蒼+赫

□3話
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美来は木々が生い茂る森の中へと足を踏み入れた。ここは入念に下見した交流会のエリア内。開始地点付近に生徒の姿は確認出来ず更に奥地へと進んだ。黒のパンツスーツにヒールの靴。いくら補佐監督が戦闘に参加しないとはいえ随分動き辛い身形に、せめて履き慣れた靴にしておけばよかったと、美来は心の内で嘆きながら走った。まだ森の中には放たれた呪霊が数体いるはずだがそれすらも感知していない為、呪具である眼鏡が機能するかは未だ不明である。しかしあちらこちらに見受けられる呪力だろう痕跡は、眼鏡を通すと目視よりもより鮮明な形としてはっきりと見えたので少なからず期待は持った。そしてそれを辿れば誰かしら生徒の元まで行き着くであろうそう思っていたのだが、それがあまりに広範囲に広がっていた為に美来は道を絞り切れず森の中を彷徨った。
もうどれくらい探しただろうか。特段鍛えているわけでもなければ、整地の手が及んでいない山の中はただ走るというだけでも人一倍疲労する。美来は足を休ませる為に立ち止まった。額の汗を腕で拭い、汗でべとりと肌にくっついた長い髪を高い位置でひとつに縛った。そうなれば動きずらい上着も邪魔に思い美来はジャケットを脱いだ。すると服の内側から折られた紙が地面に落ちた。朝方悟に見せ示したものだ。

「…………。」

美来はそれを拾い上げしばらく神妙そうに見つめた後、無造作に丸めてジャケットのポケットに詰めた。そのままジャケットを腰へ巻き付けると、はあと誰に聞かれているでもない溜息をついてまた表情を改める。周囲をぐるりと見渡し、どの方角へ向かうべきか思考を巡らせた時だった。ガサり。地面を踏んだ音が聞こえ美来は森の奥へと意識を向けた。昼間とはいえ木々の重なる場所は光がない。呪霊かと逃げることを考えたが、隙間から僅かに差した陽の光で確認できた姿に美来は足を留めた。

「棘君?」

名を呼ぶと暗闇からも反応があった。

「しゃけ。」

自分に気づき一目散に少年はこちらへと歩み寄ってきた。何か肯定以外の言葉が聞こえた気がしたが、遠目からだったので聞き違いかもしれないともう一度近くに寄り確認する。

「棘君で合ってますか?」

「しゃけ。しゃけ。」

「…………。」

両手で円を作るその身振りからどうやらこの少年が狗巻棘で間違いはなさそうだが、更に食べ物の名前を重ねた棘にさすがの二度目は聞き違えではないと美来も棘を前に真剣な顔を作った。美来は顎に手を当て何か複雑な暗号かと考えたが生徒の名簿は教職の待機所に置いてきたし、確か棘は二年の呪言師だという情報しか頭の中にはない。全くもって何を言っているか美来には理解出来なかった。

「明太子?」

悩んでいるとぽんぽんと棘に肩を叩かれた。やはりそれは食べ物の名前であるが、語尾を上げながら首を傾げる仕草を見るところ、何か質問されているということだけは想像できた。

「えーと……、悟さんに言われて生徒たちの様子を確認しに来たんですが……こんな回答で合ってますか?」

この状況での質問といえばこれくらいだろうか。自信はなかったが、「ツナ、ツナ。」と納得したように数回頷いた棘を見て、美来は会話が成立したことにほっとした。

「とりあえず他の生徒たちの様子も確認したいので私も一緒に着いていきま──」

言いかけて美来は後ろへ振り返った。ピリッと背筋に電流が走ったかのようにその気配を感じたのだ。森の奥、暗闇の中に何かいる。同じく美来がそれに気づいた瞬間には棘が美来の前に立っていた。

「こんぶ……」

呟きながら口元を隠していたハイネックのジッパーに指を掛けた棘に美来は複雑な眼差しを向けた。

「私のことは気にしないでくだい。適当にどうにかしますから。」

言うと棘は少し目を丸くした後、何かを訴えるようにチラりと横目で美来を見た。「おかか。」そう一言だけ棘からの返事があった。これは己の責務だと言わんばかりに強まる語尾は反論の意を示していて美来は両肩を上げた。まだこんな歳の若者なのに呪術師というものは一身に担い抱える人間が多くて困り果てる。言っているうちに木の死角から影が見え、再び緊張が張り詰めて二人は沈黙して同じ方向に目を見張った。

──ゴロン。

それは地面に転がった。棘は目を見開き、美来は口を開けてから声が出るまでに数秒空いた。美来の目にもしっかりと映ったその異形な姿はこの世のものでは無い。このおっかないものが呪霊と呼ばれるものなのか。直ぐに眼鏡を外し確認したが、呪霊の形に沿ってぽっかりとそこだけが風景から白く切り抜かれたようで、存在こそ認識出来るもののやはり目視だけでははっきりとした姿まで見える訳ではなかった。呪具の効力を実証することはできたが、初めて見る人外なものの姿に美来は瞬きすることすらも忘れた。
しかし何か様子がおかしい。転がったのは呪霊の首だけだ。それも今目の前で砂のように形を崩し消滅していく。それにエリア内に放たれるのは二級呪霊だと聞かされていていたが、これは呪いの濃さの程度が違う。考え詰めていると勢い良く開けられたジッパーの金属音が聞こえ、美来が視線を上げるとそこにもう一体の呪霊が姿を現した。

『あら、一人ですか。』

その呪霊が発したのは言葉ではない。音が聞こえたかと思えば、同時に頭の中にその言葉の意味が直接流れ込んできた。消滅した呪霊とは違い、植物のような様相の奇妙な気配を放つ呪霊だった。

「しゃけ、いくら、明太子。」

息を巻いて棘は言葉を連ねる。美来はそんな棘の服の袖を後ろから強く引いた。
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