ワールドトリガー
□この世界は腐女子の妄想で出来ている
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うららかな春の昼下がり、若い娘がふたり小洒落たカフェで恋の話を囁き合う。
などと言うロマンチックな光景は、ここ玉狛支部では見ることは出来ない。
いつから始まったものか、他の隊員に聞かれたくない話は基地近くのラーメン屋で、と言う伝統がある。
ニンニクのガツンと効いたラーメンをすすりながらの恋バナでは、色気も素っ気もあったものではないが、さりげなく端の席に案内する店主も心得たものである。
「あのね、しおちゃん」
「なぁに、千佳ちゃん。
そんなに改まって」
「ええと、あの…修くんは多分反対すると思うんだけど…
わたしもう一度ボーダーに戻りたいです」
雨取千佳が行方不明だった兄と友人を探し出し、目的を果たしたのだからと幼馴染みに説得されてボーダーを辞めてもう10年になる。
その幼馴染み本人も戦闘員からは退いて、トリオン技術の研究員となっていた。
彼女の幼馴染み・三雲修はなかなかに頑固な性格で、一度こうと言い出したら決して曲げない事は分かっている。
なので敢えて逆らう真似はしなかったが、本当なら自分の膨大なトリオン能力はボーダーの為に活かすべきだと常々思っていた。
そんな矢先、修が研究員の道を選ぶきっかけとなった昔の相棒が、驚くべき変貌を遂げて彼の世界から帰還したのである。
そしてもう一度ボーダーの戦闘員として復帰したいとも言っている。
さすれば当然修も研究員から戦闘員へシフトチェンジするのは明白だろう。
研究員としての知識もさることながら、彼の知恵と発想は実に戦略家向けであるから、彼の戦闘員復帰を望むボーダー隊員の声は意外に多い。
「ああ、それでアタシに頭の固い誰かさんを説得して欲しいって言うのね?」
「わたしの言う事は聞いてくれなくても、しおちゃんの言う事になら耳を貸すと思うんです」
「うーん、いいけど条件があるなあ。
その敬語癖、直してって言ったよね?
去年まで院にいたアタシより社会人デビューは千佳ちゃんの方が早いんだから、今は寧ろアタシより先輩でしょ。
まあ呼び方が栞さんからしおちゃんになっただけでも随分な進歩だけど」
千佳は修の命令でボーダーからはきっぱり足を洗った。
その後勧められるままに小南桐絵の母校であるお嬢様校に進学し、短大を卒業して今は地元企業のOLである。
当初他県への就職を強いられそうになったが、そこだけは死守したようだ。
ボーダーからは退いても玉狛のメンバーとの交流は続けていきたかったし、何より兄と友を失い傷ついた自分を修が支えてくれたように、相棒を失って傷ついた修を今度は自分が支えたかったのだ。
千佳が基地に出入りする事に修はあまりいい顔をしなかったので、こうして誰かしらとラーメン屋で落ち合い修の様子を聞いていたのである。
「そりゃあ、修くんと遊真くんがまたタッグを組もうって言うなら、やっぱり狙撃手は必要よね。
とは言えアタシとしては千佳ちゃんにはこのまま普通の生活を送って欲しいなあ。
無理して危険に飛び込んで欲しくないの」
「それは逆です…あ、逆だよ。
ボーダーだってそうじゃなくたって、このトリオンがある限り近界民には狙われるんだし。
だったら戦い方を知ってた方がいいと思うから…
もう子供じゃないんだもん、あの時みたいに人を撃つのが怖いとか、弱いわたしを許してくださいなんて言わないよ」
「んー、でも千佳ちゃんが三門市に残ったのは傷心した修くんを支える為って言ってたよねえ?
相棒が戻って来たならもう支えは必要ないんじゃないかなあ?」
「ぐっ……!」
「普段大人しい千佳ちゃんがそんなもっともらしい正論を振りかざしてまで食い下がるって事は、もしかして他に何か修くんの傍にいなきゃならない理由があるのかなあ?(にやにや)」
流石は元敏腕オペレーターである。
ゲームの盤面は隅々まで把握し、常に的確な判断を下すその能力はエンジニアとなった今でも健在なようだ。
見透かすような生ぬるい笑顔で千佳を見つめ返す。
「うう…しおちゃんには隠し事は出来ない…」
「さあ、千佳ちゃんはどうしたいのかなあ?
お姉さんに話してごらんなさーい」
「実は…これなんだけど…」
そう言って千佳は中学生時代の日記を差し出した。
遊真の復帰に伴い当時常々感じていた疑惑が更に膨らんでしまった為、わざわざ昔の日記を読み返す事で疑惑を確信へと変えたらしい。
「えーと、なになに…?
