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□神様の悪戯
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休み時間には似合わない静まり返った教室。誰かが唾を飲む音がやけに大きく響いていた。黒板の前では今日も、私と爆豪 勝己(ばくごう かつき)が睨み合っている。
「おい、てめぇ。日直だろ黒板消しとけよパクリ野郎が」
彼は機嫌が悪くなると私を『パクリ野郎』と言う。私の個性〈模写〉のことを言っているんだろうが、特に気に留めてはいない。ただ、彼の方が身長が高い分、上からものを言われている感覚が増幅される。悪意がある言い方、表情、雰囲気。だから私も彼に対して優しくなれないのだ。
「日直はあんたも同じでしょ、バカツキ。私はさっきの休み時間やったんだから今回はやってよね」
私は私で彼と言い争う際には『バカツキ』と呼んでいた。バカに彼の下の名前である勝己を組み合わせたものだ。
そう、私は彼とウマが合わない。それなのに今日は私と爆豪が日直当番。順番にランダムで回ってくるとはいえ、この組み合わせを心底恨んでいた。これはきっと神様の悪戯に違いない。なぜ、様々なパターンが想定出来る組み合わせのなかで、よりによって私と彼が同じ日に当番になってしまったのだろう。
お互いを罵り合い、分かり合えない仲なのは今に始まったことではない。出逢ったときから何も変わっていない。機嫌が悪い時はお互いを蔑称で呼び、睨み合って歩み寄ることをしないのが私たちだ。
「ちょっと……喧嘩はやめなよ2人とも。かっちゃんも鏡見さんに対して“パクリ野郎”だなんて……その、なんてゆうか……」
見かねたクラスメイトの緑谷 出久(みどりや いずく)が仲裁に入った。その後ろでは峰田 実(みねた みのる)が“やめとけよ……”と言ってそれを止めているのが見えている。やはり誰もがこの空気に関わってはいけないと感じるのだろう。
「ぁあ!?黙ってろクソナードがぁ!」
眉間のシワはくっきりと割られ、鋭い視線と高圧的な口ぶりは緑谷を圧倒した。緑谷ももちろん、爆豪を苦手としている。それでも顔は引きつってはいるが、一生懸命私たちを落ち着かせようとしていた。
「まったく、日直くらいで喧嘩すんなよな」
2人の様子を見飽きた切島 鋭児郎(きりしま えいじろう)は、頬杖をついて呆れたようにそれらを見ていた。
「ちっ」
私が一切動かずにいたからだろう。諦めたように、そして不機嫌さを露わにして爆豪は舌打ちをした。そして黒板消しを鷲掴みにし、まるで黒板に苛立ちをぶつけるかのように力づくで消していく。ガシガシと音を立てて力強く消されていくのを見ていると黒板がやけに可哀想に思えた。
そんな私達に、予想もできない事態が待ち受けていた。
夕方のホームルーム。まもなく1日が終わるとホッと一息ついていた頃、担任である消太さんは言った。
「日直はこの後、明日の授業で使う資料の作成があるから職員室へ来るように。以上」
そう言ってあっさりとホームルームを締め教室を出て行ったのだ。私と爆豪は2人とも同じような表情で、口をあんぐりと開けて固まっていた。
「そんな……!嘘でしょ……」
私は地獄を目の当たりにしたかのように、絶望を感じていた。それでも消太さんは有無を言わせない。もう教室には居ないわけだが、居たとしても私の主張は通らないだろう。諦めるしか道はないこの状況に、仕方なく一人職員室へと向かっていった。
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「………ありえねぇ」
手を動かしながら呟く爆豪。もちろん私は何の反応も返しはしない。
ここは職員室の隣にある会議室。長テーブルには種類の違うプリントがいくつか並べられている。消太さんからは、これを一枚ずつ順に取ってホチキスで留めるよう言われている。実に簡単な作業だ。だが、2人で共同作業をしようとするとなかなか進まないのが実態だった。
「邪魔だ!そこどけっ!」
「遅せぇ!早くホチキスよこせよ!」
隣は職員室だと言うのに、大声で私へ罵声を浴びせてくる爆豪に私は全てを無視して作業を淡々とこなしていた。それらは単純作業なので、私は案外冷静に手を動かしながらも頭では別のことを考えていた。
今まで日直当番がこのような作業に呼ばれることはなかったはずだ。敢えて、この2人が当番で重なった時にこのような仕事を命じたということは、消太さんには何か意図があるに違いない。
