紅舞ウ地

□始まりは唐突に
6ページ/7ページ


海水の匂いに混じり別のいい香りがした。食い物や、香水なんかともまた違う……。そんな香りに誘われるように目が覚めた。
頭の片隅に残る記憶の煮え切らない気持ちも、視界いっぱいに広がった”それ"に、何もかもが一気に吹き飛んでいくようだった。
見えたのは天井でも空でもなく、自分の顔を覗き込む丸い瞳。目が合えば、一瞬間ができてその口元が動いた。

「……ハロー?」

語尾を上げるその声のトーンは低い。どこか不安そうに揺らぐその瞳に、目覚めたといってもまだ十分開いていなかった目は一瞬でかっ開いた。勢いよく起き上がれば、「キャッ!」と悲鳴にも似た声をあげて、少女は自分の視界から消えた。この時初めて自分がベッドの上にいるということに気づいたのだが、問題はそれではない。
エースはベッドの脇に視線を落とした。床に尻餅をついた少女がまじまじと自分を見ていた。思い出して嫌悪にも似た感情が蘇ってきた。それは自分と白ひげの間に立っていた少女だ。警戒を巡らす自分に、少女の表情が和らいだ。

「よかった、目が覚めて。これね、貼ってたところ。傷が酷そうだから。」

そう言って笑いかけてくる少女の手には自分に貼ろうとしただろう絆創膏が握られていた。

エースの顔は硬直した。脾肉のひとつでも言いたかったはずなのに、上手く声にならなかった。
元々白ひげが目的だったとはいえ、彼女に殺気や敵意はない。どうして敵の自分に笑いかけているのかと理解に苦しんで、エースは怪訝に言い放った。

「見りゃあわかるよ。」

苦し紛れに出た言葉は悪態をつくものだった。敵であれ味方であれ、自分はそう簡単に世界に認められる人間ではないことをよく知っていたから。
それでも少女は何一つ気にしていないのか、次々に言葉を並べた。

「酷く痛むとこない?あ、ねえ、お腹も空いてるよね?」

何を考えているのか分からない。

何故か、無性に居心地が悪い。逃げるように少女から視線を避けて、不意に自分の腕を見た。もう既に腕の数箇所に貼り付けられた絆創膏。

「………………。」

内から湧き上がる言いようのない倦怠感。一言で言えば、惨めだ。そんな思いを吐き捨てるように、エースは貼られていた絆創膏を全て剥ぎ捨てた。
もう、うんざりだった。何もかも。そんな自分を、少女は何も言わずただ呆然と見ていた。

床に座りこんだまま目線だけで自分の姿を追う少女の横を素通りし、エースは足早にドアを潜った。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