波紋の刻

□色変わりの刀
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鬼殺隊へ入隊して数ヶ月。
朔夜にとって本当の苦悩は入隊してからであった。

朔夜はその刀の性質を憎んだ。日輪刀は刀を手にした者が剣士として一定以上の力量を満たした時一度だけその色を変化させるというが、朔夜の刀は何色にも変化しなかった。鉄の色から何ら変化のない刃が自分の非力さを曝け出しているようで惨めであった。

それはそうだ。朔夜は刀は愚か武器になりえる物ですら手にしたことがなかった。朔夜にとってはその"感触"から難題であった。鬼とはいえ何かの命を奪うというのは生半可な覚悟では成しえないという事をまず思い知った。
練習に少し竹を斬っただけで、"竹を斬った"という感触は手に伝わる。唯一、食事の準備に持った事のある包丁だってそうだ。それぞれ切った感触である程度それがどんな物か想像がつく。朔夜は鶏の肉を切った時のことを思い出す。これが竹ではなく生きた肉の塊だと思うと寒気が走った。それが自分に耐えうることなのかと思う。こんな事他の鬼殺隊士にしてみれば考えた事もないことだろう。出先で躓く、こんな調子では到底鍛錬にも身が入るはずもなかった。

同期の者は殆どが数年の修行を積んで最終選別に挑んだ者ばかり。周囲が次々に刀の色を変えていく中、朔夜の刀の色は一向に変わる気配がなかった。そのうち刀の色の変化を持たない者は朔夜一人だけとなった。耀哉はそんな朔夜に気を使ってか、見て学ぶことも戦いにおいては重要なことだと任務は必ず数名で派遣されるものばかりだった。そこでも役には立たず朔夜は怪我人の処置にあたる役回りばかりであった。
不安要素を抱えながらではあるがそれでも鍛錬を怠ることはなく、任務のない日は本部の敷地を借りて木刀の素振りから始まり毎日打ち込み稽古を行った。全くといっていいほど鬼殺隊に入隊するまで何も身体を動かしてこなかった朔夜は初めはそれも半日持たなかった。早く刀の色を変えたい一心ではあったが、体格、体力、周囲と自分の規格の違いに気づき、これでは剣術以前の話だと刀を置いて山を走りその途中で街へ降りる商人を見つけてはその荷物を担ぎ修行代わりに山を降りた。初めは山賊かと疑われたものだが、その地道な努力が報われてか入隊した頃と比べ幾分筋肉も力もついた。
むやみやたらに剣術の鍛錬を積むことばかりが正解ではなかった。剣術を身に付けるにもまず基礎の土台を作る順序がある。戦いの知識などそんなこと縁のほど遠い朔夜には、教えを説いてくれる師がいないことが何よりの欠点であった。

入隊して間もなく全集中の呼吸というものの存在を知った。酸素は生命を維持する為になくてはならない存在であり、呼吸の仕方ひとつで生身の人間であっても身体能力を飛躍的に向上させることが出来るというものだ。
理屈は理解出来る。ただそれをどう習得するのかわからない。水、火、雷……呼吸にも様々なものがあるが、刀の色も変わらない朔夜は自分がどの呼吸に適しているのかも想像がつかなかった。

そうするうちにまた次の任務が入った。背中に滅の文字を掲げ腰には日輪刀を提げて身格好だけは一人前に鬼殺隊であった。だけど朔夜は鞘から刀を抜きたくはなかった。と言ってもその機会というのも自体皆無に等しいが。刀は護身程度に構えるくらいだ。
癸の新人隊員で女というのもありある程度周囲が目を瞑ってくれた部分も多かったのだが、鬼殺隊でありながらそれをしないで済んでいたのもその人のお陰であった。今日もまたその人は一人で鬼の頸を斬ってのけた。
剣術のことなどよく分からない朔夜でも、その洗礼された太刀筋には見蕩れた。初めて見た時より遥かにまた腕を上げている。
刀を抜きたくないのも、その人にまだ己の刀が何の色にも染まっていないことを知られたくはなかったからだ。朔夜はただその姿を見ているだけであった。今日もまた義勇の手柄で任務は一難を得た。

「どうだ?鍛錬は上手くいっているか?」

打ち込み稽古中の朔夜にそう話しかけてきたのは同期の村田であった。村田はよく朔夜の姿を見かけては隣に来て任務の愚痴や任務先でのことを反応の薄い朔夜にひたすら喋りかけていた。初めの頃は軽く合図地を落とすだけであった朔夜もその気さくさに次第に打ち解け、何より対等に話してくれる数少ない隊士のひとりであった為に言葉を交わすようになった。元々が物静かな性格というわけでもない朔夜だが、他の者には必要以上に関わることを懸念していた。
だが村田は信用できた。心配に値する人間では無いということがその人柄から滲んでいた。唯一、刀の色が変わらないことを朔夜自身から伝えていたのも村田だけである。
打ち込みの手を止め額の汗を服の袖で拭ってしまおうとした朔夜に村田から手拭いが差し出された。几帳面で気が付く男だ。朔夜は有難く受け取ると木刀を置いた。

「ありがとう。でもやっぱり刀の色は変わらなくて……。それに、自分が何の呼吸を習得すべきなのかも分からない。」

影を落とす朔夜に焦っても仕方ないと村田は朔夜を励ます。朔夜は溜め息をついた。それには村田もうーんと頭を悩ませて、何かを思い立ったようにぱっと明るく表情を変えた。

「例えば俺は水の呼吸で刀も青色だが、必ずしも適性と同じ呼吸を強制することなんてない。試しに自分の好きな呼吸を選んでみるっていうのはどうだ?」

それは朔夜の為に最大限に気を使ってくれた言葉だろう。気を張らずに気楽にいこう。言葉には村田のそんな意図が伺えた。朔夜の硬かった表情はそのたった一言で解けた。

「習得したい呼吸はないのか?」

そう聞かれて朔夜は迷わず口にした。

「……水の呼吸。」

村田はえっと驚き二度聞き返した。決して朔夜は"村田と同じ"水の呼吸という意味で口にしたのではないが、村田は自分と同じ呼吸を共有できる人間が増えると思ってか幾分嬉しそうであった。朔夜の脳裏に浮かんだのはただひとつ義勇の姿であった。
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