Book-short-

□爆豪勝己を科学する
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梅雨。それは春から夏に移る時期に雨が降り続く季節。私はあまり好きじゃない。ただでさえ湿気じみた部屋には更に湿気が溜まり、雨の独特の匂いも充満する。まっすぐに伸びた黒髪も、この時期だけは思うように纏まらない。思春期の女の子にとっては、敵としか思えない季節なのだ。

「はァ……今日も雨。昨日も雨。明日も明後日も雨、雨、雨……」

あざ笑うかのように雨が降り注ぐ様を、教室の窓際から眺めながら私は呟いた。雨のせいか何だか気持ちも上がらない。晴天の日のようないいことが起きる予感なんて微塵も感じなかった。

「梅雨やから仕方ないよ鏡子ちゃん」

私の不機嫌そうな表情を見て、宥めるようにお茶子が言った。そしてそれに続くように梅雨ちゃんも口を開く。

「私は好きよ、雨」

彼女は個性が〈蛙〉だ。雨は大歓迎なのだろう。それでも私は憂鬱に浸っていくのを感じながら、窓ガラスに垂れる雨の雫を黙って見つめていた。

今日は増していいことがない。楽しみにしていたヒーロー基礎学が補習授業となったのだ。理由はよく分からないが、今日は補習授業とのことで朝のホームルームの時点で決まっていた。憂鬱な1日を終え、夕方のホームルームの時間が来るのを待つ私は完全に無欲となっていた。

「雨は悪くねぇ!女子達の濡れたブラウス……髪から滴る雫……そう!水も滴るいい女最高!」

馬鹿げたことを言っている峰田くんに対し苛立ちを感じた私は、鋭い視線を向け冷たく言った。

「それを言うなら水も滴るいい“男”でしょ」

私に冷たくされたことがそんなにショックだったのか、峰田くんは口をポカンと開けて固まっていた。今の私にそんなふざけたことを言った彼が悪いと私は自分を正当化していた。

「そーいや爆豪、お前も今朝雨に切れてたよな!校門前の信号で“ざけんなァ!雨ー!”とか言ってなかったか?」

不機嫌そうに仰け反りながら椅子に座る爆豪に対し、瀬呂が悪戯に笑って話を振った。

「うっせ!車に泥水かけられたんだよ!俺が切れてたのは雨じゃなくてあのクソ運転手にだ文句あるか醤油顔!」

爆豪は鬼の形相で瀬呂を睨み付けると、その時のことを思い出してしまったようで苛立ちを沸々と湧き上がらせていた。殺気とも取れる視線と空気に思わず縮こまる瀬呂は、自らが発した事態を後悔したに違いない。

これはいつもの光景だ。悪いのはそんな話を振った瀬呂である。爆豪は私以上に短気なため、この結果は始めからわかっていたはずなのだから。

私は呆れながら予鈴が鳴る前に席に着いた。雨が視界から外れても気持ちは晴れはしない。ホームルームが終わっても、雨音は強くなるばかりだった。

私は淡々と帰りの支度をし、リュックを背負った。いつもは梅雨ちゃんと一緒に帰校するのだが、今日は日直当番のため一緒には帰ることは出来ないらしい。上鳴と共に先生達のお手伝いが待っているのだそうだ。先に帰るね、と声をかけ私は教室を出た。下駄箱で靴を履き替え、フゥと深呼吸をすると大雨の中を帰るために気合いを入れてみた。

「あれ……?」

固めた気合いをそのままに傘立てに手を伸ばすと、私の赤い傘がどこにもないことに気がついた。

「え……?うそ、なんで……ない!」

各自決められた場所があるわけではない傘立てに不規則に突き刺さった状態の数本の傘。その中には明らかに私の傘は存在しなかった。盗まれたのか、間違って持っていかれたのか、頭が混乱する。

「どうしよう……こんな雨なのに傘がないなんて……」

蒼白した状態でガックリと肩を落とす私の横を、何も視界に捉えていないような態度で素通りしていく1人の男の子の気配を感じた。私は顔を見ずとも察した彼の存在を見逃さなかった。爆豪の行く手を阻むように腕を伸ばしてみる。

