リクエスト

□甥っ子テイクアウトで
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ミッターマイヤーは不満だった。

目の前で蒼白い顔をして眠っている親友を憎たらしいとまで思っていた。

自分達夫婦の間に子供がいない事は彼も知っている。

なのに何故その子を自分達夫婦に託してはくれなかったのか。


「何か要るものはないか?」

「案ずる必要はない、総て揃っている」

「物品だけでなく人手が必要な事もあるだろう。
遠慮なく云ってくれ」

「問題ない」


苦々しい思いで睨み付けているミッターマイヤーなど意にも介せず、男は赤子片手にせっせと眠るロイエンタールの世話を焼いている。

何故寄りにも寄ってこの男なのだ…

当初自宅に連れ帰り勝手にフェリックスと云う名前まで付けていたその赤子は、今は無表情な男の腕の中で父親とそう変わらぬ蒼白な顔を恐がりもせず、時折赤く点滅する義眼を珍しそうに面白そうに眺めている。

自分が抱き上げた時は火がついたように泣き叫んだのに、この男には大人しく抱かれている…そんな事実もミッターマイヤーの神経を刺激している要因の一つである事は云うまでもない。

一昨日一度目を覚ましたロイエンタールはミッターマイヤーを呼び寄せ、女の置いていった自分の子だと云う赤ん坊の世話を軍務尚書に託してくれと告げた。

ミッターマイヤーはすぐさま抗議したが、卿には子育ての経験がないと云ってすぐまた気を失ってしまった。

無理もない。

ロイエンタールは生きているのが不思議な位の重傷で、ミッターマイヤーが駆け付けた時には失血死ギリギリの状態だったのだ。

無論輸血はしているが、此度の謀叛騒ぎで輸血用血液が絶望的に不足している。

相手が同盟を名乗る叛徒であったならば治療を施すのも相手任せでよかったが、今回負傷したのは敵味方双方帝国軍人なので、単純計算通常規模の二倍の血液が必要となるのだ。

謀叛の疑いの晴れたロイエンタールはそれなりの待遇は約束されてはいるが、ない袖は振れないと云うのが現実だ。

峠は越えたので命の心配はもうないと軍医に云われた事がせめてもの救いか。

それにしても…とミッターマイヤーは思う。

育児経験がないと云う理由で白羽の矢が他者に向いたのは納得が出来る。

しかしならばこの男には育児経験があるとでも云うのか。

ミッターマイヤーの記憶上、この男は独身の筈だった――


オーベルシュタインにはよく似た従姉がいる。

否、従姉がオーベルシュタインに似ているのではなく、オーベルシュタインが従姉に似たのだ。

彼が事故で両親を亡くしたのは僅か齢二歳の年。

折悪しくその時期執事のラーベナルト夫妻の間には受験を控えた一人娘がいたので、気を遣った叔母夫婦が一年だけと云う約束でオーベルシュタインを引き取った。

三つ子の魂百までと云うのか…他に兄弟のいなかった幼きオーベルシュタインは、その従姉を【世間一般・普通の子供】と認識したのか彼女を手本とし、その一年ですっかり無表情の無愛想、現実主義の合理主義な子供に育ち上がってしまった。

軍の幼年学校に上がった時自分が他の子供達とは違うなと云う自覚はあったものの、従姉は無表情と云うだけで自分に大層優しかったので、手本とした彼女が間違った在り方をしているとも思わず自分を変える努力はしなかった。

だから従姉の少々マザコン気味な息子に懐かれてしまったとしても、彼が母親に似ているのだからそれは致し方ない。

しかしだからと云ってまさかこんな事になるとは思わなかった。

「あああああぁぁぁぁぁぁん!
あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!
うあっ、うああぁぁんん!」


真夜中でもお構いなしに赤子の泣き声は高々と屋敷の中を響き渡る。

長期休暇の申請が通ってよかった…オーベルシュタインはしみじみと思った。



姉と慕っていた従姉が結婚したのは彼が24になった年の春先の事。

任地の都合で軍の官舎に入ってからは些か従姉とは疎通になっていたので、結婚の翌年子供が産まれてからと云うもの、何かと理由をつけては休暇の度にちょくちょく従姉夫婦の邸宅を訪ねた。

