紅舞ウ地

□名も無き海賊の還る場所
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「グルルル……」

獣の唸りのようなその声。何もない海の真ん中でこんな奇怪な物音がたつだろうか……。少女は冷静に考えて顔を歪めた。
次第に大きくなってゆく波しぶきの音が、着実に自分の元へと近付くその存在を示唆する。それは経験でも何でもない。まさに今身に起こらんとしている”現実”だ。
振り返ると、煙が明けたそこにいたそれ。これでもかというくらい充血させた目をかっ開き、怒りに口元を震わせる海王類とバッチリ目が合った。

「嘘ォッ!!って、あ……」

少女は咄嗟に腰のダガーを引き抜き両手に構えたが、ぐるりと視界が反転して独特の浮遊感を味わった。
何が起こったのか、考える間もなくメキメキとその音が耳に入る。真っ二つに割れた船体が見えて……船を襲ったのがその尻尾だと気づいた時には、体は宙に投げ出されていた。

少女は目の前の光景に絶句した。
無防備にも迫る海王類。妖しく光る牙のその奥には、まさに今目の前の獲物をその腹に収めようと底知れず広がる暗闇が待ち構えている。それでもまだ落ち着いていることができたのは、逆様の視界の中にその風景が映ったからだ。それからは全てがスローモーションだった。


屈託のない蒼空。その大きなキャンバスに絵を描くように、ゆっくりと流れる白い雲。そして、その空を一層輝かしく照らす、暖かくて眩しい光……。

重力に逆らいながら、少女は空に向かって手を伸ばした。届かない空に、それでもそこに見る人たちに掌を向けて……。

恐怖でも悲しみでもなく。少女は薄く笑う。

「こんなところで死んだら、またみんなに笑われちゃう……」

尚、その瞳に諦めの色はない。すっと短く息を吐いて。大きくクロスさせたダガーの刃と海王類の牙が交わった。


──新世界の海に獰猛な生物の悲痛な呻き声が轟いた。


ダガーの切れ味は、その硬質な海王類の牙を粉砕してみせたことで証明された。
牙の一部を失い、悶え後退する海王類を見届けながら、反動で弾き飛ばされた少女の身体は呆気なく海へと落下した。

──空に輝く太陽……
そのオレンジ色にある人を思い浮かばせながら……。


人の心を差し置いて。
世界はいつだって廻っている……。



「──ぷはぁっ!」

しばらくして海面に浮かび上がった少女の耳に、不鮮明なその声が飛び込んできた。遠くからではあるが、今度こそ確かな人の声だ。少女は胸に小さな期待を抱きながら、引き寄せられるように遠くの海を見つめた。

「──…火拳……」

声と共に海へと沈む海王類。反応するようにとくんとひとつ胸が鳴って、抑え込んでいた感情が不安定に揺らぐ。

深い海の蒼にも負けず、目の前一面に立ち昇った炎の渦は見蕩れるほど幻想的で……その綺麗なオレンジ色の中から現れた人物に、少女は目を奪われた。
勢いよく駆け抜けるその小船の主が差し伸ばす手が見えて、思い切り腕を伸ばせばそれは見事にキャッチされた。

「わりィ、遅くなっちまった!」

そう言って、その人は自分を自身の胸に抱き留めた。

ぎゅっと抱き締め返せば、感じるその人の体温。撫でられる手の感覚も、包む香りも、全てが優しくて愛おしい。

今瞳に映るのは、太陽のように笑うその人の笑顔。

「エース……!」

腕に抱かれ帰る居場所を確認した少女は、安心するように眠りについた……。
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