波紋の刻
□十二鬼月に近い鬼
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「何を笑っている?気味の悪い。」
鬼が顔をしかませる。鬼に指摘され朔夜は無意識に笑いが零れていた事に気づいた。なんとなく戻ってきた感にまだ勝機が途絶えていないことを悟る。
そうだ、こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。
「こっちの話よ。……善逸……」
この声が善逸の耳に届いていると信じて朔夜は続けた。
「私がこの玉を切る。必ず、約束する。だから善逸は全力で、鬼の頸を斬ることだけに集中して。二人なら……きっとやれる。」
朔夜はくるりと鬼に背を向けた。対峙するのは黒い玉。
「敵に背後を向けるとは……とんだ命知らず!望み通りお前から腸を引き裂いてやろう!」
鈴の音が一層増し頭が割れそうだ。聴覚の優れた善逸にはもっと辛いはずだろう。
「善逸、もう少しだけ堪えて。」
半端な力ではこの玉を斬ることはできない……。だけど、正面、十分な間合い。遮るものも何も無い。この体勢なら今持てる全力の力で技が出せる。
たとえ五感が遮られようとも、自分の呼吸だけに集中すれば──……。
朔夜は刀の構えを逆手に持ち替えた。
「水の呼吸、無ノ型……水蓮──。」
空気が変わった。鈴の音が乱れる中、その瞬間だけは自分たちを取り囲むその空間だけが音もなく風すら感じず、シンと静まった。地面に垂直に突き立てられた刃から、溢れ出した力が朔夜を中心として静かに水の波紋のように広がった。
ひとつの波紋は二つ三つ──やがて水辺に咲き乱れる蓮の華のように瞬く間に増殖し、辺り一面を埋め尽くす。
──バキン、バキン。
空気中の僅かな水分にかかった圧。それにより伝わった振動は衝撃となり次々と鈴を破裂させた。それは型の構えの段階であり本来は力を凝縮させた神速の一振りのみ。それ以外の動きは一切ない。水の呼吸を一点に集中させた鼓動の波に乗せただ刀を振り切る。垂直に突き立てられた刃から真っ直ぐな一筋の水の刃が玉を捉えた。その一刀は何よりも繊細で、重く鋭い。
水はカタチがなく掴めこそしないが、力のかけ方次第で時に岩をも砕く凶刃な刃ともなる──。
先は斬ることのできなかった黒の玉に大きな切れ込みが入った。同時に日輪刀の刃先がパラパラと砂のように砕け落ちるのが見えた。無理もなかった。それほどこの一撃には全ての力が込められていた。それに耐えた日輪刀。
剣技がまだまだの証拠でもあるが……流石、鋼鐵塚さんの刀はやはり凄い。
同時にザクりと朔夜は背中に僅かに鈍い痛みを感じた。やはり技の波紋だけでは鬼までを倒すことは叶わなかったらしい。
だけど……それは承知の上。
鬼の爪の感覚を捉え切らないうちに朔夜の横を閃光が走り抜けた。
善逸なら……。
──雷鳴を従えた抜刀音と共に、最後にひとつ鈴の壊れる音が朔夜の耳に届いた。
技の反動でそのまま地面に膝をついてしまったことまでは覚えているのだが、鬼の消滅を確認すらしていないままなぜだか自分の記憶はそんな曖昧なところで途切れていた。急に糸が切れたように疲れがどっと押し寄せてきたのは確か。無事鬼を討伐できれば帰りに手土産でも買って帰ろう、そう思っていたのに……
神様は意地悪だ。