてガタッと音をたてて立ち上がり、意を決した目を向けて口を開いた。

「私も行きます」

「は?」

私はそういうとすぐさま身支度を始めた。特に小綺麗にする必要はない。私は必要最低限の荷物だけを手に取ると部屋にいくつかしかない窓の鍵を閉めて出発の準備を始めていった。

「心配です。私も行かせてください」

「いや、無茶だろ」

何を言っても意思は変わらないであろう私の目を見て一応は否定してみるも、それが無意味であることが彼には分かっていたようだ。大して止めることなく私の様子を静かに目で追っていた。

「私にいい考えがあります」



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そして某市内の一角にそびえ立つ教育委員会のビルに私達は足を踏み入れた。想像していたものと大きく異なるいで立ちに少しだけ気が抜けてしまう。もっと厳格な雰囲気漂う役所のような場所をイメージしていたのだ。だが、そこはまるで良くあるオフィスであり、見ようによってはヒーロー事務所に見えても仕方がないほどスタイリッシュな空間だった。

「やぁ、イレイザーヘッド。もとい、相澤消太くん。待っていたよ」

「ご無沙汰しています、心迎(しんごう)さん。今日はよろしくお願いします」

ガチャっという音と共に扉を開くと、そこにはスーツが張り裂けそうな膨よかな体型の中年の男性が立っていた。やけに目につく福耳が印象深く、その表情は教育委員会の職員としてイメージしていたよりもずっと朗らかだった。それでも私は見た目に騙されるまいと警戒を怠らずにゆっくりと消太さんに続いて部屋に入って行った。

「おっと、そちらは?」

すぐさま私の存在に気づいた彼は、大きな体で私を見下ろすように視線を合わせると終始笑顔を絶やさずに尋ねた。

「付き人です。本日は同席させていただきますがよろしいでしょうか」

私は顔の強張りを崩すことなく、まっすぐと彼を見据えた。私は今、20代後半のスーツ姿の女性の風貌をしている。来る途中の電車のなかで見知らぬOLを〈模写〉したのだ。もちろん15歳の高校1年生には見えていないだろう。

「おやおや、君にもサイドキック(相棒)がいたとはね。あぁ、構わないよ。こんなに美人な女性がいては私の方が緊張してしまうな、ハッハッハ」

見上げるほどの大きな体に圧倒されつつも、笑うたびに揺れる福耳がやけに愛嬌がある彼を私は口元を緩ませることなく見つめていた。すると彼はおっと、と何かを思い出したかのように我に返るとゆっくりと名刺を差し出しながら口を開いた。

「自己紹介がまだだったね。私は教育委員会教育長の心迎と申します。以後お見知り置きを」

「よろしくお願いします」

警戒をしているのが伝わってしまったのか、彼は私の様子に再度ハッハッハと笑い声を響かせた。大きな体を180度回転させ、私達を中へ通すとそのまま応接室への案内をしていった。

狭い廊下を通って中を進んでいくが、静まり返ったこの施設には人の気配を感じることができない。なんだか不気味にすら感じてしまう廊下を足音だけが響いていた。

そして目的地である応接室に案内されると、私達は黒い革のソファに腰を落とした。ズッシリと沈み心地の良い柔らかさに包まれている。心迎さんは私達との間を遮るように置かれた長テーブルにお茶を2つ、自ら運んで差し出した。

「どうだね、今年の雄英1年生は。君が受け持ったクラスだと言うのに、まだ1人も除籍者が出ていないと聞いている。それだけ優秀な卵達が揃っているってことかな?」

ようやく自身も腰を落として話し始めた心迎さんを、私は鋭い目つきで見据えていた。本題に入る前の雑談に耳を傾けている横で、消太さんはいつもの口ぶりで答えていく。

「はい。まだまだ荒削りではありますが、未来あるヒーローの卵達ばかりです」

そう答える消太さんを優しげな視線を向けて見つめた心迎さんだったが、次に彼が発した言葉は今までとは違う意味深な言葉であった。

「そうかそうか、それは良いことだ。ならば、君にいかなる処罰が下されても問題なくその卵は育つことを期待するよ」

並べられた言葉と表情が合っていない奇妙な彼を、私は殺気を込めて睨みつけた。私が1番懸念していた話だ。絶対に教育委員会側の判断を通すわけにはいかない。握りこぶしを太ももの上で留めながら次の展開を待っていると、心迎さんは話を続けていった。

