波紋の刻

□思い違い
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何度か聞いても一貫して怒っていないと主張する義勇に、それが怒りでないのならば何なのかと朔夜は戸惑った。朔夜は人の心が読めるわけではない。身体に現れる仕草や行動から何を考えているのか想像をしているだけだ。
人の感情というものは瞳によく現れる。その人がどういった性格で何を嫌い何を好むのか。今欲しい言葉は何か、どう行動してほしいのかと。その人の反応を見て朔夜は判断を決める。

見る人から見れば誰に対しても無難にやり過ごしているだけだととられるかもしれないが、鬼殺隊の中でも朔夜のような明らかな異分子がこれまで荒波を立てず立ち回ってこれたのはそのお陰でもあった。

だから朔夜は普段滅多なこと、それこそ何かの目的を無しに他人を否定したり拒否することなどない。故に他人からも反論を受けることも無い。そうならないように生きてきたからだ。今回は自分が拒否をした事で齎した予想外の事態ではあるが、義勇が受け流すことをしなかったことで朔夜にはこれまでの経験からそれに応えられるだけの耐性がなかった。
こんなはずではなかったのにと、今にも朔夜の心の声が溢れそうであった。義勇の気持ちを読み解くことが出来なければ朔夜は本当の意味で解放された気になどなれない。

「怒っていないのなら、どうしたの……?」

その心を知りたいが言葉にしてくれなければ分からないこともある。義勇は困ったように少し眉を下げたが朔夜の質問には答えなかった。義勇の気持ちを誰よりも理解したいと思う。だけど自分ひとりで考えるだけでは今日はそれが思うようにできないのだ。
切ない表情で見つめる朔夜の顔元に義勇は手を伸ばした。朔夜は反射で首を竦める。義勇の手は朔夜の髪をさらりと透かした。

「髪は乾いた。これで問題はないだろう?」

義勇の一言はこれまでの空気を一瞬で打ち払った。そういう人であるのだが朔夜は呆気にとられた。何か上手く話を逸らされた気もする。視線だけをこちらに向けたまままた義勇は羽織を床に置き、それをぽんぽんと叩いてみせた。どうしてもそれを枕に横になれということだろう。
また朔夜の悩みの種は元に戻る。何度も言うが朔夜はそれをしたくはない。その優しさには感謝しているが、ただ敷物が義勇の羽織であるということが朔夜にとっては大きな問題なのだ。
朔夜の頭は混乱していた。いよいよ言い訳のしようもなくなった時朔夜はふと閃いた。朔夜は爽快な笑みを義勇へと向けた。

「それなら自分の羽織を敷くから。」

初めからこうすればよかったのだ。どうして気づかなかったのだろう。こうすれば義勇の羽織も傷めず納得してくれるはずだと朔夜は自己解決する。朔夜が羽織を脱ぎそれを枕に横になりかけると、それでもまだ義勇が流すような視線を向けた。

「それでは風邪を引いてしまう。」

……え?

朔夜は笑顔のまま静止した。朔夜の思いは打ち砕かれた。これ以上どうしろというのかと思っていると、ふわり。義勇は自身の羽織を自分の身体にかけてくれた。その時僅かに口端を上げた義勇に朔夜の表情は解けた。
今度は拒否せず受け入れた朔夜を見て義勇は立ち上がる。その背中を朔夜は目で追った。そんな朔夜に背中を向けたまま義勇が言う。

「風呂に行ってくる。ちゃんと水も飲んでおけ。」

自分の知りたいことを聞かなくても義勇から話してくれることは珍しく、ひとり寂しく取り残されると思っていた朔夜は嬉しくなった。

「……ありがとう。」

何故自分の気持ちを分かってくれないのだろうかと思っていたが、まさかではあるが自分の気持ちを分かったうえで義勇はそうしていたのだろうか。この羽織が大切な物であることに違いはないはずなのに。それ以上に自分の体調を気遣うという単純な理由の為に。どうしてそこまでしてくれるのかと、到底知り得ない義勇の心に朔夜の心臓は鳴った。

朔夜は白湯を一気に飲みほすと今度こそ横になった。時間も経ち先よりは逆上せも冷めていないと可笑しなはずだが、また顔の熱が上がっていくのを感じ朔夜は身を丸めた。義勇のその羽織の中に朔夜の身体はすっぽりと収まった。自分とは違う者の香りがする。そう思うだけで胸に妙な擽ったさを感じた。
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