波紋の刻

□炎の剣士
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バシっ!っと、道場に竹刀の交じ合う音が響き、それと同時に朔夜は床に尻もちをついた。杏寿郎は竹刀を朔夜に真っ直ぐに向け立つように促せる。柱に稽古をつけてもらえるなど一生に二度無いかもしれない貴重な経験であるが、朔夜はどうしても木刀というものが手に馴染まず額に汗を滲ませた。というより本来の目的からえらく逸れてしまったこの状況に朔夜はもちろん千寿郎ですらも困惑していた。朔夜が杏寿郎に押される度に千寿郎は落ち着かない様子でそれを稽古場の隅から見ていた。

「煉獄様……申し訳ありません。この軽さ……竹刀は幾分使い慣れていないのです……。」

「む、稽古で木刀を使用しないのか?君は水の呼吸だと言ったな。育ては誰だ?」

「私に育てはおりません。単身、一人で鍛錬を積んできました。」

杏寿郎は大きな目を更に大きく見開いた。

「なんと、これは驚いた。よくそれで最終選別を突破できたものだ。」

「……………。」

何気ない杏寿郎の一言に朔夜は言葉を返す事が出来なかった。本当によく生きて帰れたものだと思い出しても心の傷が痛む。次第に喉が渇いてきた。

「兄上、少し休憩にしませんか?」

千寿郎が朔夜の様子の変化に気づき提案したが、それを察していたのは千寿郎だけではなかった。

「真剣ならば己の力を存分に発揮できるか?」

杏寿郎が話を変え朔夜に問う。朔夜は複雑な気持ちのまま杏寿郎の目を見つめた。芯を持った燃え上がるような強い目だ。自分の弱い心ですらも全て飲み込みそうなその目に朔夜は瞳を閉じゆっくりと立ち上がった。

「いいえ、煉獄様。先は私の甘いほざきにございました。どのような環境にも順応出来ぬ者が如何に鬼に勝てましょうか?」

その言葉によく言ったと杏寿郎は口角を上げた。日輪刀であっても初めからそれに慣れていた訳ではない。その性質を知り、掴み、自分のものにしていったのだ。出来ないわけではない。やってみないと分からない。それは朔夜が十分承知していた。そして何より言葉ひとつに心を乱されてはいけない。甘い言葉で人間を騙す鬼など山ほどいる。一々揺らいでいては命がいくつあっても足りない。

「千寿郎様、お離れください。」

朔夜は再び木刀を構えた。その構えに違和感を覚えた杏寿郎も眉を顰めた。

「俺が知っている水の呼吸のどの型とも構えが違うようだが……?」

「仰る通りです。水の呼吸を自分なりに扱いやすいように組み変えたものです。」

「それは珍しい素質を持っているな!興味深い!」

杏寿郎も木刀を構える。杏寿郎の周りの空気が変わった。稽古とはいえ対峙するだけでこの圧。これが柱。先程まで如何に手を緩めていてくれたのかがよく分かる。朔夜は険しく表情を変え床を蹴った。数分後には……床に項垂れる朔夜の姿があった。

「うむ!手馴れていないとはいえなかなか見所がある!君、俺の継子にならないか?!」

この人の言う事に偽りの言葉はないだろう。今刀を交えていたばかりなのに、その疲れを微塵も感じさせぬ杏寿郎に朔夜は驚愕していた。まだ元気良く木刀を素振りする姿は同じ疲れを知る人間なのかと思う。

「私は煉獄様の攻撃を受け切ることで精一杯でした。おまけにもうしばらくは動くことができそうにありません……。」

それを聞くと煉獄は手を止め真剣な眼差しで朔夜を見た。

「決して手を抜いたわけではない。俺の技を受けきった事だけでも賞賛に値する。」

朔夜が待ったをかけるまでの間、杏寿郎の刃が朔夜に届くことは無かった。その代わり先に体力が尽きたのも朔夜であった。力の差を見せつけられた後であるが、朔夜は褒められたことが心から嬉しく恐縮した。その余韻に浸っていると、「ただし!」と杏寿郎が付け加えた。

「君は絶望的に体力が無さすぎる!それではせっかくの持ち味を活かせないままになってしまうぞ!」

荒々しくも局面での判断で適した型を作り出すことは凄いことだと杏寿郎は言う。しかしそれに固執するが故に必要以上の体力の消耗がある。これでもまだ体力面での苦労はなくなった方なのだが、柱を相手にしては長く持たなかった。結局は強い相手を前にしては力及ばずなのだ。それは本来刃を向けるはずの鬼にも言えること。朔夜は現実を突き付けられた。

「基礎的な体力作りはもちろんだが、もっと呼吸を練り上げるんだ。」

「呼吸ですか?」

「全集中の呼吸は様々なことに応用できる。それをするに留まらず、力むことなく自分が一番力を発揮できる感覚を見つけるんだ。それには何にも乱されない絶大な集中力を必要とするが……君ならできる!」

「は、はいっ!」

杏寿郎の勢いに押され朔夜も勢いで返事した。その後にはっとして朔夜は自らの口元を手で塞いだ。自分ですらも不思議であった。これほどすんなりと何かに前向きになれた事があっただろうか。いつも試行錯誤してようやく辿りつけていた事が、杏寿郎の言葉はただそれひとつで自信を持たせてくれた。自分の返事もただのでまかせではないことに驚いていた。この時、本当にそれが成せるとそう思ったのだ。
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