「メディアを含む今般の騒動、それらは図らずとも君が巻き起こしたことだ。わかるね?」

諭すように語りかける様子に苛立ちが込み上げていく。私は我慢の限界が近づいていた。

「えぇ、仰る通りかと」

「消太さん!」

消太さんがあまりにもすんなりと指摘を認めてしまったことにすら耐えきれずに声を上げてしまった。

「黙っとけ」

こちらに視線だけを向けそう言った消太さんは、そのまま真っ直ぐ前を見据え私を制した。そして口を紡ぎ、これ以上否定するでもなく黙って心迎さんを見ている。私にはこれ以上隣で静かにしている義理などない。元々そんなことを冷静に考える余裕はなかったが、私は感情のままに言葉を発した。

「黙ってなんて聞いてられません!消太さんのせいでこうなった?馬鹿なこと言わないで下さい!彼があの時、あの判断をしていなければ私達は全員殺されていた!」

「私達?」

しまった、と思ったときには遅かった。私はハッとして言葉を止めたが、隣ではハァと小さくため息をついて頭を抑える消太さんが横目に見えている。

「ハハハ、どうやら子猫が紛れ込んだようだね。うん?」

探るような視線を向け不敵に笑いつつも、これ以上深く詮索することなく心迎さんは話を続けた。

「まぁいい、話を続けよう。君の言う通り、相澤くんの判断がなければ生徒の被害は未知数に広がり、どちらにせよ彼ら雄英教師はメディアから袋叩きにされていただろう」

「はァ……そうですね」

私たちの魂胆がバレているであろうこの状態で、それでもなお何事もなかったかのように振る舞い話を続ける心迎さんに対して戸惑っているのは私だけではないようだ。消太さんも少し力が抜けたような返事をしている。私はまるで不審者を見るような目を向けて口を紡いでいた。

「フフ、そんな怖い顔しなくていい。心配いらないよ、僕ら教育委員会は彼の判断を支持している。最善の判断だったと議決でも皆と意見が一致した」

「え?」

彼の言葉に私は思わず目を見開き背筋を伸ばした。そのあからさまな様子に心迎さんは更に笑いを漏らすと、少し真面目な表情を作ってそのまま話を続けた。

「だが、世間はそうは思わない。ヒーローを育てる学校の合宿でヴィランに襲撃され、負傷者が出た上に生徒が攫われた。それはメディアを含む多数の国民が非難していることであることは理解していただきたい」

重くのし掛かる言葉たちにゴクリと唾を飲み込む私の隣で消太さんはとても冷静に、まるで先日メディアに質問攻めされた記者会見の時のように答えた。

「えぇ、もちろんです。雄英としても重く受け止めております」

彼のとても頼もしい誠実な態度に感心しながら、私はただ前をまっすぐ見据えていた。心迎さんは数分前とは打って変わって真面目な表情を続けている。じっくりと私と消太さんへ目を向けて視線を交わすと、彼はゆっくりと口を開いた。

「そこで、君への処罰の話になるが……君が万が一、今般の一連の騒動に責任を感じていたとして退職を希望しようとも、雄英教師を辞めることは許されない。このまま雄英に残り、責任を持って最後まで1年A組を育ててもらう。それが君への処分だ」

私は想像もしていなかった結果に思わず口を開けたまま言葉を失っていた。もともと静かだったこの部屋が、時間が止まったかのように無音になる。私の反応を待っている心迎さんに対し、やっとの思いで振り絞るような声をだした。

「じゃぁ、消太さんは……!」

「このまま彼女らを頼みますよ、イレイザーヘッド」

そう言ってまた穏やかな表情に戻った心迎さんはニコリと微笑んだ。

「ありがとうございます!心迎さん……!」

「泣くな、こんなところで」

私は込み上げてきた涙を抑えることはできず、一瞬にして瞳から溢れた雫が頬を伝っていく。その様子をすぐさま察した消太さんだったが、そう制したときには既に遅く私は予想だにしていなかった展開と不安から解放されたことで完全に泣きじゃくっていた。

