波紋の刻
□上弦の鬼
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一息つく間もなく空気が動いた。警戒の糸を張ったまま朔夜は少女が部屋の入口に置いてくれた細長い形様の包みまで走った。無造作にそれを掴むとその動きのまま眠る善逸の前に包みごとそれを水平に振るった。
──ガギッ!!
重い手応えがある。鉄とも何ともとれないような鈍いもの同士が交わった音が響いた。
「アタシの攻撃を受けきるとは、お前手練だね。その包み一体中身は何だい?」
反動で朔夜の髪結いが解け、黒く長い髪の隙間から声の主が見えた。瞬間朔夜はぎょっとして額からは今までにないほどの汗が流れた。
「どういうこと……昼間の鬼じゃない……?!」
目の前にいるそれは着物の帯のような奇妙な姿の鬼。鬼というにもあまりに異形だ。
だとすれば蕨姫はどうしたというのか。間違いなくあれは鬼だった。鬼は数体いるというのか。朔夜は善逸を庇いながら口で包みの紐を解いた。包みが開くと朔夜は露になった柄に手をかけ静かにそれを抜いた。
「ククッ……今まで葬ってきた中で唯一我らに抗った人間ががそんな色変わりの刀を持っていた。日輪刀、お前は鬼殺隊の人間だね。」
「……だったらどうしたの?」
「馬鹿な娘だ。"アタシたち"は柱を七人葬った。その鬼を目の前にしている。それがどういうことか分かるだろう?」
ピクりと朔夜が反応する。何もかもが気を逆撫でさせる不快な言葉だった。ふつふつと湧き上がる感情に朔夜は無表情で鬼を見上げた。
「だからそれがどうしたというのか?」
朔夜が低く言う。闇夜に照らされ繊細でいて鋭く光る藍色の刃。普段表に見せない冷酷な感情の部分をその刃に映したかのような。そしてそれに相応しくない見目麗しい装いが相俟って、日輪刀を手に凛々と立つ朔夜の姿は鬼すらもまたうっとりと息をのんで見とれるほどだ。敵の前では先程までの不安の色を微塵も見せようとはしない目の前の女に鬼は薄ら笑いを浮かべた。といっても帯の表面に人面が浮き上がっているかのようで人本来の姿ほど表情が見て取れるといったものではない。
「そのまっすぐな目綺麗だねえ。しかしまだ喰らうにはもう少し熟してからというのが食べ頃というもの。」
何やら自分のことをうつつ抜かしてる鬼には目もくれず朔夜は冷静に状況を把握した。ただ先の一撃だけで攻撃を受け止めた部分の鞘が欠けていた。鬼を倒す為の刀を収める鞘だ。どんな過酷な状況下でも耐えうるように刀同様鞘もそんな柔な造りにはなってはいない。受けた一撃の重さからもただの鬼で無いということは明白だが、柱を葬ったとこの鬼の言っていることも満更嘘ではなさそうだ。朔夜の柄を握る手には力が入りクスりと小さく笑った。
「……今日の月は満月かしら?」
「はっ?急に何を言っているんだ?戯言か?」
「いいえ、ただ私が満月は嫌いなだけよ。」
「は?」
朔夜はずるずると引きずっていた長い着物の裾を持つと日輪刀で斬り捨てた。膝上程の長さになった着物からすらりとした脚が露になった。幾分身軽に動きやすくなり朔夜は間髪入れず畳を蹴った。
長くうねる胴体はどこが急所かは分からない。相手の動きが止まるまで斬って斬って斬り捨てる。相手に隙など与えない。朔夜の斬撃と鬼の攻撃で部屋中の壁や家具はずたずたになっていった。それでも善逸の周囲だけは傷一つない。帯鬼に攻撃を加えながらも朔夜は善逸を守りながら戦った。しかしながら幾度と刀を振るっても切断できたような手応えはない。うねっているせいか固体として捉えることが難しい。これを斬るには朔夜にはまだ速さと力が足りず環境も悪い。この狭い部屋の中、履き物も履かず且つ善逸を足元にしては思うように戦うことが出来なかった。朔夜は一旦帯鬼を刀で壁に突き刺した。切断しきれていないとはいえ鬼の弱点である日輪刀だ。そう易々と身動きをとることは叶わないだろう。
「ぐっ……お前、柱じゃないね……だけどなかなかの見所はある。」
「黙りなさい。お前は私が斬る。」
「……いいことを教えてあげる。いくらアタシを痛め付けても"本体"じゃないから全然意味がないよ。」
「本体ですって……?」
にやりと鬼が笑んだ。その瞬間だった。窓から障子ごと突き破り、何かが朔夜へと突っ込んできた。拍子で帯鬼を刺し止めていた日輪刀も外れ朔夜は部屋の隅まで吹き飛んだ。