甥も母と同じく無表情なこの男に大層懐いていたので、一週間ほど預かって欲しいと彼女に頼まれた時も深くは考えずに休みさえ取れたらと快諾した。

自分は思慮の浅い方ではないと思っていたのに…可愛い甥っ子を一週間独り占め出来ると少々浮かれていたのかも知れない。


「頼むからもういい加減泣き止んでくれ…」

「うあっ、あああああぁぁぁぁぁぁんっ、ああっ!!」

「腹も空いていない、熱もない、おむつも替えた…何が気に入らないんだ」


子供の面倒を見る為に私邸に戻っては来たものの、育児経験のある筈のラーベナルト夫妻も、男女の違いか老いのせいか思った程役には立ってくれなかった。

泣き喚く子供の周りをただおろおろと歩き回っている。

夫人に至っては甥を抱き上げた際に暴れられ若い頃にやった腱鞘炎を再発し、手首と肘に包帯を巻きもはや赤子を抱く事も叶わない。

片手で何とかミルクを拵えて来たが、空腹ではないのだから口を付けようともしない。

オーベルシュタインが赤ん坊の頃に使っていたベッドの寝心地が悪いのかと思って抱き上げてみると、それまで何をやっても泣き止まなかった甥の叫び声がぴたりと止んだ。

大人しくなったと思ってベッドに戻すとまた火がついたように泣き叫ぶ。

抱けば止まり置けば泣く。

まるでスイッチの様なものだ。

「もしや坊ちゃ…旦那様をお母上と思っているのでは…
従姉だけあってお顔も似てますし」

「私共では何度抱き上げても泣き止みませんでしたのに、旦那様が抱いた途端に泣き止みましたなぁ」

始終無表情なところは似ているかも知れないが、顔まで似ているとは思わない。

しかし官舎に移ってからは休みの度に従姉夫婦の元へ遊びに行っていた為、切る暇がなく伸びきった髪は確かに従姉と同じ位の長さにはなっていた。

軍では邪魔なので一つに結わっているが、今は解いて胸元まで垂れ下がっている。

おまけにその長い髪が母を思わせるのか、甥はご機嫌で弄り回していた。


「帰ったらラーベナルトに切って貰おうと思っていたのだが…切らない方がいいだろうか」

「切ったら泣きますね」

「泣きます」


オーベルシュタインは溜息をついた。

休みの直前に前線から伝令に遣わされた士官学校生に、座っている後ろ姿だけを見て女性と間違われた挙げ句髪を撫でられると云う事件があったので、本当ならすぐさま切ってしまいたかったのに…

あのやたらと男前な士官学校生といい甥といい、男は何故長い髪が好きなのだろう。

さっきまで泣きわめいていた甥は現金にも今は機嫌良くオーベルシュタインの髪を弄って遊んでいる。

それどころか長い髪をしっかり握り込んだままうとうとと居眠りまで始めてしまった。

こうなるとベッドに降ろす事も後ろに背負い直す事もままならない。


抱いたまま身動きもとれず腕がだるくなって来た主人の様を見かねた執事夫人が、折角大人しくなった赤ん坊を起こさぬよう慎重に抱っこ紐を装着してくれたが、夫の方はそんな主人の姿を見て口を押さえ必死で笑いを堪えている。

見れば目には涙まで滲んでいる。

今の自分はそんなに滑稽な姿をしているのか…

ただでさえ未だにうっかりすると坊ちゃまと呼ばれてしまう自分には、まだあまり主人としての尊厳を備えてきれていない。

執事の人柄から考えて馬鹿にされているとか舐められていると云う事は有り得ないが、どうもこの執事夫妻はこんな年になっても自分が可愛くてしょうがないらしい。

実子は女の子が一人きりだったので男の子が欲しかった気持ちは分からなくはないが、二歳の時点で既に当主となっていたにも関わらず成人までは頑なに坊ちゃまと呼ぶのをやめてはくれなかった。

だからこの夫妻にしてみれば子供が精一杯背伸びして子供を育てている様に見えるのだろう。

同期の中には既に結婚も育児も経験している者が、数える程とはいえ実際存在していると云うのに。

兎にも角にも従姉夫婦が戻ってくるまでは、この子の面倒はみなくてはいけない。

今頃彼女は頼りにならない夫に代わって、義妹の出産に立ち会っているのだろう。

切迫早産しかかっていると云っていたので、最悪の場合一週間では戻って来れないのかも知れない。

しかしいついかなる時も冷静で表情を崩さない従姉の事だ、医者よりも的確な判断で義妹を守り支え、母子共に無事と云う連絡をくれるであろう事をオーベルシュタインは疑っていなかった。

こんな姿はとても従姉には見せられないが、そんな彼女の弟分として恥じない様完璧な育児を心掛けよう。

何よりも自分の甥はこんなにも可愛いのだから。













しかし後日オーベルシュタインの育児風景を目撃した近所の人間に『甥を抱いていてもにこりともせず、とても可愛がっている様には見えなかった』と云われていた事を、従姉自身の口からそれこそにこりともせずに語られ少々複雑な気分になった。

否、従姉も執事夫妻も表情に表れないだけで自分が甥を心底可愛がっていた事を分かっている。

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