蒼+赫

□4話
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帳は相変わらず空を遮断し、空間は呪力で満ちている。呪霊に向かい合う術師が入れ替わったというだけで何ら状況に変化があるわけではなく、川の中には呪霊と悠仁が互いに様子を測りながら向かい合っていた。再び川へ入ろうとする美来とは対象的に、岸へと向かう葵はすれ違いざまに美来に言った。

「光月と言ったか?何の冗談かは知らんが今は下がって虎杖を見ていろ。」

美来は川に足を浸けたところで止め横切る葵を横目で見た。葵は岸に上がると腕を組み悠仁に言葉を投げる。

「俺は手を出さんぞ。虎杖オマエが"黒閃"をキメるまでな!!"黒閃"をキメられずオマエはどんな目に遭おうと俺はオマエを見殺しにする!!」

「押忍!!」と悠仁は芯のある返事をする。全くもって蚊帳の外である美来は静かに川から足を引いた。

「葵君、いくら呪術師とはいえ目の前で生徒に死なれては困ります。」

「ここは俺たちのやり方でやらせてもらう。異論は受け付けん。」

「そうは言っても見殺しというのは捨て置けないですね。私が居てそんなことになれば……」

目線を下げ意味ありげに語尾を窄める美来に葵は首を傾げる。その視線に気が付き、美来はいえと小さく首を横に振り岸に上がった。

「誰も死なせたりしないと恵君にも約束しましたし。」

適当な言葉を並べながら美来は葵の前まで歩く。葵は見下ろす形で自分の前に立つ女を見た。交流会前の初見の印象とは全く違い、彼女は何を考えているのか分からない無心の色だった。

「随分と自信がある口振りだが、俺にはそうは見えんが?」

葵はじろりと美来の容姿を見回した。そんな葵に何を答えるわけでもなく美来は不意に踵を浮かせ自身の顔を近付けた。至近距離で美来の目はじっと葵の目を捉え、それには葵も反射で身が引いた。
美来の瞳は彼女の髪と同じ深い漆黒の色をしていた。魅惑めいた瞳を隠すように生えた長い睫毛。通った鼻筋に、色白の肌に栄える血色の良い唇。香水なのか美来の髪の毛が揺れる度に風に乗って微かに香るのは、記憶に残る花のような柔らかく清い香り。乱れた身形ですら着る者を彩っているかのようだ。
数秒無言の間が空き、引き込まれそうなその瞳に葵はふと何かを悟ったかのように目をパチりとひとつ瞬き、急に真剣な顔付きになった。

「スマンが、俺は高田ちゃん一筋なんだ。」

はあ?と顔に書いたように美来は固まった。真っ直ぐに言う葵があまりに真剣そのものだったので美来は戸惑った。「何の話ですか?」その言葉は頭に浮かんだだけだ。人間本当に驚いた時ほど言葉というものは出てこない。それがまた誤解を生んだようで葵の表情がどこか得意げに変わったが、そこについては触れることなく美来は小さく溜息混じりの笑みを浮かべると、葵の口元に触れないくらいの距離に人差し指を立てた。

「憶測で他人を判断するのは危険ですよ。もちろん葵君も死なせはしません。」

私なんて必要ないかもしれませんが、そう付け加えて薄く笑い葵から離れる美来に葵は一時放心した。ベタな漫画の演出かのように葵は爽やかな風が吹き抜けたような感覚だった。

「アンタ……」

呟きながら葵が顔を歪める。

「なんと健気な女なんだ。」

声を噛み締めた葵の言葉が特に響いた様子もなく美来はまた振り返った。葵が余韻に浸っているうちに呪霊と悠仁に動きがあった。

『さて…どうくる?』

呪霊の言葉が頭の中に入ってくる。それを悠仁も理解したようで、悠仁は聞きたい事があると呪霊に問いかけた。「オマエの仲間にツギハギ面の人型呪霊はいるか?」と。呪霊が人型呪霊の存在を知ることをほのめかせば、途端に悠仁を取り巻く空気が重いものに変わった。美来もそれを感じ気構える。呪霊を前にしても穏やかだった悠仁の表情は険しさを増した。不安定で殺伐とした呪力が悠仁から流れ出している。それが怒りによるものだということは美来にも分かった。やがて悠仁は間髪入れず呪霊に攻撃を仕掛け出す。幾ら身体能力が優れているとはいえ、案の定感情に任せた攻撃は呪霊には当たらない。押しも押されもしないただ力をぶつけるだけの戦いが続いた。黙ってそれを見ていた美来。無論、割って入る隙などなかったのだが、その感情に流された戦いを誰よりももどかしく感じていたのは葵だったようだ。"マイフレンド"葵は戦いの間を見て悠仁のことをそう呼び止め彼の頬を平手打った。何だかんだ戦いにおいての明確な指摘をする葵とそうでは無い時の落差に呪術師とはそおいうものなのかと美来はまた呆気に取られた。それと同時に美来は過去の記憶の片鱗に触れた。無性に懐かしい感覚が芽生え彼らの背中に自分の知る人物たちが重ねて見えたのだ。何故今急にこんな事を思うのか美来には分からなかったが、ただ一つ言えるのは何か嫌な予感がした。美来の目には彼らの背中に映る影がぼやけて霞んでいく。

「…………。」

葵の一喝で集中力を取り戻した悠仁がまた地面を蹴る。打撃と呪力の衝突が寸分たがわぬ誤差の末に起こる空間の歪み、その瞬間にのみ目にすることができる黒い呪力の閃光。"黒閃"、悠仁が遂にそれを成し得る瞬間が訪れた。重く激しい一撃が呪霊を捉えた。美来にその黒い閃光を確認する術はないが、一点から漏れ出すように散々する濃い呪力の流れは間違いなく黒閃のそれであった。明らかに呪霊の呪力の流れが崩れた。特級とはいえ確実に呪力を削るだけの力が悠仁らにはあった。しかしながら呪霊は呪力の塊のような存在でもある。その呪力が尽きぬ限り直ぐに受けた傷も治癒することができる。
美来は意識を巡らせる。高専の人間なのだろう。少し前から帳内に新たに幾つかの呪力の源は感じるものの、帳の存在が五条悟の存在を否定している今、この空間に悟が居ないことは間違いない。

「流石に次は警戒されるでしょう。私が陽動になりましょうか?」

美来は悠仁の隣に立つとシャツの袖を手繰った。一応疑問形ではあるが、呪霊を見据えた美来の目はもうそうすると語っているようなものだ。それに悠仁は困ったように頭を掻きながら言った。

「それはダメだ。光月さんを戦闘に参加させるわけにはいかない。」

「それはどうしてですか?」

「光月さん呪術使えないんだよね?万が一何かあった時は光月さんを守るようにって、交流会前に五条先生に言われたんだ。だからさ、今がその万が一ってヤツだろ?」

聞いて美来は目を丸くした。葵は隣でそうなのか?と初めて知るような顔をしている。恵の事もあり、東京校の生徒には自分の素性が伝わっているとは思いはしていたがそういう事かと美来は納得した。悟はあくまで他言無用の姿勢を貫くつもりのようだ。しかしながら、未だに帳が明けていないところを見てもいくら悟とはいえ流石にこの状況を予測できていたという訳でもないだろう。

「そういう事ならば戦闘に加えるわけにはいくまい。──さあ調理を始めようか。」

葵もまた状況を把握したようで悠仁と疎通を図り構えた。
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