「いい生徒を持ったね、相澤くん」

「……ありがとうございます」

心迎さんはフフッと笑いを漏らし、こちらを微笑ましそうに眺めている。そしてそっとティッシュ箱をテーブルに置くと、私が泣き止むのを静かに待ってくれていた。


_________________________



「それじゃ、雄英も暫くは大変だろうけど、逆風に負けないで頑張って」

「えぇ、精進して参ります」

心迎さんの見送りを受け、私と消太さんはその場を後にした。帰り道は行きとは違い、歩く足が軽やかだ。

「心迎さんには裏があると思って疑ってしまいましたけど、悪いことをしました。結局見た目通りにいい人だったし、無事乗り切れて良かったですね!」

私は教育委員会の建物が見えなくなると〈模写〉を解き元の姿に戻った。消太さんの罰則も、罰とは言えぬほど恵まれた結果だったことから私は機嫌よく言った。すると消太さんはいつものようにズボンのポケットに両手を突っ込んだまま歩き、淡々とした声で答えた。

「あの人には俺達がここにきた時から全部気づかれていたさ」

「え!?」

消太さんの言葉に私は思わず耳を疑った。来た時から、というのは心迎さんと面会した瞬間という意味だろうか。だとしたらそんなことは有り得ない、気づくわけがないのだ。私の〈模写〉は姿も声もすべてを写し取っている。15歳の少女に見えるはずがない。私がいつまでも受け入れられずにいると、消太さんはその様子をチラリとみて続けて言った。

「彼の個性は〈読心〉。目を合わせた相手の心の声が聞こえるんだ。何年も前に雄英で教師をしていたこともあって、俺も授業を受けたことがある。あの人にはいつだって何もかもがお見通しだった」

過去の記憶を呼び戻すかのように遠くを見つめながら話す消太さんのその横顔を、私は驚愕の表情で眺めていた。そして、理解するしかない状況になったことで私はやっと言葉を発した。

「そんな……!じゃあ……」

「とんだ茶番だったな。鏡子の心の声は丸聞こえだったってわけだ」

フッと笑って意地悪な目を向ける消太さんに私は若干の怒りがこみ上げるのを感じ、すかさず言った。

「全部わかってて連れて来たんですか……!」

酷い、という言葉が喉まで出かかっているが私の表情に目もくれずに消太さんは冷静に答えていく。

「俺はちゃんと止めただろ。勝手についてきたのは鏡子だ」

「そんなぁ……」

私はガックリと肩を落とし、少し先を歩く消太さんの背中を半泣きで見つめた。意地悪にもほどがある。“人は見かけによらぬもの”とはよく言ったものだが、それは案外間違いかもしれない。

心迎さんのように見かけ通りの良い人が存在し、また現在進行形で私を置いて歩いていく消太さんも見かけ通り意地悪なのだから。人は内面がそのまま外見にも出るものなのだろう。私は口を膨らませてふて腐れたように消太さんの背中を見つめた。

私が付いて来ていないことに気づいて立ち止まった消太さんは、振り返り私が歩き出すのを待つかのようにその場から動かないで佇んでいる。早く来い、と言いたげだ。

私は渋々小走りで消太さんへ近づいて行った。口を尖らせたまま走り、ようやく消太さんに追いついた時だった。ふと彼の大きな手が私の頭をふわりと包み込んだ。

「心配かけて悪かったな。心強かったよ、ありがとう」

そう言って微笑むその瞳は実に優しく、頭から伝わる手はとても暖かい。私は苛立っていた気持ちが一瞬にして無になるのを感じた。これは反則だ。

彼は目つきが悪く放つオーラは暗いため初見では良い印象を受けないだろう。だが、彼は少しだけ意地悪なだけで本当は見かけによらない部分を持ち合わせている。優しくされたからではないが仕方ない、前言を撤回しよう。

相澤消太は見かけによらず優しい人だ。



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