紅舞ウ地

□超えられない背中
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嵐の前触れなど微塵も予感させない、そんな気持ち悪いほどの晴天の下。新世界、とある島の港に停泊中の白ひげ海賊団の船は総勢四隻になる。
本船であるモビーディック号から姉妹船へと食料を運び入れるべく、甲板から陸に掛けたタラップには、積荷を抱えたクルーたちが長蛇の列を列ねていた。午後から来るだろう嵐に備え、買出し班、積替え班に別れ、それぞれ忙しく作業しているところだ。
そんな男だらけの空間の中に、異端に映る少女の姿はあった。アリアもまた船に残り、積荷の運搬を手伝っていた。

「白ひげ、これもあっちに運ぶの?」

「あァ。今回は長引きそうだ。なるべく食料は均等に積み分けねェとなァ。」

「オーケー。」

額の汗を拭うと、男手に負けじと自身の背丈よりも高く木箱を積み上げるアリアを、白ひげは豪快に笑い上げた。

「グララッ。そんないっぺんに持ってくつもりかァ?」

「このくらい……急いで夕方までには積み終えないと、嵐がきちゃう。」

「あんまり無茶してまたぶっ倒れんじゃねェぞ。」

「また、昨日のこと……っ!そんなに心配しなくても、もうこの通りだから大丈夫だよ!」

アリアは得意げに笑い飛ばして白ひげに背を向けた。

ぎゅっと、一層力強く握り締めれば、ズキリ、と両手に走る鋭い痛み。それもそのはずだ。太陽が昇ってからの重労働はもう五時間にも及ぶ。ちょうど甲板に香ばしい食事の香りが漂ってきた。

アリアはぎゅっと歯を食いしばっると、列の最後尾に続くために足を踏み出した。「うりゃあァァ!!」と、どこからともなくその声が耳に飛び込んできて、何かが自分の足元をすくった。


──ガツッ!


「きゃぁッ!!」

視界の片隅に、風に靡く黒髪が見えた。白ひげを狙ったはずのその人の蹴りが運悪く近くにいた自分の足を巻き込んだのだ。そうだと分かったのは、それが今日数回は身に起きた出来事だからだ。ぐるんと弧を描くようにアリアの体は前方に大きく傾いた。

タ、タタタン。アリアの足音が床板に不安定なリズムを刻む。間違っても楽しくスキップしているわけではない。

「わっ!ちょ……ごめん!避けて……ッ!」

何ごとかと振り返り、唖然とするクルーたちの波をかき割って、最終的にアリアは宙を蹴った。
目の前に見えるのは、乗降用の足場であるタラップ。陸まで一直線に伸びたその傾斜は想像以上にキツい。不本意にそこから転げ落ちる自分の姿を想像した。

どうしても最後はこうなる運命のようだ……。

覚悟を決めたアリアだったが、タラップにダイブを決めかけたところで、どういうわけだかその体はピタリと止まった。嫌な冷や汗が額から流れ落ちた。

「グララッ。足元には気ィつけろアリア。特におれの周りは最近物騒だァ。」

豪快な物言いと自分の胴に回された大きな手。アリアの体はその片手の中にあっさりと収まっていた。まるで小動物にでもなった気分だ……。アリアを引き止めたのは、他でもない白ひげだった。

心臓が止まるかと……。

「あ……ありがとう、白ひ……」

「ぎゃあぁァ!!」

緊張を解く間もなく途端に悲鳴が轟き、アリアの意識は再びタラップへといく。一目散に陸へと掛け降りる者。海へ飛び込む者。それらを追いかけているのはアリアの手中にあったはずの木箱たちだった。

「……大変ッ!!」

アリアの顔はクルー同様青ざめる。ガシャンっと、中身である食料をばら撒きながら、木箱は勢いよくタラップを転がり落ちた。

「……ああっ……。」

あまりの惨状に言葉は出ない。アリアはただその光景を安全な場所から眺めているしかなかった。その醜態を見た白ひげは、静かに空いていたもう片方の腕を大きく振り上げた。

「アホンダラが……あれだけ邪魔をするんじゃねェと……」

そう口にする先は、直ぐ隣で白ひげに斧を構えていたエース。自分に向けていた顔とは一変し、白ひげはギロりとエースに視線をやった。
それはアリアの知る限り、滅多に見る事はない白ひげの顔だ。いや、そうさせる人物が今の白ひげ海賊団にはいない、というのが正しいかもしれない。エースは不審を込めた目で白ひげを見上げた。

「あ?なにブツブツ言ってやがる。おれはてめェの首を……」

「ま、待って白ひげ!私がボーッとしてて避けなかったから……」

慌ててエースの言葉を遮ったアリアの前を風が切った。……もう、手遅れだった。

「──何度言ったら分かる!この馬鹿息子がッ!」

次の瞬間には白ひげの拳が斧ごとエースを捉えた。積荷の山を突き抜け、その体は光の速さで船首の方まで飛んでいった。

「……エースッ!」

心配なんてそんな安易なものではない。生きているだろうか……。アリアはだらしなく口を開いたまま、そう案じるのが精一杯だった。
酒が無くなったと、何事もなかったように船内へと戻っていく白ひげ。たぶん大丈夫だと解釈していいのだろうが……。何故かいたたまれない、アリアはそんな気持ちに襲われた。
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