波紋の刻

□風柱・二
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小春日和の温かさを感じながら朔夜はゆっくりと目覚めた。気持ちは落ち着いていた。見覚えのある慣れ親しんだ天井。氷枕が敷かれているのか、首の後ろはひんやりと冷たい。障子戸から射し込む日差しの感覚ではまだ夕暮れ時に満たない時刻だろうか。

「…………。」

どうやら意識を無くしてしまったようだ。ぼーっと天井を見つめながら、何故ここがいつものように蝶屋敷のベッドの上ではないのだろうかと朔夜は考えた。
一面が畳の布団と鏡台があるだけの質素な部屋。鏡台の上に置かれた多数の髪留めは朔夜のものだ。
ここは義勇の屋敷。普段使わない広い屋敷内の客間を居住空間として使用している朔夜の部屋だ。特段行く宛てもない朔夜は、本部近くに身を寄せる時無理を言ってここに寝泊まりしている。

枕元には綺麗に折り畳まれた隊服と羽織、日輪刀が置かれていた。身は部屋に置いておいたはずの寝間着としている薄藤色の着物を着用していた。襖の外の人の気配に気づき朔夜はゆっくりと上半身を起こした。

「義勇……?」

「申し訳ないが、俺は水柱ではない。失礼するぞ。」

とりあえず思い当たる節の人の名を呼んでみたが、そう言って部屋に入ってきたのは先にしのぶの前で朔夜を抑え込んだ男性隊員だった。朔夜を見るや否や隊員は激怒した。

「安静にしとかなきゃ後遺症が残るぞ!不死川様の手刀を受けて意識があったのが不思議なくらいだ!」

「も、申し訳ございません……。」

隊員は目を逆三角に尖らせる。朔夜はその勢いに圧倒され言われるがままにまた布団の温かさの中に戻った。隊員は隣にどしりと胡座をかいて座ると、ずらずらと義務的にその後の事を話し始めた。

あの後柱合裁判が行われ、耀哉の意向もあり鬼の禰豆子と炭治郎が改めて鬼殺隊の一員として容認されたこと。義勇もまたそれに乗じ何の処罰もなく済んだこと。

まだ話は続いているが、聞きながら朔夜の瞳は熱くなった。目にはじんわりと涙が溜まっていった。きっと上を向いていなければそれが零れ落ちていただろう。朔夜は隊員に悟られないように日差しを避ける振りをして腕で目元を覆った。

「冨岡様は……?」

「あんなことになったが任務帰りだ。自室で休んでるんじゃねぇか?」

「そう、ですか……。」

とりあえず挨拶はしたが返事はなかったので屋敷には勝手に上がらせてもらったと隊員は言う。

「それにしても、あの水柱が他人に命を張ってたなんてたまげたよ。」

一通りの説明が終えた後、何気なく隊員が漏らした言葉に朔夜は静かに耳を傾けた。

「……冨岡様は人情には熱い人ですよ。」

分かりにくいですがと、柔らかく笑う朔夜に隊員は一瞬時を止めた。普段から表情穏やかではあるが、あまり見ることのない朔夜の顔であった。
何を感じたのか、瞬く間に隊員は耳まで顔を赤く染め上げた。といっても、隠の人間が着用している顔布に覆われてその顔の殆どは見えないが。その瞳から隊員の様子を読み取った朔夜はどうしたのかと首を傾げた。

「 そ、その着物着せたのは女の隊員だからな!安心しろ!」

隊員にしてみれば悟られまいとただ自身から注意を削ぐ為に咄嗟に出た言葉であった。特段の意味が込められたものではなかったのだが、朔夜は一瞬何のことかと疑問を浮かべああ、と口元を吊り上げた。

「それは不安に感じてはおりません。」

「なッ……歳頃の娘がそのような概念では困る!」

躊躇う様子もなく真正直に答える朔夜に、それはそれで隊員は赤面して叱責した。しかしそういう意味ではないと朔夜は笑った。

「着物の前合わせはちゃんと右前で、帯の結びも丁寧にされていて、なかなか男性でここまで器用な方はそうはいません。それよりも、どうして私がここにいるのかの方が気になります。」

そこまで言えば隊員も熱を冷まし動きを止めた。なるほどと、隊員は顔を赤く染めたままコホンとひとつ咳を落とした。

「最初は蝶屋敷に運んだが、あまりにも他の患者が煩すぎて眠ったまま唸っていたんでな。胡蝶様の計らいで水柱の屋敷に移したわけだ。こちらの方がゆっくりと休めるだろう。」

そんなに夢見が悪い気もしなかったのだが朔夜は状況を理解した。すると隊員はしきりに時刻を気にしていた。聞けば朔夜は別の任務で参加してはいなかったが、義勇も派遣された那田蜘蛛山での任務では相当な数の死傷者が出たらしい。下弦ではあるがそこには十二鬼月がいたという。隠の人間は半日ほど経った今でもまだ傷病人の輸送や手当に追われ息つく間もないらしい。
朔夜の経過は良好だと判断したのだろう。隊員はしのぶに様子を見るよう頼まれて来ただけだと、朔夜にこうしてはいけない、ああしてはいけないと口酸っぱく言いつけると足早に部屋から出ていった。

「…………。」

隊員が出て行った後の部屋は驚くほど静かだった。十二鬼月のその頸を斬ったのが義勇だとも聞かされて、尚のこと本部でその姿を確認できてよかったと思う反面心穏やかではなかった。

すうっと深呼吸をして朔夜は隊員に言われたように一度は目を閉じた。しかしながら落ち着いて眠ることが出来ずにまたその目を開けた。もう心配事は全て取り払われたはずなのに胸の鼓動は治まらなかった。朔夜は羽織を肩にかけると静かに床から抜けた。
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