波紋の刻

□炎の剣士
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自分を守ってくれた人は名も知らなかった少年で、その人は自分の大切な人の親友であった──。大切な人は友の死に涙した。自分はそれを見て何も出来ないまま。ただ残った罪悪感とこれ以上の悲しみを与えないように生きる事しか出来なかった。


煉獄杏寿郎という新しい柱の名が朔夜の耳に入ったのはつい最近のことである。鬼殺隊でも下級隊士は柱と対面する事などほぼ無に等しいが、それでも同時に聞こえた噂はその杏寿郎の父である元炎柱の槇寿郎の素体についてであった。もちろん朔夜も槇寿郎の事は周知していた。槇寿郎はある日突然抜け殻のようになり任務でも上の空だという話を聞かされていたが、今となってはその事情の全てを知る者はいなかった。しかしながら息子である杏寿郎の柱就任が確定し、同じくして槇寿郎が鬼殺隊を退隊したこの時になりその話題が湧き返したのだろう。
柱ともなれば加齢や負傷により鬼殺隊の責務を終える者は少なくないが、そのどれにも当てはまらず、柱にまで上り詰めた程の人間が自らの意思で鬼殺隊を退隊したとなると、朔夜は自分の事のように妙に槇寿郎の事が気にかかった。自分から死にたい者などいないだろうが、それでも鬼殺隊の人間は人を守る為ならば平気で自らの命すらも惜しみはしない。その中で常に生きることに強く固執し、それを念頭に戦っている自分も鬼殺隊の中ではある種異端であると思う。
ここはそういった人間の集まりだと思っていた朔夜には、自分と同じ片鱗を感じた槇寿郎という人間がどういう人物なのか知りたくなったのだ。会見が叶うことなど皆無は承知の上で鎹鴉に杏寿郎の生家まで案内するように頼んだ。後となれば、顔のひとつ合わせた事のない隊士が柱の生家に押し掛けるなどこれほど馬鹿げた話はない。

こんな何の名も馳せない一隊士と対面してくれるだろうか。そんな緊張と好奇に満ちた気持ちで朔夜は煉獄家までの道のりを辿った。大きな屋敷の塀を回り正門の前に差し掛かった時だった。門の脇でほうきを構えた少年が朔夜に向かってにこりと爽やかな笑みを零してきた。朔夜もまた軽く会釈を返す。眼力が強く明るい派手な髪に特徴のある少年だ。同じくして羽を休め自分の肩に落ち着いた鴉にこの大きな屋敷が煉獄家である事を語った。となると目の前の少年も杏寿郎の親族である可能性が高い。こうも簡単に煉獄家の人間に出会わせたことに慌てふためいていると、少年もまた何かに気づいた様子で朔夜に話しかけてきた。

「その隊服、鬼殺隊の方ですよね?兄に御用ならば今は出かけております。私でよければ用件を伝えておきましょうか?」

丁寧な口調。控え目に眉を下げる物腰の柔らかさ。兄と言われ朔夜は更に考えた。杏寿郎には弟が一人いると聞いている。

「こ、これは失礼致しました。煉獄杏寿郎様の弟君である千寿郎様でしたか。私は鬼殺隊士、如月朔夜と申します。突然の来訪申し訳ございません。此度は元柱である槇寿郎にお会いしたく参った次第でございます。」

「父上に……!?」

朔夜が頭を下げると千寿郎はひどく視線を泳がせた。何か様子がおかしい。困惑の色が見え隠れするその目に違和感を覚え、朔夜は心配して千寿郎の顔を覗き込んだ。

「あの…… 私事により大した用ではないので、槇寿郎様の都合が悪いようならば大丈夫です。」

千寿郎ははっとした様子で目を大きく開けた。

「あ、いや、その、違うんです……。朔夜さんさえよければ……父に会っていかれませんか?」

一瞬陰を落とした千寿郎の瞳を朔夜は見逃さなかった。瞳はその人の気持ちを映す鏡だ。朔夜は他人の目を見ればある程度その人が何を考えているのかを理解する事が出来る。ただそれが分かってしまう以上必要以上の他人との関わりは神経が擦り減る。千寿郎の含みのある言動に何か問題を抱えているのではないかとこの時朔夜は直感的にそう思った。

「また出直して来ようかと思ったのですが……」

「そんな!せっかくここまで来てくださったのに!客人を帰らせてしまったとなると兄上に叱られます!」

ほうきを握り締める千寿郎のその瞳に先の陰はなかった。
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