波紋の刻
□遊郭潜入
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遣り手の女の顔は引きつっていた。焦りと怒りが酷く滲み出ている顔だ。その様子からこの客がこの店にとって余程太い客なのだろうと伺えた。朔夜が押し黙っていると背後からぐいっと首元を引っ張られた。客の男が片腕に朔夜を抱き寄せたのだ。
「何も無礼など無い。それよりもこの娘を指名したい。部屋をひとつに用意してくれないか?」
「しかし、その娘は──……」
「何でもいい。私の頼み聞けんわけはないだろう?」
そうすると男は懐から小さい堤を取り出して女の手に握らせた。遣り手の女は押し黙ると言い返す事もなくあっさりと個室へ案内した。ではごゆっくりと、そう言って部屋の襖は閉められた。部屋の奥には布団が一式敷かれている。未だ首に回されたままであった男の腕を朔夜はやんわりと下ろした。
「今晩楽しませてもらおうか。お前も一応なりと遊女の端くれだろう?」
後ろから男の声がする。再び首に回されかけたその腕を朔夜は静かに、それでいて"触れてくれるな"と振りほどいた。
「何を言っているのですか。」
朔夜はくるりと男に振り返る。その顔には愛想のひとつもなく黒く冷めた瞳が男を見た。
「客を楽しませる人間がそんな目で客を見るもんじゃない。私は客だ。金を払いお前を指名した。」
「いいえ違います。貴方はただ私の反応を面白がっているだけです。目を見れば分かる。」
「……ははっ。君は超能力者か何かか?」
男は腹を抱えて笑い出す。何が面白いのかと、女を金で買うような男の考えなど到底分からないと眉間に皺を寄せる朔夜に男は続けた。
「出合い頭とはいえ、何かを射殺しそうな顔をして歩いていた女は初めてだ。ここでは皆客の機嫌を伺う。だがお前はそれをしない。一体何が目的だ?」
「……。」
少し間を置いて、朔夜は先程までとはうって変わりにっこりと無理ある笑みを作ってみせた。客といえどここで何かを勘づかれる訳にはいかなかったのだ。それならば全力で遊女を演じるしかない。そう考えを改めたのだがそれを見て更に男は笑いを増した。
「もう遅い。ありのままで居てくれて構わない。お前みたいな女は初めてだ。ここでの遊びにも少々退屈していたところだ。少し話そう。」
男は布団の上に胡座をかいて座った。ここに座れということなのか、その横をポンポンと叩いている。こちらとしては何も面白くはない。先程も身も知らない男に腕を回されて身がよだっていたところだ。これが任務の場でなければと思うと男の身の保証はない。男としても、ひとつ力を加えればまさかこんな華奢な女が刀や武器がなくとも野生の熊をも相手に出来る呼吸の手練とは思ってもいないだろう。最悪、何かあれば着物の袖に仕込んだ麻酔針で一突きすれば問題はないだろうと、朔夜は男の傍らに腰を落とした。ただ布団ではなく畳の上に。ただの雑談の誘いとはいえ自分がひとつも気を許してはいない男と同じ布の上に上がるということだけは何をしても許せなかった。
「もしかしてお前、想い人でもいるのか?」
あまりに頑なな朔夜に男は何かを察したのかそう口にした。他所を向いていた朔夜は静かに男に視線を向けた。
「そんな者はおりません。貴方は退屈を凌ぐ為に金銭を支払い私を呼んだのでしょう?ならばこの一時、貴方様の望む時間を過ごしましょう。」
朔夜は静かに言い放った──……