波紋の刻
□言葉足らず
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「言いましたが、まだ治療は完了していませんよ。これから診察をします。」
「は、はい。よろしくお願いします。」
耳に聴診器をかけ歩いてくるしのぶに朔夜はベッドの上で正座した。自分の前に立つとしのぶはくるりと顔だけ振り返った。
「冨岡さん?ここに居るつもりですか?」
「…………。」
その場を動かなかった義勇にしのぶがニッコリと笑いかけた。それでも動かない義勇に、「冨岡さん」としのぶはもう一度強く言う。それにはようやく義勇も立ち上がり、無言のまま部屋から出て行った。その言葉の意味を理解したというよりは、しのぶのその深みのある笑みに対する彼なりの対処だったのだろう。
「全く困った人ですねぇ。服を……」
「あ、はい。」
朔夜は着物の帯を外しながら愛想笑いを零すことしか出来なかった。
「あれで心配してるつもりなんでしょうか。」
冨岡さんなりにと、呆れながらもそう付け加えた言葉にはしのぶの心情が滲む。朔夜も心の中で納得して頷いた。"義勇なりに"。大抵の事にはその言葉がしっくりくるかもしれない。これは少なからず義勇のことを知り得ているしのぶだから言えることだ。しのぶに後ろを向くように促され、ひんやりとした鉄の感覚が胸から背中へと移動した。すると、ふうっと朔夜の耳にしのぶの溜め息が聞こえた。
「朔夜も鬼殺隊になんて物好きな人ですねぇ。」
小さく胸が鳴った。後ろから控え目に笑うしのぶに朔夜は睫毛を落とした。
「私はただ……もう誰にも辛い思いをしてほしくはないだけです。私のような他人でも、誰かが居ることでせめて少しでも役に立てる時があればそれでいいんです。」
「親元へ帰れば今よりは安全な生活が約束されるでしょうに。」
「……私は今は望んで鬼殺隊にいます。胡蝶様もそれはお知りでしょう。」
「ふふっ、冨岡さんの為ですか。」
それを物好きと言うのですよと、今度はクスクスと声に出して笑うしのぶに言い返す言葉もなくまた朔夜の顔が熱くなった。だけどそれだけではない。自分が鬼殺隊に入隊した経緯を知っていてもしのぶは誹謗しない。隊士の中でも幾分自分をよく思わない者もいる中で、柱という度量と人望の寛大さに朔夜は胸を打たれた。たったひとりの人間に認められること。それがどんなことよりも嬉しくて、鬼殺隊の中に自分の居場所を与えてくれるようだった。今となってはここに居ることで守りたいものが増えたことは嘘ではない。この人たちの為になら命を張れると、今なら胸を張って言える。
「その余所余所しい喋りも砕くようにと言い続けているのに。本当に時が経っても変わらないですねぇ。」
「いやそれは、そういう訳には……」
「はい、はい。でも朔夜。他人に忠実なのもいいですが、少しは自分も大切にしなきゃ命をなくしてしまっては本末転倒ですよ。」
しのぶは曝け出していた朔夜の肩に着物を羽織らせると、その上からポンポンと肩を叩いた。着物に袖を通し向き直る。しのぶの淡い藤色の瞳が朔夜の姿を映していた。
この人の瞳は少し怖く感じる時がある。優しく穏やかではあるが、その顔の奥にひっそりと物言えぬ思いが渦を巻いているようで……。
しのぶもまた家族やその姉を鬼によって奪われた身だ。自分が考えたところでその心は計り知ることなんて出来ないのだろうが時々それが悲しくなる。だからこそ守ろうと、戦おうと思う。
「……はい、肝に銘じます。」
素直な返事を聞いてしのぶは満足したように笑みを零した。
「これで治療は終わりです。一晩もすれば頭痛も治まるでしょう。」
「気づいておられたのですね。ありがとうございます。」
「隊服と荷物は看護の者に預けてあります。」
それを聞いて朔夜はもう一度深く頭を下げた。部屋から出て行こうとしていたしのぶだが、ドアノブに手を掛けたところでそうそう、とその足を止めた。朔夜もまた何か言い忘れだろうかと吊られるようにしのぶに注目した。
「いつも朔夜が任務から帰ってくる度に冨岡さんが、"サクは未熟者だ"としきりに訴えてくるのですが、あれには何か意味があるのでしょうか?」
聞いて覚えもなければ呆気にとられるしかない朔夜。そんな疑問を生む言葉を残してしのぶは部屋を出ていった。