波紋の刻

□お館様
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結局大きな話題という程のものかはわからないが、朔夜の家族の話に触れただけで耀哉とは別れ朔夜は広い本部の通路を来た道の通りに歩いた。義勇はもう自分の屋敷に帰りついているだろうかと考えながら、自然とその足は早まった。義勇には少々聞きたいこともある。
ふと前方へ視線を向けた時、腕を組み門壁に持たれかかる人の姿を見つけた。朔夜は、ご苦労様でございますと頭を下げてその人の前を通り過ぎようとした。いつもならばそれで通るはずだった。

「オイ、待てェ。」

背中に声がした。周囲には誰もいない。それは紛れもなく自分にだろうと、朔夜は門に差し掛かったところで急ぐ足を止めた。

「……私に如何用でございましょうか、不死川様。」

本部周辺に居合わすと他の柱に出くわすことも珍しくはない。朔夜を呼び止めたのは風柱である不死川実弥だ。自分の顔を確認すると実弥はピクリと眉間を引き攣らせた。

「……ん、お前は確か、先刻の柱合会議で……」

実弥と任務を共にすることは滅多にないので、名といえば朔夜が一方的に実弥を柱として認識しているだけのものだった。しかしそれは先刻までの話。柱合会議と言われ、苦い覚えしかない朔夜はもうひとつ頭を下げた。

「……お久しゅうございます。先刻は大変なご無礼をいたしました。」

ではとその場を去ろうとしたのだが、またその背中に声が投げかけられた。

「待てと言ってんのが聞こえねェのかァ。」

朔夜は立ち止まり実弥に背中を向けたまま固まった。たぶん"柱合会議での一件"から自分は実弥に良い印象は持たれていないはずだ。それでなくとも虫の居所が悪いのか先程からピリピリと張り詰めた空気を感じていた。柱合会議での咎めを受けるのだろうと思い込み朔夜はごくりと唾を飲んだ。何か話さなければと朔夜は握った拳を湿らせる。

「……不死川様はまだ、竈炭治郎とその妹、鬼の禰豆子を良く思われてはおりませんか?」

いや、違う。それを言いたかったのではない。ドクンドクンと心臓の音が早くなる。つい思っていた事を口にしてしまったが、なんて馬鹿な事を言ったのだと朔夜は悔やんだ。これでは火に油を注ぐだけだ。明らかに空気が重苦しいものになったことを朔夜は肌で感じ取った。

「俺が言ってんのはそんな事じゃねェ。」

その低い声色にビクリと朔夜の肩が跳ねた。そのことでないのなら、もう実弥の機嫌の悪さに思い当たる節はやはり朔夜自身のことでしかないからだ。

「私が鬼を守るよう加担したことでございましょうか?返す言葉もございません。しかしながら、私にも引き下がることの出来ない理由がございました。どうかお許しください。」

我ながら馬鹿な事を口にしていると思いはしたが、それでなければあの時あのような行動も取っていなかったなと思いもした。自分の体裁ひとつで何かが守れるならば、それはそれで嫌われることもひとつ仕方ないと思った。かといって柱に嫌われることほどこの上ない悲壮感もないが。
実弥の顔も見ぬまま朔夜は深く実弥に頭を下げた。そこに怒りの感情が無かった事など知らずに。だから顔を上げて驚いた。何言ってるんだとでも言いたげな表情で同じように驚いている実弥がそこにはいたから。その時の朔夜といえばまるで稲妻が落ちたかのような驚愕を表情に表していた。それほど意外だった。朔夜は不死川実弥という人間をこれまでよく知らなかったから。
心底、内心を顔に出してしまったことは流石に失礼だったとまたもや後悔した時には遅かった。それには流石の実弥も呆れたのか「もういい、もう行けェ」と額に青筋を浮かべ唸った。実弥に威圧され、申し訳ございませんと朔夜は小さく声を絞る。これ以上失態を晒すまいと項垂れながら素直に従おうとした時だった。

「外に出るなら刀くらい常備していけ。武器庫に使われてねェ刀の一本や二本くらいあるだろォ。」

実弥に忠告され朔夜ははっとした。黄昏の時刻。空には薄らと月の形が浮かび上がっていた。もうやがて辺りは暗闇に包まれる。チッと舌打ちをひとつ落とすと、実弥は朔夜の横を過ぎそれ以上何も言うことなく門の外へと歩き出した。

「あ、ありがとうございます。今宵、任務でございますか?どうかくれぐれもお気をつけくださいませ。」

返事はなかったが、その背中が愚問だと語っていた。実弥は鬼殺隊の中でも誰よりも鬼に対する憎悪を持ち、その頸を狩ることにのみ執着している人間だ。そのせいか時には過剰なほど周囲は厳しく感受することがある。特に実弥には鬼を庇い立てした人間の私情を汲めることなどあるはずもない。それを分かっているが故に、朔夜は実弥に対し後ろめたい気持ちがあった。
朔夜は小さくなってゆく実弥の背中を見つめたまま唖然と立ち尽くした。ようやく意識が覚醒したのはもう完全に日が欠け落ち辺りが暗闇に包まれた頃だった。
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