Book-short-
□一生のお願いを聞いて〈後編〉
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「あちぃ……溶けそう……」
ジリジリと肌に照りつける日差しと、揺らぐ陽炎。バス停のベンチで上鳴 電気(かみなり でんき)は呟く。
「ちょっと、こっちまで暑くなるからあんまり“あちぃあちぃ”言わないでよ……」
直射日光を浴びながら私と上鳴、そして切島 鋭児郎(きりしま えいじろう)はいま京都に来ていた。理由はひとつ、轟のわがままを聞きに遠路はるばる買い物に来たのである。“わがまま”なんて言ったら轟からの冷たい視線を受けることになるのは目に見えているが、ここに彼はいない。せめてここではそう言わせて欲しい。
「俺、電気纏えるくせに太陽光は苦手だわぁ……」
そう言って座りながらもフラフラとする上鳴。その横でさらにぐったりしている切島も汗を滝のように流していた。
「俺、なんで来ちまったんだろ……」
そう嘆く切島に私は言った。
「そこは……うん。ほんと巻き込んでごめん」
少しでも日陰に入ろうと屋根で光を遮断している場所を選んでベンチに座る。それでも木で出来たそれは、服の上からでも感じるほどの熱を帯びていた。
「全部、轟のせいだ……」
私は耳を塞ぎたくなるほどの蝉の鳴き声に嫌気がさしながらボーッと一週間前のことを思い出していた。
中間テストでの補習を回避するためにお願いした轟の勉強会。たった3日ではあったが絶大な効果が現れ、私と上鳴は無事補習を間逃れることに成功した。
だが、その報酬として轟が提示してきたのは『京都の茶そばを買ってこい』というものだった。いや、正直に言うと私が何でも買ってくるという安易なことを口走ったのがいけなかったのかもしれない。それでも彼は私達に対して遠慮と慈悲というものは感じなかったらしい。
『京都の茶そば』を求めてはるばる小旅行。この一大事に私はまず消太さんに相談をしていた。
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「うん?俺は暑いところには行かないよ」
即答だった。愛猫のミケを優しく撫でながら、一瞬こちらに視線をやったが答えとともに視線はすぐにミケに移された。
「そんな……冷たい……」
少し目に涙を浮かべながら私は下唇を噛んで言った。期待はしていなかった。彼はそもそも休日の外出が嫌いだ。さらに季節は彼が最も活動を控える真夏。一緒に来てくれる可能性は0に近かった。
「だいたいその約束自体が合理的じゃない。そんなとこ行ってる時間あったら修行しろ、修行」
そういってミャーと呑気に泣くミケを愛くるしそうな目で見つめながら私に言った。いつ何時も優しく接してもらえるミケが少し羨ましかった。
「道に迷うかもしれません……知らないところだし」
私は俯いて弱々しく言う。消太さんが来てくれたら心強いし、きっと素敵な小旅行になるだろう。でも彼はいつも飴と鞭だ。優しい時もあれば、時に厳しく私を突き放す。
「切島も連れてけ。上鳴と2人じゃいろいろと危なさそうだからな。これも社会勉強ってやつだ」
そう言う消太さんはミケを床に下ろすと、手をひらひらとさせて暗闇を極めた自身の部屋へと入っていった。
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「薄情……」
「え?」
私が思わず漏らした声を切島は聞き逃さなかった。自分自身も、思わず口に出してしまったことに驚いていた。
「何でもない。……もうすぐバスくるね」
私は腕時計に目をやると、バスが来るであろう道路の先に目をやった。アスファルトがゆらゆらと揺れている。
私達は観光客に紛れながらバスに乗り込み、少しの間冷房の効いた車内で天国のような幸せを噛み締めていた。
到着したのは有名なお寺付近のバス停。ぞろぞろと降り立つ観光客。じりじりとした日差しは先ほどと何ら変わりはなかった。
私は特に気持ちが高ぶるでもなくお目当ての蕎麦屋を目指して坂を歩き始めていた。
「おおお!俺、京都くんの初めて!」
