Book-short-

□人は誰もが誰かのヒーロー
1ページ/1ページ



これは私が小学生の頃の話。その頃の私はとびきりイジメられていた。使い慣れない個性のせいで学校に馴染めない日々は続き、楽しいはずの学校には友達なんて1人もいなかった。

「痛い……ッ!」

私はドンッと音とともに弱々しくも尻餅をついた。目の前にいるクラスメイトに、今ちょうど突き飛ばされたところだ。

「目障りなんだよ!触んなって言っただろ!」

これはいつもの光景。何も驚くことはない。帰り道、道を塞ぐように歩く2名のクラスメイトを追い越そうとした際に、少しだけ本当に少しだけ肩が触れた。それがいけなかった。私は擦りむいた右肘に滲む血を見て、溢れそうになる涙をこらえた。

「俺を〈模写〉して悪さする気か?いい度胸だなァ鏡見。そんなことしたらどうなると思う?」

ランドセルを背負った小学生が、まるでヴィランのような目つきで近づいてくる。私は手のひらをぐっと握りしめ、気持ちを落ち着かせようと我慢に徹していた。

「お前の個性はヴィラン向きだから、いつかはアッチの世界に行くんだろ?闇落ちキャラ……まさにお前にお似合いの言葉だな」

私に浴びせられる言葉の数々が、見えない傷を増やしていった。今、目に見える傷は右肘のかすり傷だけだが、積み重なった日々の蓄積により私の心は既に傷だらけだった。

「ヴィランになんてならない……私は……絶対に……」

振り絞るように出した私の小さな声は、きっと目の前のクラスメイト達には届いていないだろう。私はジンジンと痛むお尻をそのままに地面に座り込んだままでいた。また立ち上がっても、意地悪をされるだけだ。こういうときには居なくなるのを黙って待つのが得策である。

「お前がヴィランになってんの見つけたら、ヒーローになった俺が即座にぶっ潰しに行って……イデデッ!!」

「何やってんだお前ら……」

突然に現れた黒ずくめの男は、目の前にいたクラスメイト2名の頭を鷲掴みにして言った。鬼の形相で見下ろしているのは相澤 消太。親に捨てられた私を育ててくれている言わば恩人。血は繋がっていないが、私の唯一の大切な大切な家族だ。

まだ20代なかばだというのに手入れもろくにしていないボサボサの長い髪に無精髭を生やしている身なり。殺気に似た空気を醸し出したその雰囲気はどこか闇のオーラが漂っていた。

「消太……さん」

私は頭を鷲掴みにされてもがくクラスメイトを視界に入れつつ、怒りに満ちた消太さんの顔をみて安心感を感じていた。すでに不安や恐怖は消えている。もう大丈夫だ、そう確信していた。

「なんだこのオッサン……!邪魔すんなよ……!」

そう言ってクラスメイトの1人は右手の親指と人差し指を立て拳銃の形を作ると、力を込めるように指先を消太さんへ向けた。何度か見たことはあるが、いつもならあの人差し指の先から硬物質が勢いよく出てくる。いわゆる個性〈拳銃〉だ。だが、今日はそれを目にすることはなさそうだ。消太さんは個性〈抹消〉を使い、クラスメイトを見下ろしている。個性はいま、すべて消されているのだ。

「あ……あれ?!なんで……!出ねぇ!」

「公共の場での個性の使用は、子どもと言えど罰則の対象だ……学校で一番最初に習ったろ。先生に言いつけられてぇか」

個性を〈抹消〉されたことに気づいていないクラスメイトは混乱したように慌てていた。それを冷たく見下ろした消太さんは鷲掴みにしていた手をおもむろに離すと、殺気をそのままに鋭い視線を向けて言った。

「一度きりの人生、自由に生きるのは勝手だが……お前らが将来ヴィランになったら、俺が刑務所ぶち込んでやる」

「な……何なんだよこのオッサン……!い、行こうぜ!ばーかばーか!」

全身黒ずくめの身なりがさらに不気味さを増して見えるが、私はただ尻餅をついた体勢から動けずに固まっていた。

「あのクソガキ共……ったく。立てるか?鏡子」

「あ……はい……」

そう言って消太さんはしゃがみ、私の両脇に大きな手を差し込むとぐっと持ち上げ私の体を立たせた。こういうことは初めてではない。消太さんはよく、こうやって救けに来てくれる。現在彼はプロのヒーローとして日々奉仕活動に勤しんでいるが、何かを察したかのように私がイジメられていると救けにきてくれる。私にとっては正真正銘のヒーローなのだ。

