紅舞ウ地
□超えられない背中
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甲板の大半を占めていた積荷もようやく無くなり、広い床板が露になった。ちょうど昼食時ということもあり、作業の手を休めて食堂へ出向いたクルーたちに残り、アリアはひとり最後の積荷に手をつけた。もうあと二往復もあれば全て終わる。そう思い酒樽を担ぎあげようとしたところで、キャビン横にいたエースの存在に気がついた。
先の一件からやけに静かになったと思えば、一体今までどこにいたのだろうか……。
エースは壁にもたれ掛かり、静かに空を見上げていた。
「……どうやったらあいつを負かせられんだ……?」
低い落ち着いた声。彼の放つ不思議な雰囲気に見蕩れていたアリアは、その声にはっとした。ゆっくりと自分に近づくエースに、アリアは酒樽を置き向き直る。
独り言ともとれるその言葉は自分にだろうか……。
考えながらも、アリアの心は別の場所にあった。この半日だけでも、白ひげに返り討ちにされる姿を三回は見た。それが一番の気がかりだったアリアは、直ぐに上から下へとエースの容姿に視線を巡らせた。
「生きててよかった。」
「勝手に殺すな。」
小さな傷は体中にあるものの、変わらない口振りにアリアは心の中で安心した。
「少し……休戦にしたら?夜には大きな嵐もくるし……エースも外を出歩く時は気を付けた方がいいよ。」
「誰もそんなヘマはしねェ。……つか、停泊中でもおれに手枷すらつけねェなんて不用心だな。」
「不用心……?あはは、そんなに自由が不満?そんなの考えたこともなかったよ。」
「……この船の人間はどいつもこいつも同じように言いやがる。……おれなんて眼中にもねェってことか……。」
エースは口を尖らせて皮肉そうに呟いた。どんな時でも勝気なースがそんな風に自身のことを軽蔑して言うのは珍しい。よほど白ひげとのことが堪えているのだろう。アリアは内心驚きながらも、小さく笑いながら樽を担ぎ上げた。
「眼中にない……?他のクルーが私と同じようなことを言ったなら、それは違うと思う。」
「あ……?」
「みんなエースの強さは買ってるよ。白ひげに向かっていく、その人並み外れた根性も。」
「…………。」
「ただ、この船はそおいうのじゃないんだ……。上手くは言えないけど、ね。だから、私もここにいる……。」
さっ、仕事!と、足早に話しを切り上げようとした自分に、エースは顔を顰め口を開く。
「ここにいれば、それがわかるのか?」
エースは、一歩前へと踏み出した。二人の間は樽ひとつの距離。自分の影はエースの影に重なった。アリアは困り果ててふっと息を吐いた。
「……知ろうとしなきゃ、世界は何も教えてくれなかった。少なくとも私はね。」
一瞬、エースの目が揺らいだ。何か言いたそうなエースの目が自分を見ていたが、自分にはそれ以上何も言えなかった。
世界は自分たちが思うよりずっと残酷だ。その中で自分はここに居場所を見つけた。それだけのこと。
必ずしもエースがそうとは限らない、それはエース自身が感じとることだから……。
ぐっと、噛み締めるように押し黙ったあと、エースはおもむろに手を差し出してきた。
「それ、あっちの船に運ぶんだろ?」
そう言って、自分から酒樽を奪うとエースは軽々とその肩に担ぎ上げた。
「え……もしかして手伝ってくれるの?」
「勘違いすんな。借りを作るのは後免なだけだ。"これで全部"チャラだ。」
「……ああ……さっきの蹴り……?」
「………………。」
依然顰め面は変わらず。タラップを降りるエース。
それが彼の言う借りだとしても、それでもアリアは嬉しくて、言葉に甘えエースの後ろを追いかけた。