蒼+赫

□5話
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傷の処置も施され落ち着いた頃、比較的軽傷であった悠仁と野薔薇は恵の自室を訪れた。ベッドで身を休める恵を囲むように二人は座り、手土産に持って来たピザを口へ詰めながらたわいの無い談笑をしていた。

「でもまあ伏黒の怪我が大したことなくて良かったな。」

そう笑顔を向ける悠仁に恵は当時呪力が尽きていた事が幸いしたと、高専の女医である家入硝子の反転術式で治せる程度の怪我であったことを説明した。そう話す最中、呪力といえばある人物の事が脳裏に過り恵は自身の腹に手を当てた。恵が思い浮かべた人物と呪霊を退けた瞬間まで一緒に居たはずの悠仁が何か変わった事を語るわけでもなく、野薔薇に至ってはその人と行動を共にしていなかったので恵はこの場でそれについて触れる事は辞めた。それに明らかに首を突っ込むと面倒そうな臭いがする。それはそれとして一旦考えることを諦めると、恵は改めて特級呪霊との戦況を思い返し複雑な想いを滾らせた。

「虎杖、オマエ強くなったんだな。」

恵はそう言い数ヶ月前に悠仁と交わした言葉を思い出した。それは交流会以前、悠仁と共にした任務での事だ。あの時は悠仁とはもう二度と会えないとそう思っていただけに、今ではそう遠くない昔のことを懐かしいとさえ思う。

"宿儺の器"悠仁がそう呼ばれるのには所以がある。特級呪物である宿儺の指を体内に取り込んだことにより、悠仁の中にはもうひとつ両面宿儺の自我が存在する。任務の最中、宿儺に自我を奪われた悠仁はその暴走を抑える為に自ら自死する道を選んだ。その死の間際に悠仁はあることを恵に言った。かつて恵が選んだ生かすという選択、その恵の真実が正しい事だと。
恵は今あの時悠仁が正しいと言った言葉の意味を深く理解した上で、それは正しくもあり間違いであると今この場で否定した。
深く考え込んだ様子の恵に野薔薇はすかさず答えのない問題もあると指摘するが、それは恵も理解しているつもりだ。決断は最終的に自分自身が納得出来るかどうかで全ては決まると恵は自身の見解を述べた。人それぞれ自分の正義や物差しは違う。他人がいくら矛盾を並べても自らがこうであると肯定しさえすればそれが個の真実となる。しかし後悔や疑念を持たずその意志を貫き実行する為には、自分自身が強く在る必要があると恵は目に強い決意を灯した。

「俺も強くなる。すぐに追い越すぞ。」

弱い呪術師は我を通すことすら叶わない。今回の呪霊の襲撃を受け、更にそれを強く思った恵は悠仁に対し自分なりの想いを告げた。その前向きな言葉に悠仁は顔を綻ばせ恵らしいと笑った。

「私抜きで話進めてんじゃねーよ。」

二人だけで進む話に面白くないと不服を唱える野薔薇。そんな日常の風景を取り戻しつつある空間に、そもそもこの場に居なかったはずの人間があたかも初めからそこにいたかのように溶け込んでいた。

「それでこそブラザーの友達だな。」

そう言って恵の足元で腕を組み一連の流れにひとり深く頷き感銘を受けていた葵には一気に場が沈黙した。いつから居たんだと三人共が同じ顔を並べ同じ事を思ったのは言うまでもなく、加えて葵の横に更にもう一人、何故か三人と同じような視線を葵に向け葵以上に違和感なく場に溶け込んでいた補助監督には心の中で突っ込みを入れた恵以外誰も触れなかった。
悠仁は葵を認識するや否や光の速さで窓から外へ飛び出した。葵はそれを追って行ったが屋外にいるはずの二人の大層なやり取りは部屋の中まで響いてきた。

「賑やかですねぇ。」

「アイツら煩すぎんのよ……って、美来さんまでいつの間に!」

「生徒たちの様子見です。」

答えながら美来は野薔薇の隣で緩く笑んだ。恵が知る限り葵がいたその時から美来もそこに立っていたはずだが、今頃毛を逆立てた猫のように驚いていた野薔薇には今まで本気で気づいてなかったのかと恵は呆れた視線を送った。むしろ彼女が自分の元へ来るのではないかとそんな予感がしていた恵には何ら驚きはなかった。すると野薔薇が唐突に言った。

