Book-long-@

□はじまり
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湿気の多い暗がりの部屋。

8畳ほどの部屋に、小さな照明が天井から一つ、寂しげに吊るされながら細々と辺りを照らしている。

朝日は昇ったというのに、窓を閉め切っているせいかそこはまるで地下室のように光を遮断している。

「消太さん、出発の時間です」

ギィと音を立てながら、古びた小さな窓を開ける。溢れるような光が二人を優しく包み、とても気持ちのいい風が部屋に入ってくるのを肌で感じた。今日もいい天気だ。

「ああ。もう準備はできたのか?」

低い声質にどこか気だるそうな顔立ちは、つい先程の状況には相応しかっただろう。

「もちろんです。そろそろ出ないと遅れちゃいますよ」

足元を歩く愛猫のミケの体を優しく持ち上げ、頭を撫でながら私は言った。

全身黒い服、口元から肩にかけて長い包帯のような布がマフラーのように無作法に巻かれている彼の名は相澤 消太(あいざわ しょうた)。ボサボサに伸びた黒髪に無精髭を生やした姿はまるで浮浪者のようだが、これでもプロのヒーローだ。

そして、彼は私の師匠であり家族でもある。血の繋がりはない。親に捨てられ影のように生きていた私を拾ってくれたのが彼だった。

ボサボサの髪を掻きながら少し気だるそうに立ち上がり、いつもより大きい荷物を持つと扉へ向かって足を進めた。

「今夜はきっと会議で遅くなる、お前らは先に寝てろよ」

そう言いながらすれ違い様に扉の前で待つ私とミケの頭をポンポンと撫で、光の差し込む先へ出て行った。

「もう……!いつまでも子供扱いしないでくださいよ!」

頭に触れられたことへの照れ隠しに彼の背中に向けて声を投げたが、そのまま振り向くことなく無言で進んでいく姿にふて腐れた表情でついて行く。

私の黒髪は腰までまっすぐに伸びているため、走るたびに左右に揺れる。後部で一つにまとめていなければ、この心地よい風でさえも髪を乱してしまうだろう。彼を真似て黒い服に身を包み、包帯のような布を腕全体に巻きつけている。そういうところが子供扱いされる原因の一つなのかもしれない。

そんな私も今年でやっと中学を卒業する。世間で言えばまだまだ子供なのかもしれない。それでも、大人として扱って欲しいと思うのが、思春期の女心なのではないだろうか。

「どんな試験でしょう……不安です」

追いついた後も少し後ろを歩き、しばらくの沈黙の後に私は呟いた。

「もちろん俺からは何も言えない。だが、お前なら問題ない」

そう言って顔は前を向いたまま、無責任とも聞こえる口調で続けた。

「“身体能力”で言えば鏡子ほど長けた奴はそう居ないだろう。“個性”となったらわからねぇけどな」

彼と共に過ごした時間はとても長い。個性が発現して程なくしてこの街に来ているから、10年あまりになる。その間は合理的とも言える鍛錬と、修行の数々。24時間365日、彼のようなプロのヒーローになるために勉強し、体を鍛えてきた。

プロのヒーローを目指す若者は多いと、昔テレビでやっているのを見たことがある。オールマイトという“平和の象徴”であるヒーローが、人々へ夢と希望を与えていると。プロのヒーローになって人々を敵〈ヴィラン〉から守る。それは個性を持つ者なら一度は憧れるシチュエーションだ。

私の目指すべき場所も、同じくプロのヒーローにある。私は何が何でもプロのヒーローにならなければならない。それが私が生きる意味となり、生きた証となる。その夢に近づくために、これからどれだけのライバルを相手にしなければならないのか。これから待ち受ける試練に不安が募る一方だ。

「まぁ……なんだ。俺も試験官の身だからお前に肩入れするようなことはしない。だけど俺は半端に夢を追わせるような残酷なこともしない。今までやってきたことをそのまま……いや、それ以上を発揮することがお前の夢への一歩となる」

視線をこちらに向けることなく、そして歩みを止めるわけでもなく彼は続けた。

「俺が一緒に行けるのはここまでだ。試験会場はあっち、遅れんなよ」

雄英高等学校入学試験会場。
中学に入った時からずっと目標としていた場所。そびえ立つ校舎が私を飲み込もうとしているように見える。

負けてたまるか。

私が心の中でつぶやき、無意識に握りしめた拳を彼はチラリと見ていた。だが、それ以上を語ることなくフッと笑うと関係者用の扉へ向かって歩いて行った。

彼は“頑張れ”という言葉を嫌う。私も同じく好きではない。努力をした者へ宛てるにしては残酷過ぎる言葉なのだ。だから、“本当に頑張っている人”に軽々しく言葉にしない。ゆえに彼もまた、私に何も声をかけずに去って行った。

今までの努力を全部をぶつけてこいと言われている気がして、自分の中の不安が興奮に変わるのがわかった。私はライバルがひしめき合う雄英高校の門をゆっくりと潜って行った。





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