波紋の刻

□変装
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直ぐにして天元が頼んでいた品を持って家の者がやってきた。女性の隊士様は別室へご案内致しますと、朔夜は家の者に促される。しかし朔夜はそれを躊躇った。

「宇髄様、私も変装するのですか?流石に"女"には見えると思うのですが……。」

着飾っている訳でも普段は鬼殺の使命に女らしさを感じる振舞いは多くは無いかもしれないが、それでも男だと見間違えられたことは無い。真剣に話す朔夜に天元は勘違いをするなと呆れていた。

「馬鹿野郎。遊郭へ行くってのにその身形で堂々と潜入するつもりか?」

言われて朔夜は頭から足の指先まで確認する。かっちりとした純黒の隊服。確かにこのままでは華やかな花街の街並みには不釣り合いである。と言っても、朔夜はそんな賑わいの場所に身を寄せたことは無く想像が出来なかった。
天元の指示ということもあり朔夜は渋々ではあるが家の者に着いていった。部屋まで案内してくれた男性は自分はここで失礼しますと立ち去った。代わりに部屋の中には朔夜より少し歳上だろう女性が待機していた。朔夜は丁寧に男性に頭を下げると部屋へ踏み入れた。

「お待ちしておりました、隊士様。」

女性はにこやかな笑みを浮かべ朔夜を部屋へと招き入れる。部屋に入ると奥には等身をまるまる写しだせるほどの大きい鏡があり、朔夜はその前に立つように指示された。
朔夜が鏡の正面に立つと、その鏡の視覚の中に真っ赤な花の模様が描かれた着物が映り込んだ。女性なら誰もが心惹かれそうな綺麗な着物だ。普段着るものといえば殆どが隊服ばかりで、見掛けに気を配る機会こそ無い朔夜の目にもそれはそれは輝かしく見えた。まさかとは思いはしたが、女性はその着物を手にまっすぐ朔夜の方へと歩いてきた。

「どうぞこの着物をお召になってください。着付けは私がお手伝い致します。」

朔夜は声を出すことも忘れ目を丸くした。それが鏡越しの女性の目にも映ったのだろう。女性は眉を下げて首を傾げた。

「お気に召されませんでしたか?」

女性が控え目に聞く。朔夜は言葉に詰まりながら困ったように笑いを零した。

「いえ、そうではありません。あまりに素敵な着物なもので……」

自分には勿体ない。しかもこれから任務へと赴く人間が潜入できる程度の身なりであればそれでいいと朔夜は言った。それを聞いて女性は小さく溜息をついた後柔らかく微笑んだ。

「きっとお似合いになりますよ。さあ、隊服をお脱ぎになってください。」

「えっ……あ……」

言うと女性は半ば強制的に隊服を脱がせ、手際良く朔夜に着物を羽織らせた。着せ替え人形にでもなっている気分だ。女性が着物の帯を締めていくが朔夜はその間鏡を見ることはしなかった。綺麗な着物だからか。少しでも女性としてのたしなみを得たからなのか。何故か無性に恨めしい気持ちに苛まれた。そこには普段には無いそんな何気ない日常に憧れている自分がいたのかもしれない。それを理解することが嫌だった。視界の端に映し出された赤色が一際その存在を主張していた。
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