波紋の刻

□怒り
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朔夜は京極屋を飛び出し建物の屋根をつたって移動した。高所から見下ろす風景には特段変わった様子もなく鬼の巣食う吉原の街は嫌に静けさを放っていた。

奪われたくはない。奪わせない。大切な者を。絶対に。

まず天元たちと合流しなければと冷静に考えようとしても頭の中で考えが先走る。整理のつけられない思考のまま朔夜が建物から建物へ飛び移ろうと屋根を蹴ったその時、物凄い破壊音が聞こえ朔夜の飛び移ろうとした先の家屋の二階の格子に何かが激しく飛んで来てぶつかった。炭治郎である。朔夜は咄嗟に日輪刀を瓦に突き立て足を止めたのでそれに巻き込まれることは免れたが、それが鬼の所業である事は疑わずともわかった。

「炭治郎!!」

朔夜は家屋に激しく打ち付けられたその少年の名を呼んだ。炭治郎に息はある。それは分かった。しかし朔夜の呼ぶ声が届いていないようで、炭治郎は向かいの建物の二階の窓をずっと見つめたままだった。その視線を辿る先にいた鬼。そして全てを否定するような聞き覚えのある堕姫のそ声がした。手に汗が滲み喉が渇く。改めて朔夜に緊張が巡った。これまで遭遇した鬼で朔夜はこれほどまでの空気の淀みを感じた事がない。いや……一度だけ味わったことがある。七年前、自分がまだひ弱であった"あの時"と同じだ。

「おや?ようやくお目覚め?アタシが興味あったのは柱だけなんだけどねぇ。」

堕姫は朔夜に気づき不機嫌そうに言い放った。朔夜は堕姫を警戒しながら炭治郎に駆け寄りその身体を支えた。

「朔夜さん、無事だったんですね。良かった。善逸の行方が知れないと聞いて……」

ようやく落ち着きを取り戻し朔夜の姿を確認してほっと眉を下げた炭治郎に朔夜は胸が締め付けられた思いだった。

善逸は自分の目の前で……。

朔夜は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。炭治郎は直ぐに表情を戻し背負っていた禰豆子の入った木箱を下ろすと刀を構えた。朔夜も今は私情を挟んでいる場合ではないと不安定な気持ちを抱えたまま日輪刀を握り直した。相手は上弦の鬼。真正面から向かうだけでは駄目だ。ふと朔夜は堕姫の操る帯に囚われた花魁の姿を確認した。炭治郎の目を見て朔夜はまず炭治郎が取るだろう行動を予測した。

「炭治郎、水の呼吸ならよく知っている。私が加勢するから貴方は思うままに刀を振るって。」

朔夜のその言葉を聞いて炭治郎は力強く地を蹴った。善逸と同じ。姿だけがその帯の中に囚われている。その閉じ込められた帯を炭治郎は狙った。炭治郎に続き地を蹴った朔夜だが、炭治郎を抜き去りより早く堕姫に刃を届けたのも朔夜だった。

無ノ型、鏡花水月──。

相手に幻覚を観せる技。それが上弦の鬼相手に通用するのか半信半疑であった。しかし、自分の放った技で相手の集中を削がせた事で炭治郎は最低限の鬼の攻撃を受けるだけに留まり、見事に花魁の囚われた帯の端を切り離すことに成功した。あわよくば鬼の頸も狙っていた朔夜だが、堕姫の鋭い察知能力で直ぐに技が見破られ後に朔夜の入れた追撃は安易に回避されてしまった。

やがて炭治郎と朔夜は地面に着地する。堕姫と少し刀を交えただけで息を上げる炭治郎を朔夜は横目で案じた。まだ鬼殺隊に入隊してそれ程経っていない隊士なのに無理も無い。善逸といい上弦の鬼を前に尻込みしないだけで賞賛される。すると炭治郎は唐突に言った。

「俺の知らない水の呼吸の型……義勇さんみたいだ。」

朔夜は、え?と炭治郎へと顔を向けた。本気で今それを思うのか。戦闘中にも関わらず炭治郎は朔夜にそう話してきた。どうしようもない焦りは顔に滲んだままなのに、その目は輝かしく確かに義勇と自分に対する尊敬の意が込められていた。あまりに純粋なその感情には朔夜も思わず緊張の熱が冷めていった。普段ならこんな余裕のある喋りなど交わすことは無いが、それには朔夜もふっと笑い平静を装い答えた。

「何にも囚われない自分の型が一番私に合っているの。」

この機に乗じて自分たちが上弦の鬼を目の前にしているという事実を少しでも錯覚させたかったこともあった。それでないと今にでも足元から崩れ落ちてしまいそうだから。

「この戦いが終われば、俺にも剣術を教えてくれませんか?」

炭治郎のその一言に朔夜からはまた笑いが零れた。心の底からではない空笑い。

「私も一般隊士だから……私なんかに教わるより柱に教わるといい。」

「義勇さん、俺なんかに稽古つけてくれますかね。」

「そうね……。じゃあこの任務を遂げたら一緒に頼んであげる。」

「それは助かります!」

そんなたわい無い会話をして少しでも気持ちが楽になったのは確かだ。どちらも今という時が最期かもしれない。そんなこと微塵も感じさせずに。
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