波紋の刻

□お館様
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日輪刀は別名"色変わりの刀"と呼ばれ、持ち主によって刃の色が変わり色毎にそれぞれの特性が異なる。またそれは持ち主の適性を示すものでもあり、朔夜の刀は水の呼吸の適正を示す青色だ。義勇のものとは少しばかり違う色をしているが、それもまた同じ呼吸の適正を示していることに変わりはない。


朔夜は口をあんぐりと開けただただ目の前の現実に絶句していた。それを看護の者たちもどこか浮かない表情で見守った。

「か、刀が……」

「はい……蝶屋敷に持ち込まれた時には既に……」

朔夜は己の正面に柄を垂直に立ててみた。鞘から引き抜いた刀はそこにあるはずの鍔から先がなかった。刀身は少しの先端すら残さず、代わりに後ろで物言いにくそうにするなほの姿が目に入った。
ボロボロと砕けていく刃の様が脳裏に過る。すっかりといいほど忘れていたが、自分の刀は折れてしまったのだ。それも粉々に砕け跡形も残らない程に。
朔夜が普段より刀を大切に扱っている事は周囲に周知されるほどであった。その理由を知らずとも、気を使った隠の者がその欠片を集めようと奮闘してくれたらしいがそれも全ては叶わなかったらしい。巾着に入れられ渡された物はほんのひと握りのものだった。だけど朔夜にしてみれば汲み取ってくれたその思いに唯一気持ちが救われた。朔夜の落ち込みようにさすがに不憫に思ったのか周りの者はそれ以上何も言わなかった。
それから朔夜は隊服に着替え綺麗に縫い直された羽織りに身を通し義勇の屋敷まで歩いて行ったが、正直どの道を通ったかさえも覚えてはいないほど上の空だった。既に新しい刀の手配が済まされているそうだが朔夜には刀が新しく打ち直されるから大丈夫、とそういう単純な心境ではなかった。

「新しい刀が打たれるまでしばらくは待機か。」

特段鴉からの伝令もない。義勇の屋敷にて義勇を前に明らかに覇気もなく眉を下げる朔夜にさすがの義勇も戸惑った。怪我が痛むのかどうかしたのかという義勇の問いかけにも、朔夜は小さく首を横に振るだけで静かに黙っていた。
朔夜にすればこれまでにない心の境地であった。刀を手元に持たないことに不安を感じずにはいられなかった。いつも腰に下げているものが無くなり落ち着かないというのもあるがもっと具体的な意味合いでだ。
もし仮に今鬼が現れたとすれば、この状況で刀を持たない朔夜は無力であることに違いない。剣士にとって刀は命の重みと変わらない、朔夜はそう思っている。

朔夜は義勇の和柄の羽織を見つめた。どんなに鍛錬を積み己を鍛え上げようとも、日輪刀を持たない剣士に鬼に立ち向かえる術はない。人は脆く弱いものだ。刀と剣士は一心のものであり、それを誰よりも知らしめられた朔夜は鬼と対峙する時でも刀が折れてしまわぬかと一際注意を払っていたものだ。
もう二度と同じ思いを味わうことは嫌だった。どんな涼しい笑みを浮かべようとも、その心中はいつだって苦しいものでしかないことを誰一人として知る由もなかった。

「腹は空いているか?」

話しかけられたので義勇を見ると目が合ったが、朔夜はこの空虚な心に何も言えず黙り込んだ。義勇もまたはっきりと物言わない自分に不満そうではあったが、すっと静かに席を外し何やらその手に持ち帰ってきた。
深緑色の笹でできた包み。そこからほのかに香る甘い香りには覚えがある。義勇はおもむろにその包みを広げる。包みの中の葉に巻かれた淡い桜色の食べ物は朔夜の好物だ。朔夜の目が欲に駆られた事を見逃さなかった義勇はそれを持って縁側へと誘った。元々他人の好意を拒むという事をほとんどといっていいほどしない朔夜ではあるが、今もまた素直にそれに従った。
自分たちが肩を並べて座った場所にはちょうど暖かい日の光が差し込んだ。まだ少し肌寒さを感じる今の時期には、冷えた身体を芯から溶かすような暖かさが朔夜には気持ちよかった。
義勇から貰ったそれをひとつ口の中に含む。口の中で桜の香りが広がり、後からあんこの甘さが追いかけてくる。久しく口にした桜餅は驚くほど美味しかった。

「美味しい……!」

素直な感想が朔夜から漏れた。ようやく聞けた憂いのあるその声に、義勇は目を細めそれを眺めた。朔夜は満足そうに頬張っていたがふと視線は義勇へといく。包みの中に入っていた桜餅はふたつ。あとひとつ残っているわけだが、義勇は包みを膝に置いたままそれに手をつけてはいなかった。すると義勇はそれを察したのか残りの桜餅を朔夜に差し出してきた。

「これも食べるといい。」

言う義勇に朔夜は昔同じようにして義勇に貰った桜餅を一緒に食べた時の事を思い出す。何度か自分が裾分けたこともあるが、それでも義勇がこれを嫌いでないことは知っていた。朔夜はそれを受け取って半分に割り、またそれを義勇に手渡した。ありがとうと柔らかく微笑む朔夜に、その意図を理解した義勇も半分になった桜餅を受け取り一緒に頬張った。鬼狩りとしての使命を一時でも忘れさせるようなそんな暖かな時間だった。
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