ワールドトリガー
□月見て一杯
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玉狛では何かある毎に屋上へ上がり、飲み物片手に一人黄昏たり、言葉少なに語らったりする伝統文化がある。
大抵は気分を落ち着かせる為に温かい飲み物を用意するのだが、ここ数年この文化にもやや変化があったようだ。
【月見て一杯】
「はーい、お疲れ様でーす」
「毎日こう暑くちゃやってらんないよね」
「ホント、日中に防衛任務入ると最悪」
「え、虎太郎くん、まさか生身で防衛任務やってるの?
トリオン体なら気温関係ないよね?」
「違うんです、暑さで脳みそ煮立った一般人が、警戒区域に入り込んで悪さするんですよ。
全く、トリオン兵なんかよりよっぽどタチが悪い」
一昔前ならボーダー隊員は10代が中心であったが、隊員が増えた事で自制の利かない新人も些か増えた。
そこで若手がやんちゃをしないよう見張るベテラン勢がそれなりの人数必要になり、学校を卒業してもそのままボーダーに就職出来る制度も敷かれたのである。
とは言っても暴れん坊を御しきれないようでは話にならないので、この制度の適用はA級隊員に限られている。
当然A級の隊員は成人した者達で大半を占められ、勿論ランク外A級チームを抱えるここ玉狛でもそれは例外ではない。
要は屋上で飲むのがあたたかいお飲み物からアルコールに変化した、と言う事である。
「かあー、五臓六腑に染み渡る!
仕事の後のビールは格別だねえ」
「オッサンか」
「迅さん、そんなに強い方じゃないんだから、ほどほどにして下さいよ」
「何ィ?
言ってくれたな、メガネくん!
ちゃんと飲んでるか?
ほらほらグラスが空!」
「あっ、ちょっ…もう…」
こうなっては迅もただの酔っ払いのオッサンである。
来年30になろうと言うのだからもう立派なオッサン予備軍である事は間違いないのだが、彼は少々酒癖が悪い。
兎に角飲ませたがりなのだ。
大体最初に潰されるのはユズルで、次いで千佳、虎太郎、遊真の順である。
授乳期で禁酒中の小南が飲み会メンバーだった頃は、真っ先に潰れるのはこの娘だったのだが。
「けどオサムが酒強かったのは意外だったなー。
おれオサムが潰れたとこ見たことない」
「てゆうかうちのメガネ勢は全員ザルだよね。
宇佐美さんも強いし、支部長に至ってはザル通り越してワクだし」
「なんだよ、それ。
俺には網すらないのか」
ヒュースはこの会には参加しない。
玉狛唯一の10代、陽太郎に気遣ってと言う建前だが、どうもこの世界のアルコールは近界民であるヒュースにとっては刺激が強すぎるようである。
だから実のところ遊真もアルコールにはあまり強くない。
平気なふりをしているだけで、今も相当頭がぐらぐらしている。
ついでに言うとこの飲み会にはまだ3回しか参加した事はないが、その3回とも記憶をなくしているのは内緒だ。
レプリカの記録をアンチョコにしているので、今のところアル中ハイマーなのは隠せているが…
「うぷ…も…ダメ…マーライオン…」
「わあ、ユズルくん大丈夫?
もう下行こう、ね?」
ひそひそ
「ユズルも毎度毎度この手でチカ子の介抱権ゲットしてるけど、あいつホントは絶対もっと飲めるっすよね」
「麟児さんって怒ると意外に怖いから、それ以上の事は出来ないみたいだけどね。
千佳もいい加減気づいてやればいいのに」
(((((お前がそれを言うのか…)))))
けれどももうひとりの当事者・遊真はそれどころではない。
ユズルのような姑息な手を使うまでもなく、もう本当にいっぱいいっぱいなのだ。
具合が悪くなったり吐いたりはしないのだが、目を開けていられないくらいの眠気に襲われる。
そしてよりによって玉狛のメンバーときたら、ユズル・虎太郎・千佳と小柄揃い。
182cmの遊真はとても介抱出来ない。
迅・支部長・栞は酒を飲む手を止めたくないのでそのまま寝かせておけと言うタイプだし、そうなるともう今日のところは修と出穂しか残っていない。
(イズホはともかく、オサムに抱えられたりしたら欲情しちゃうって…まずいまずいまずい、それはまずい。
あーもー、なんでこんなにずるずる背が伸びちゃったかな。
昔のちっちゃいままならイズホひとりでも運べたのに)
「空閑…大丈夫か?