「ちょっと待った、爆豪……それは幾ら何でも薄情過ぎやしないかな……」

「どけや陰湿女」

驚くほど人を傷つけることが得意な彼に、私は冷静を保つ努力をしながら視線を合わせて言った。

「か弱い女子が困ってるのに助けないのですか、ヒーローの卵なのに」

私も捻くれ者なのだろう。爆豪にお願いをするのは癪だった。借りを作るようで素直になれない。駅まで傘に入れてくれと頼めばいいだけの話なのに。

「お前のどこがか弱いんだよ。帰るだけなら濡れても関係ねぇだろ、どけ」

人の心を持ち合わせていない彼に期待した私が馬鹿だったと反省をした。そうだ、彼は私が嫌いだった。私も彼が“大嫌い”だ。そんな彼に救いを求める方が無駄なのだ。私は彼の態度を見てやけに納得していた。わかっていたはずなのに、どこか期待してしまっていた自分に呆れ果てる。入学してから数ヶ月、色々なことがあったが少しは彼の心に近づけたのではと勝手に勘違いしていたようだ。

私は諦めたように爆豪の行く手を阻んでいた手を下ろし、トボトボと歩き出した。そして力なく右手をヒラヒラとさせて言った。

「もういいよ……また明日ね」

校舎を出ると更に雨脚が強くなったように錯覚する。音がやけに耳に響き、屋根からは雫が大量に滴っていた。地面には大きな水溜りがいくつも見て取れた。駅までは走って5分くらいだろうか。いや、歩こうが走ろうが結果びしょ濡れは確定しており関係のないことだ。私は再度フゥと深呼吸をし、気合いを入れ直すと大雨の中に一歩を踏み出そうと右足を上げた、その時だった。

「わっ!」

突然リュックを後ろに引かれ、私は尻餅をつきそうになるのを耐えながら数歩後ろに後ずさりをした。

「お前と並んで歩くなら死んだ方がマシだ」

そう言って爆豪は私の横を過ぎ去ると黒い大きな傘を投げ捨てるようにこちらに飛ばした。そしてあっという間に大雨の中を走って去っていく。

「ちょっと……!爆豪これって……!」

あまりに予想外過ぎた展開に、私は追いかけることも出来ずに立ち尽くしていた。一体何が起きたというのか。状況の把握が困難だ。起きるはずのない事態が起きている。

鞄を頭の上に乗せて去っていく爆豪の後ろ姿を呆然と見つめていたとき、私は今更ながら1つのことを思い出した。

「あ、そうだ傘……今朝、鍛錬場に置いてきちゃったんだ」

朝、鍛錬場に寄ってから登校したことをすっかり忘れていた私は再度顔を蒼白させて床に転がった傘を手に持ち罪悪感に苛まれていた。雨のせいか、なぜか穏やかではない心のざわめきに困惑しながら、私は雨が降り注ぐ空をゆっくりと見上げた。



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翌日、天気は生憎の雨。私に更なる罪悪感を与えるように爆豪は風邪を引いて登校してきた。マスクをして不機嫌そうに席に座っているその様子を、私は少し離れたところから見つめていた。

「……水も滴るいい男……か」

「あァ!?馬鹿にしてんのかテメェ!」

なぜか私は無意識のうちにそれを口に出てしまっていた。彼は地獄耳のようだ。しっかりとその独り言を拾ったようで、鋭い視線をこちらに向けて言った。

まもなく予鈴が鳴る時間だ。席につかなくてはと思いつつも私は爆豪の席に近づいていった。鼻声の爆豪の怒鳴り声に我に返った私は、足早に彼の席へと向かっていく。

「あの……爆豪、昨日のこれ……ありがとう!」

私は畳まれた黒い傘を彼に手渡し言った。

「フン!」

爆豪は私から傘を奪い取るとそれを机の横に力強く掛け、椅子に浅く座って背もたれに寄りかかった。それらの様子を見て少しだけ教室中が騒ついている。私はそれ以上は何も言わず、黙って席についてホームルームが始まるのを待っていた。

爆豪 勝己。短気で自己中心的で自信家で自尊心の塊。私を名前で呼ぶことは殆どなく、何かと突っかかってくる彼は本当に本当に嫌なやつだ。“大嫌い”だった。

明日はわからない。でも今は、ただの“嫌い”だ。なんだか今日は気分がいい。外は相変わらず雨が降り湿気も十分に漂っているというのに、どこかいいことが起きそうな気すらしていた。私は雨音に耳を傾けながら口元を緩ませ、心の中で思った。


雨も意外と悪くない。



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