消太さんは私の汚れたお尻をパタパタと叩くと右肘の傷を見つけて顔をしかめた。

「擦りむいたか。まぁ、この程度なら自然に治るだろ。ツバつけとけ」

そう優しくされたからではない。堪えていたはずの涙が、堪えきれずに出てきてしまった。私はゆっくりと消太さんに近づくと、両腕を彼の首に巻きつけるように抱きついた。

「どうした、痛むか?」

私の小さな背中をポン、ポン、と優しく叩き落ち着かせようとしてくれるその様はまるでお兄さんのようで、お父さんのようだ。私に家族の記憶はほとんどないが、きっと家族がいたらこうやって温かく大きな手で包んでくれるのだろう。家族とはきっと、そんな存在なんだと思う。

「……しい……」

私は振り絞るように声を出した。

「…………悔しい……」

「……そうか。なら強くなれ。単純なことだ」

ヒックヒックと呼吸を乱し始めた私だったが、これは自然の原理であり止めることは許されなかった。まるで留めていた感情が溢れてしまったような感覚だ。緊張が解れ、弱さがとめどなく流れ出る。

「私は消太さんみたいなヒーローになりたいです……」

消太さんから体を話すと、私は涙でぐしょぐしょに濡れていく頬を気にも留めずに言った。消太さんは黙って親指で拭っていくが、私は全てを吐き出すようにそのまま続けた。

「弱い人を救けたい……でもそれには強くなきゃ……だから……私を強く……誰かを守れるだけの強さをください……」

振り絞るように言った私の目は涙で溢れていたが、本気だった。今あるすべての気持ちをそのままぶつけたようなものだ。消太さんはそんな私の話を流すわけもなく、真剣な目を向けて言った。

「俺はスパルタだぞ」

私はそんな消太さんが発したその返答に涙を流しながらも笑顔向けて言った。

「はい……頑張ります……!」





こうして私と消太さんは家族という関係をもつ一方で、師弟関係となった。

そして、その帰り道。
私は消太さんの大きな背中でおぶられたまま、その後もしばらくの間ぐずついていた。泣き虫は心が弱い証かもしれないと、小さいながらに思うことはあった。それでも緩やかに溢れる涙は抑えられず、消太さんの服は私の涙で少しずつ湿っていった。

今はただ悲しいわけではない。嬉しさも相まって、意味もわからないほどにただ溢れ出て来る涙を自然に任せて流しているだけだ。

それが分かっていてか、消太さんは私を軽々とおんぶしたまま静かにゆっくりと歩いている。彼のボサボサに伸びた髪が風に揺れると私の頬に触れ、少しだけくすぐったくなった。

「消太さんが先生だったら……きっと学校も楽しいのに」

私はボソリと呟いた。学校の先生は今日みたいな出来事を見かけても私を救けてはくれない。それはきっとヒーローじゃないからだと無理矢理に割り切っていたが、心のどこかでSOSを発信することもしばしばあった。

「それは無理な話だな。俺は子どもが嫌いだ」

消太さんはいつもの低い声で気だるげに言った。そうは言っても、彼は子どもの私にこんなにも優しい。きっとそんなことを言ったら、黙っとけと言われるのが目に見えているから口にはしないが、私は消太さんがプロヒーローを目指し、その職についたという結果すべてが彼の優しさに比例していると思うのだ。

「そんなもんは他の奴がなればいい。俺がなる必要性がない」

「消太さんみたいな人が先生なら、きっと救われる人だっています。そんな姿を見て、みんな強くなれます……誰かを守れるようになりたいって、強くなりたいって思わせてくれるから……」

私はいつの間にかおさまっていた涙の跡を自分の指先で拭うと消太さんの肩をグッと掴んで言った。嘘なんて1つも言っていない。すべて私の内側から溢れ出る本音だ。きっと私以外にもSOSを出している人はいる。消太さんに救けられる生徒がいて、消太さんを目指しヒーローになる人だっているはずだ。

「それにメディアが嫌いなら今よりもっと静かに生活ができますよ、たぶん」

「下ろされたいか?」

少しだけ悪戯なことを口走ったことで、私の体を支えていた消太さんの両手は力なく離れ、私の体はあっという間にズルズルと消太さんの背中を伝って降ろされていった。

地面に足をつけた私を振り返って見ることなく、そのまま先を歩いて行ってしまう消太さんを私は小走りに追いかけて行った。両手で消太さんの左手を掴み、その不機嫌そうな顔を見上げた。口をへの字に曲げ、こちらに視線を落とすことはしない。それでも私の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれる矛盾だらけの姿がなんだかおかしくて、そのまま家までの道のりを私はずっと口元を緩ませたまま歩いて行った。


翌日、仕事帰りに本屋へ立ち寄った相澤消太が“教員免許”と書いてある本を手に取ったことは彼しか知らない。



_______



[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