きっとわたしと爆豪の間にある壁、いや溝とも呼べる距離感のことを気にしてのことかもしれない。というか、それしか思い当たる節はない。仲良くはなれないにしても、もう少し歩み寄って分かり合うべきなのは心の隅では分かっていた。
「ねぇ、爆豪ってさ」
私は手を止めることなく作業を続けながら話を切り出してみた。何か共通の話題を、と頭で模索しやっと出てきた質問がこれだった。
「家族いるの?」
「あ?」
意図の分からない唐突な質問に苛立つ爆豪。深い眉間のシワがそれをしっかりと表している。自分で振っといてなんだが、私は特に興味もないこの話題の膨らませ方に困り果てていた。
「親とか兄弟とかさ、いるのかなって」
プリントを手に取る音と、ホチキスを止める音が定期的に空間に鳴り響く。静かな会議室には、その音がやけに大きく聞こえた。
「は?親なんてみんないるだろ」
爆豪は不機嫌そうな顔のまま手を止めずに作業を続けていた。なぜか、その言葉だけが私には強い衝撃として頭に響いていた。
「……いないよ」
私は手を止めて白い紙を見つめる。もともと爆豪の声で騒がしかったこの部屋も、彼が黙ると静寂を取り戻すことが出来たのだった。
「私にはいない。親も兄弟も」
爆豪は何も言わない。何を考えているのかもわからない。視線は感じるが、私から目を合わせることはできなかった。
「家族はいるけどね!」
私はわざとらしく引きつった笑顔で言うと、また手を動かし始めた。頭には消太さんの気だるそうな顔が浮かぶ。
「意味わかんねぇ……むかつく」
彼をちらりと見ると、相変わらず眉間にシワが寄ってはいるがどこかいつものような威圧的な態度はなかった。そう言ってトントンと出来上がった紙の束を整えると爆豪はパイプ椅子から立ち上がった。
「親がいるかいねーかなんてどうでもいい。そんなの人によるだろ」
そう言って彼は圧のない目で私に言った。言葉は攻撃的だが、雰囲気はいつもと明らかに違う。その表情は少しだけ申し訳なさげだ。
良いように解釈しすぎかもしれない。それでも、私にとっては彼を知ろうと言った話が結果的に彼に慰められたような形になった。そんな意外すぎる結末に私の作業する手はいつの間にか止まってしまっていた。
「俺の分はちゃんとやったからな!俺は帰る!」
いつもの苛立った爆豪に戻ったかと思うと、彼は鞄を肩にかけズカズカと歩き会議室を後にした。
ガラガラッ!!
バンッ!!
勢い良く開き、勢い良く閉まる扉。彼の周りに存在する物体すべてが彼のストレスを受け止める役割を担っているようで実に哀れに感じた。
「なんなの……あいつ」
私は誰もいなくなったその空間に1人、ぽつんと取り残されていた。
「手伝ってくれてもいいじゃん……バカツキ」
私はまだ終わらない自分の分の紙をみつめて目に涙を溜めていた。悲しいのか、嬉しいのか、悔しいのか。自分でもわからない涙だ。私は無言で淡々と仕事をこなしていった。
すべての作業が終わると、爆豪が置いていった分を纏めに席を立った。よく見ると、私がやった分より多い資料が出来上がっている。彼の卒ない行動に意外性を感じつつも、それらを纏めて隣の職員室にいる消太さんのところへ持っていった。
「出来ました」
私は紙の束を消太さんに手渡しをした。この場所は好きじゃない。教師がたくさん集まり、静かに仕事を進めているからだ。
「爆豪はどうした?」
消太さんは出来上がったものをパラパラと手で確認しながら言った。
「先に帰りました」
その言葉に消太さんはちらりと私に視線を送る。私は彼が口を開く前に続けて言った。
「爆豪は自分の割り振りはちゃんとやっていきました。ただ私が遅かっただけで」
なぜそう言ったかはわからない。事実を言ったまでだが、いつもなら彼を庇うようなことを言うはずはなかった。それを聞いた消太さんはフッと笑うと、紙の束を机の横に置いて言った。
「ご苦労さん、助かったよ」
私はそう言われて多少なりとも嬉しくなった。最初は疑問しか湧かなかった感情も、不思議と何かを掴んだ気がしていた。
爆豪 勝己。嫌な奴だし、今だって彼を好きにはなれない。それでも、少しずつ彼を知ることで、これから何かが変わるかもしれないと今日改めて気づかされたのだった。
私はまだ生徒が騒がしく談笑している廊下を過ぎ去り、夕日を目一杯に取り込んだ1年A組の教室へと戻っていった。
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