そろそろ下に行ってもう寝た方がいいんじゃないか」
「いえいえ、お気遣いなく。
わたくしまだまだ全然大丈夫なんで」
「おまえ、つまんない嘘つくね」
「えっ?えっ?」
「空閑の口癖真似てみた。
ほら、行くぞ。
もう限界だろう、おまえ」
そう言って遊真の手を取ると、修は会を辞して階下へと向かった。
酒には強いがさして好きな訳でもないので、絡み癖のある迅から逃れる格好の口実と言う訳だ。
中学の時には遊真が近界民である事を誤魔化す為に、トリオン兵にやられそうになったところを救出した体で肩を貸した事はある。
あの時は修の肩にぶら下がるほど小さかった遊真は、今では覆い被さるようなサイズ感だ。
「流石に重いな…よくまあこんなに育ったものだよ」
「オサムだってデカくなったじゃん。
おれとそんなには変わらないだろ?」
「ぼくは180ないよ。
空閑と違って上背ばかり伸びてひょろひょろだし。
こんな事ならもっとレイジさんにしごかれておくんだったな」
戦闘員を辞めてからは身体を鍛える事もなく研究に勤しんでいたので、それは致し方ない事である。
食事も忘れて研究に没頭したせいで周りから強制給餌をされた結果、ひょろひょろと縦にばかり伸びてしまったのだが、180cmにはぎりぎり届かなかった。
とは言え178.5〜179.5あたりをふらふらしている状態なので、日本人にしては十分高身長と言えよう。
「(わっ、わっ、オサムの手が腰に…まーずーいー)
オサム、もうここまででいいよ。
後は自力で帰れるから」
「何言ってんだ、こんなふらふらで。
ぼくじゃ頼りないのは分かるけど、少なくとも今はおまえより足元はしっかりしてるよ」
「(そう言う事じゃなくてー、感じちゃうんだってば)
ならば全体重を預けさせて頂こう」
ずしっ!
「うわ、よせ!
潰れる!」
『『強』印をかけようか、オサム』
「飲み会にまでトリガーは持って行ってないよ…生身にも使えるならお願いするけど…おっも!」
兎にも角にも何とか自室まで遊真を運ぶととっととベッドの上に放り出して、自分は床にへたり込んでしまった。
いくら酒に強くても、体力のなさはここに極まれりと言った具合だ。
そのままばたりと床で大の字になると、徐ろに昔話を始めた。
「中学の時は10年後の自分なんて想像もしなかったな。
ただただ目の前の遠征メンバーに選ばれるって目標しか見えてなかったから、その先の未来があるなんて事は考えもしなかった」
『まさか自分が酒を飲んだり、酔っ払ったユーマを介抱したりする羽目になるとは思いもよらなかったか?』
「おれは簡単に想像がついてたよ。
オサムは何年経っても面倒見の鬼なんだろなって」
「そう言う空閑だって変わったのは体格だけじゃないか。
中身は全然変わってない」
「そうか?
自分じゃ分からん」
「身体は大きくなっても空閑は可愛いまんまだ」
「可愛い?」
「あれ、言ってる事がおかしいな。
男に可愛い呼ばわりされて嬉しい訳ないな。
全然褒め言葉になってない」
「(オサムに言われたらめちゃくちゃ嬉しいんだけど)
女に言われるよりよくない?
おれ男として見られてないのかってショックでかい」
「ああ…そうだな…確かに…
酔ったかな…」
「オサム…?」
「すやあ…」
「え、ここで寝る!?
今にも落ちそうだったのはおれの方なのに!」
『ユーマを運んだせいで酔いが回ったのだろう。
酔って重い荷物など運べば当然そうなる』
「今凄いいい雰囲気だったじゃん!
盛り上げといてそれはないだろ、オサム!
おい、起きろよ、オサム!
オサムってば!」
「迅さん、もう飲めません…」
「べ…ベタすぎるだろ、おい…」
せめて修に褒められた事は心に刻もうと誓った遊真だったが、アルコールが入った以上寝て起きたらカケラも覚えていなかったのは推して知るべしである。
《了》
でもユズルを寝かしつけて戻って来た千佳が廊下で全部聞いていました♡
2020/07/03 椰子間らくだ