「伏黒も大丈夫そうだし私も自分の部屋に帰って休むわ。ごゆっくり〜。」

マジかと恵は野薔薇に助けの視線を求めたが、野薔薇はそれに気づくわけでもなくさっさと部屋から出て行ってしまった。まさかこんな早々にお膳立てされたかのような状況が整ってしまったことに恵は愕然とし、二人だけになってしまった事で必要以上に美来の言動に警戒を巡らせた。
恵たち生徒らは一旦落ち着き制服から楽な部屋着へと着替えていたが、美来はというと裾や上着に皺が入ったスーツを着用し乾いた土跡が残ったままの靴を履いていた。交流会からそのまま来たのか、急いて自分の元へ向かわなければいけないほどの何かがあるのだろうと恵には半ば確信的なものがあった。一方の美来は部屋を見回すと目に止まった丸椅子をベッドの足側まで引きずっていき、恵と対面になるようにその椅子に腰掛けた。恵は難しい顔でしばらく美来の行動を追っていたが、彼女は開いた窓から外を眺めてみたり寛いだ様子で背伸びをしてみたりと、その様子はあまりに警戒心のないものだった。どこまでいっても美来はそんな調子で、さすがの恵も張っていた顔の筋肉は緩みすっかり緊張の糸は切れてしまった。

「いや、本当にゆっくりしようとするの辞めてもらえます?」

それにはつい恵も心の声が漏れ、すぐにはっとして口元に手をやった。美来はそれに反応したが恵の皮肉を気にする風でもなく、足元側のベッド柵に両腕をクロスさせ持たれ掛かると真っ直ぐ恵の方を見た。交流会ではゆっくりと向き合う暇もなかった事もあり、恵は初めて美来の顔を正面からまともに見た。誰が見てもその端正な容姿に直視されれば異性に対し無頓着な恵ですら自ずとくすぐったい顔になる。しかしこちらを向いているはずの美来とは一向に視線は交わらず、直ぐに彼女の視線が自分の腹に注がれていることに恵は気がついた。じっと見られているそれは、まるで服の上からでも自分の腹の怪我の状態が見通せてでもいるのかという程の真剣さだった。

「大丈夫そうですね。」

しばらく恵の腹を見つめた後美来は徐に口を開いて安心したように笑った。腹のことに触れられた事もあり、はたと再び本来の警戒心を取り戻した恵は見る見る怪訝な顔つきに変わっていった。

「わざわざそれを言いに来たわけじゃないでしょう?」

無愛想な口調で恵は言った。美来は眉を上げ一瞬何を言われているのか分からないといった顔で驚いているようだった。

「それはどういう意味ですか?」

「他に言う事あるんじゃないですか?あの時俺に何をしたんですか?」

ヒリついた剣幕で恵が問い詰めるも美来は落ち着きを払ったような目をしていた。その感情の乱れを感じさせない穏やかな視線にはひとり気を荒らげている恵自身が馬鹿らしいとさえ思えたほどだが、ここでうやむやにされてはいけないと恵は態度を変えなかった。

「あの時というのは交流会でのことですか?私はただ仲間の応援が来ることを知り無茶をしようとしていた恵君を止めようとしただけですよ。」

顔色も変えずに話す美来の白々しさに恵は苛立った。

「そうじゃない。体から抜けていく呪力の感覚を俺は覚えてる。アンタは呪力もない、呪術も使えないはずだ。じゃああれは一体何だったんですか?」

恵は拳を握り締めた。そこまで言うと美来は初めてその平坦な顔に僅かばかり疑問の色を浮かべた。

「そこまで分かっていて何故誰にも言わないんですか?」

誤魔化すでも否定するでもなく美来は心底不思議そうに恵に問いかけた。それは恵の発言を認めた事でもあった。自身の身に起きたことはやはり勘違いでは無かったのだと恵は納得する事ができ、ようやく心の中のもやが晴れた気がした。それと同時に普通ならば術師でもない美来が一体何者なのかと留意点を置くのだろうが、問題がはっきりした今それは恵にとってさほど重要な事ではなかった。

「単純に確信が無かった。あとひとつこれは俺なりの見解ですけど、それを口外することはアンタにとってデメリットになるんじゃないですか?」

「自ら恵君に触れたのは私なのに、どうしてそう思うんです?」

「これをあの五条先生が知らないとも思えない。だけど知らない人間が多すぎる。詰まる所、上層部の人間に知られちゃまずい。違いますか?」

認めたくはないが、どんな問題を抱えた人間であれ悟が認知しているのであればそれだけで無条件に安心感が得られる。あの人ならやりかねない、そう思っていた恵の思考を読み解いたかのように美来は丸くしていた目を細めてクスクスと声に出し笑い出した。何がおかしいんですかと冷ややかな視線を向ける恵に、美来は組んだ腕に顔を埋めその中から目元だけを覗かせた。そこまでたった数秒のものなのに恵には何処か美来の雰囲気が変わったような気がした。何が変わったと言えば上手く説明はできないが、行動仕草は同じであるのに同じ喜怒哀楽でも幾分以前よりも自然体になったというか……兎に角何かが変わった。
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