波紋の刻

□思い違い
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しばらくしてカタンと襖の開く音がする。朔夜は咄嗟に羽織を目元まで引き上げた。逆上せは随分とましになっていたが、先から緊張にも似た妙な気持ちがずっと胸にあって気がつけばそうしていた。義勇は物音を立てず静かに部屋に入ってくる。
どう話を切り出そうかと考えていると石鹸の柔らかな香りがした。朔夜は思わずあっと声を上げた。床に置いてあった空の湯呑みに手を伸ばし腰を下げた義勇と目が合ったのだ。義勇は浴衣姿で普段後ろでひとつに結っている猫っ毛の長髪は下ろされていた。まだほのかに熱が残り義勇の顔は火照っていた。

「……起きていたのか。」

「久しぶりにゆっくり話がしたいなと思って……。義勇がお風呂から上がるのを待ってた。」

改まると照れ臭い。眠っていると思っていたのだろう。義勇は驚いていたが朔夜がそう言うと湯呑みを持ち部屋を出ていった。そして今度はその手に二つの湯呑みを持って来た。
自分の分と朔夜の分。中身は温かい茶が淹れられていた。朔夜は横たえていた身体を起こし湯呑みを受け取ると礼を言った。

「辛いなら休んでおけばいい。」

「ありがとう。もう大丈夫だから。」

気遣ってくれる義勇の言葉が嬉しかった。炉を囲み腰を下ろす義勇。朔夜は微笑むと借りていた羽織をそっと義勇の肩に掛けた。チラリと義勇はこちらを見たが、義勇が風邪を引くといけないからと言うと、そうかと義勇は静かに湯呑みに口をつけた。朔夜も自分の羽織を羽織り直し義勇の隣に座った。朔夜もまた茶を飲み一息つく。
帰って来ることが分かっていれば茶菓子でも用意しておけばよかったなと朔夜は思う。我ながら気が回らない。今から買いに出るわけにもいかず、こういうところは幾分義勇の方が気が付く。その不器用さから少し分かりにくいところもあるが。炉の弾ける火の粉を見ながら朔夜はそんなことを考えた。

刀を持つことも、鬼と戦うこともなく。朔夜はこの何でもない時間が好きだった。不安もなく、平凡なことを考え、誰かと一緒に居られるこの時が。
ふと湯呑みの中で茶柱が立っているのを朔夜は見つけた。それは縁起がいいと聞く。義勇に見せようとしたがその前に湯呑みが揺れて茶柱は沈んでしまった。ああと、湯呑みを握り締めひとり残念な声を上げる朔夜を義勇は不思議そうに横目で見ていた。そして義勇は朔夜のその手元を見てはたと何かを思い立ったかのように徐に口を開いた。

「……庭に打ち込み台があったが、あれはお前が?」

「え?ああ……こんな時しか鍛錬する暇もないから少し打ち込みを。」

「まだ刀は仕上がらないのか?」

「まだ数日はかかるみたい。」

「そうか……。」

朔夜は義勇の横顔を見つめた。一見何の変哲もない会話の、でも確かな覚えのある違和感だった。気のせいではない。それは先日、本部で義勇も交えて耀哉と密議をした時のことだ。聞く事が出来ないまま時間だけが過ぎていたが、あの時感じた違和感を朔夜はまた今も感じている。朔夜は意を決して聞いてみた。

「義勇は、私の昇進を良く思っていない?」

義勇の反応を伺うようように朔夜の語尾が窄む。その言葉に義勇は朔夜に顔を向けた。緊張を走らせる朔夜だったが義勇はどう読み取っていいのか分からない表情をしていた。聞いたものの朔夜は返事を聞くのが怖かった。しかし目が合うと視線をずらしたのは義勇の方だった。

「……良く思っていないとか、そんなんじゃない。」

ぽつりと呟いた義勇に朔夜は眉を上げた。
義勇には何度か鬼殺隊を辞めろと言われた。実力がない者が危なっかしく鬼殺隊にいれば誰だって辞めろと言いたくもなるだろう。無駄に死にに行くようなものだ。きっと義勇はそう言いたいが、その複雑な心境をどう言葉に乗せていいのか分からなかったのだなと朔夜は勝手に解釈した。

「義勇に鬼殺隊を辞めろとそう言わせないように、黙って見ていられるくらいの実力をつけるから安心して。」

「……何を言ってるんだ?」

「少しでも柱に近付けるようにこれまで以上に鍛錬を積んで努力するってこと。だからもう鬼殺隊を辞めろなんて言わないで。」

「……それは……」

義勇は眉間に皺を寄せていた。確かに柱というのは言い過ぎたかもしれないが、それほどの意思はあるという事だ。
何か言いかけて義勇は言葉を発することを辞めた。良くあることでもあったので朔夜は特別気にすることもなかった。だいたい義勇が言葉を悩ませたその時は朔夜が気持ちを読み取っていたからだ。今までそうだった。ようやく胸の引っかかりを聞けたことに満足し、だからこの時も思い込んだ義勇の心を朔夜は知らなかった。
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