波紋の刻

□怒り
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新人隊士が諦めていない。無論朔夜も生きて帰るつもりだ。朔夜は堕姫に向かって飛んだ。

「ハッ。遅いんだよ!お前の動きなんか……」

堕姫は鼻で笑い飛ばすが朔夜は軽く足を切り返し型を変えた。堕姫は右から来るであろう斬撃に備えたのだろうが、朔夜が斬り込んだのは堕姫の左部。堕姫には先刻の自分との戦闘の感覚が染み付いたままだったのだろう。堕姫の中で朔夜は己の足元にも及ばない存在。そう認識されているはずだ。堕姫が油断していたこともあり、その刃はかろうじで本体を庇う事に間に合った堕姫の帯を掠めた。ほんの僅かではあるが帯は小さく斬れ上弦の鬼相手に一撃が届いた。帯が無ければその身体に刀傷を残せていた事だろう。その刃は鬼殺隊にとっても今この場にいる自分たちにとっても小さくも大きな希望を見せた。先刻では善逸を庇いながらであったこと。狭い空間では思うように刀も振るえなかった。朔夜が本来の実力を発揮できるのは空間に囚われない環境に身を放てる時だ。そして炭治郎の口から義勇の名を聞き、さらに今守るべき者が目の前にいる今朔夜の刀を握る思いは強かった。

自分の刃でも届くのだとこの脅威を前にそれは朔夜にも確かな自信となった。堕姫も面とやり合い、己の操る帯に傷をつけられたことがよほどの衝撃だったのか一瞬戸惑いをみせた。それを見逃さず朔夜は糠喜びせずに斬り込んでいく。傍からは普通に対峙しているように見えるかもしれないが、朔夜の踏み出す一歩一撃、それは他の鬼を何十体分も相手にする時と同様の力が込められていた。それには炭治郎も息を巻いた。
炭治郎は鬼と刀を交えた際に刃こぼれをしていたが朔夜は上弦の鬼を相手にしてもそれがない。ただ闇雲に刀を振るうだけでなくこの速さに適応し力の流れを把握し繊細に刀を振るっているのだ。

「アハハッ!!面白い!!お前、このアタシが恐ろしくはないのか?!」

朔夜はダンッと足を一歩踏み出し水平に刀を振り抜いた。堕姫は後ろに飛び朔夜から間合いをとった。皮肉な事にその表情はまだ余裕で溢れている。これが疲れを知らない鬼と人間の差。朔夜は深く息を吸い一呼吸で息を整えた。

「昔、鬼を前にして同じような気持ちに直面した事がある。恐怖、絶望……どれもが貴女と初めて対峙した時と酷似していた。だけど妙な事にその鬼は上弦でもなく、今の私なら簡単に頸を斬れる鬼。……思ったの。じゃあ何故あの時感じた気持ちは何だったのかと……」

身体全身が凍り付いたような。血が通っていないような感覚。心が宿る人形にでも成り果てた様に何も出来なかった。朔夜は日輪刀を堕姫に真っ直ぐと向けた。

「あれは強い鬼だから、まして上弦の鬼だからでもない。自分の弱さが鬼への恐怖心を増幅させていたのだと気がついた。」

ただ何よりも自分が弱かっただけなのだ。堕姫は首を斜めに傾げ見下ろすように朔夜を睨み付けた。

「はぁ?なら今のお前はアタシより強くこの頸を斬れるとでも?お前にそれ程の強さは備わっていない。」

「……いいえ。人は成長できる。少なくとも上弦の鬼に向かい合えるくらいに心は成長した。……それに、お前の頸を狙うのは私だけじゃない。」

同時に炭治郎が堕姫の背後から斬りかかる。荒削りな炭治郎の剣を補うように朔夜は技を出した。堕姫はまだ本気を出してはいない。それでもまだ炭治郎の刃は堕姫には届かない。複数の帯と斬り合う中で堕姫の帯が死角から炭治郎を狙った。それに気づいた朔夜は自分が相手にしていた帯を払い除け炭治郎と鬼の間に割って入った。その際に左肩に攻撃を受けてしまった。極度の緊張と興奮状態で神経の伝達が麻痺してしまっているのか痛みは感じなかった。それでも炭治郎の自分を案じたその表情がさほど軽い怪我でもないことは物語っていたが、朔夜は気にとめず帯を斬り除け炭治郎への攻撃を防いだ。仮に自分が止まっていれば堕姫の帯が炭治郎の身体を貫いていただろう。朔夜は炭治郎に支えられた。

「朔夜さん大丈夫ですか?!」

「平気。これくらいなら直ぐに止血できる。」

ふと気が緩んだ瞬間に痛覚が戻るというのは在り来りな話だが、朔夜は肩の痛みを堪えまた向き直った。その時複数の存在を感じた。どこからともなく勢いよく飛んで現れた無数の帯が堕姫の中に取り込まれていった。朔夜は飛んでくる帯に向かって闇雲に刀を振ったが帯は全て堕姫へと吸収されてしまった。

「これは……」

朔夜は嫌な予感がした。分裂した帯が本体に返ったのか。炭治郎と朔夜の二人の頭をそれが過ぎった。炭治郎はすかさず堕姫に斬りかかった。それは朔夜の見た炭治郎のどの踏み込みより早かった。が、その速さを尚も上回り堕姫は地表から建物の屋根へと身を避けていた。

堕姫の髪の色が黒から銀へと変化する。それに伴い空気の淀みが濃くなった。気づけば先とは比べ物にならない程の禍々しい気が周囲を支配していた。全てが堕姫に屈しているようだ。朔夜の日輪刀を持つ手が小刻みに震えた。本能が危険だと警告しているのだ。
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