そう言う切島は私の横で目をキラキラと光らせていた。だから誘ったときに即答で二つ返事が帰ってきたのか、と思わず納得してしまった。私も初めてではあるが、そんなに気乗りはしていない。不慣れな道を歩くのはとても不安だった。
「えーと、今ここだから……こっちだな!」
方向感覚がまともな切島は私達をリードし道を示して行ってくれる。非常に助かる人材を連れてこれて私は心底安心していた。
ーーーーーのも束の間。
私は修学旅行生らしき他校の集団に押し流され、視界から彼らが遠のくのを感じた。
「上鳴……!切島……!」
私の声は届かない。満員電車のような人混みに、思うように声が出せなかったのだ。そしてその流れを止めることも叶わず、私はしばらく流れに逆らうことなく歩き続けてしまっていた。
でも大丈夫、元の場所に戻れば問題ない。
高校生になった私は以前より少しだけ大人になっていた。物事を冷静に考えられるようになった。いい歳して迷子なんて、そんなわけはない。これは“はぐれただけ”だ。あそこに戻ればきっと上鳴と切島が心配そうな顔して待っていてくれているはず。
私はそう前向きに考え、流れが落ち着くのを待っていた。しばらくして人混みが少しずつ緩やかになると、私は元来た道を戻り始めたのだった。
「大丈夫、大丈夫」
自分に言い聞かせるように私は口にしていた。
「大丈夫……大丈夫……」
次第に押し寄せてくる不安、疑念。
「大丈夫……じゃない……これ……」
私は認識した。はぐれた場所が、わからない。来た道をちゃんと戻っているのかもわからない。ここがどこなのか、どこへ向かえばいいのか。何もかもがわからなくなっていた。
「切島!上鳴!」
私は2人の名前を呼んだ。お願いだから聞こえて、と願う気持ちとともに大きな声で叫び続けた。知らない土地で一人ぼっち。それは私にとって思い出したくない過去であり、トラウマでもあるのだ。
「切島ぁ……!上鳴ぃ……!」
目に涙を浮かべて叫び続けた。いやだ、怖い。誰か、助けて。
「消太さん……!」
私は助けを求めるかのように小さく声に出した。
ドッ!!
それと同時に、涙で視界が悪くなったことで前方に立っていた人に顔面から思いきりぶつかった。あまりの反動と痛みに尻餅をつく。
「痛っ……」
私は思わず顔をしかめ、溢れる涙を指で拭った。
「ばーか。何やってんだ」
そう言って私の頭をコツンと、まるでドアをノックするかのように軽く叩く男性。それは上鳴でも切島でもない。夢を見ているのかと疑ってしまうが、そこに居たのは紛れもなく消太さんだった。
「泣くな。人が見てるぞ」
そう言っていつものように黒い服で身を包んだ消太さんは、私の手を取ると立ち上がらせて、そのまま手を引いて歩き始めた。
「な……なんで……!?」
驚きと安心感に気持ちの整理がつかない私は、混乱して言葉が出ない。
「気が休まらない。絶対迷うと思ったんだお前は」
そう言って見覚えのない道を進み、角を曲がってはまた進んでいく。すると、次第に遠くから聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
「おーい!鏡見〜!どこだー!」
上鳴と切島だ。私はやはりとんでもない方向に歩いていたようだ。
「まったく……あいつらも鏡子のことちゃんと見とけっての」
視界に捉えられるギリギリの距離で足を止めた消太さんは少し不機嫌そうに言った。
「行けよ、俺がいたらおかしいだろ」
そう言って彼は私の背中をポンッと軽く押した。私は振り返り、消太さんの気だるそうな仏頂面を見つめた。不器用な優しさに心が暖かくなる。“薄情”と一瞬でも思ってしまったことに反省の念が湧き上がってきた。
「やっぱり、消太さんは優しいです」
万遍の笑みで言う私に、消太さんもフッと静かに笑った。私はいつも消太さんに守られている。困った時、辛い時、助けて欲しい時。いつだって彼がそばに居てくれる。でもいつか、私が彼を守る存在になりたい。いつまでも、彼のために。
そう改めて感じた私は手を振って上鳴と切島の元へと走って行った。
その後無事に茶そばは手に入り、轟への借りは相殺されたのだった。
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