『某月某日
今日はスナイパーの合同訓練があった。
日浦先輩が訓練前にみんなでお茶しようって誘ってくれたから、出穂ちゃんと一緒に待ち合わせのカフェへ。
みんなって言うからユズルくんや当真先輩も来てるのかと思ったら、集まったのは女の子ばかりで、那須隊のオペレーターの志岐先輩も交えてのまさかのガールズトーク』
ちょっ、てゆうかあの頃の那須隊のオペって志岐ちゃん?ランク戦の時だってアタシ彼女の姿見た事ないよ?実在してるかどうかも怪しい空想上の生き物疑惑すらあったあの志岐ちゃん?主食が水と塩昆布のみと言うあの噂の?千佳ちゃん、そんな珍獣と交流持ってたの!?(ワンブレス)」
「う…うん…(しおちゃんの志岐先輩の認識って…)
日浦先輩は引きこもりの志岐先輩を引っ張り出して、外慣れさせる為なんだって言ってたよ。
わたしは志岐先輩の気持ちはちょっと分かるから…
ボーダーに入るまではわたしは近界民に狙われてるんだから、誰も巻き込んじゃいけないっていつも1人でいたから。
だ、だからこの日も女の子同士の恋…こ、コイバナなんて初めてで、すっごいドキドキしたの覚えてる」
「そ、そうかあ…そう言う接点だったかあ…
えーと、何処まで読んだっけ。
『そして志岐先輩の薄い本(確かに薄いけどなんで【薄い本】なんて名前なんだろう)をいっぱい見せて貰ったよ。』
って、ちょっと待ったあ!
『ここここんな世界があったなんて…!』
ししし知っちゃったのね!?
『恋って素敵なんだね。』
いや、それは否定しない!否定しないけど…!
『でもでもでも、志岐先輩の本の通りなら…
修くんって絶対遊真くんに恋してるよね!』
………………………………………!!
…………………………………!!!!
……………………………!!!!!!」
「し、しおちゃん、落ち着いて…」
「ぼっ…
『某月某日
修くんが遊真くんの個人戦を見に本部へ行くって言うからついて行ったの』」
(続き読むんだ…)
「『邪魔しちゃ悪いとも思ったけど、わたしが見てない間に修くんの遊真くんへのラブを見損ねる訳にはいかないんだもん。
修くん…自分は個人戦に参加しないのにわざわざ一緒に行っちゃうなんて、遊真くんの事好きすぎだよね。
遊真くんが鬼怒田さんに呼ばれた時だって『ぼくも行く』って。
『ぼくも行く』って。
『ぼくも行く』って。
どうしてランク戦にはチーム戦と個人戦しかないんだろう。
タッグ戦があればふたりの距離がもっと縮まるのに…!』
この文字サイズ変えての強調は千佳ちゃんの文章書く時の癖だね(ハァハァ)」
「そ、そうかな(突っ込むところはそこ?)」
「かかか
『観覧席に行ったら珍しく嵐山さんが時枝先輩と二人だけだったから隣に座らせて貰っちゃった』」
(あ、やっぱり続きは読むんだ)
「『いつもは木虎先輩が一緒にいるから怖くてちょっと近寄り難いけど、嵐山さんと時枝先輩は優しいからわたしがいない時の修くんと遊真くんの様子をこっそり聞いちゃった。
わあ…やっぱり近界民の大規模侵攻の時、ふたりの間にラブがあったんだ…!
そうだよね、修くんの一方通行じゃなく、遊真くんも修くんにぞっこんラブだよね!』
かっはー、キタコレ!
『城戸司令に別行動を命じられたのに、修くんと一緒にいたい(チカフィルター)って食い下がったんだって!
『黒トリガー使わなかったらオサムに付いて行っていいの?』
『付いて行っていいの?』
『付いて行って』
もう…何処までも付いて行っちゃえばいいよ…!』」
栞はここまで一気に(かなり早口で)読み上げると、肩を上下する程息を荒げた。
そして深く深く深呼吸する。
暫しの間…顔を上げて真っ直ぐに千佳を見つめた。
「…賭けてもいいけど、この千佳ちゃんの妄想を掻き立てるような話し方で語ったのはとっきーでしょ」
「そ、そうなの。
嵐山さんの説明は好意的だけど、事実に基づいて淡々とって感じだったのに、時枝先輩の方は話し方は淡々としてるのに、なんて言うか…い、いちいちツボを突いてくるって言うか」
時枝充は相手の聞きたい言葉を選択する能力に長けている…無自覚で。
実はそう言うサイドエフェクトなのではないかと、玉狛支部では密かに噂されていた。
事実この10年前にも【ヒュースが近界民だなんて根も葉もない噂だ】と相手の聞きたい言葉で吹聴するので、【東春秋名義】よりも効果があったとされている。
「まあ、これで分かったわ、千佳ちゃんの目的が。
要はあれね、修くんと遊真くんの一挙手一投足を寸分たりと見逃したくない訳ね」
「こ、こんな理由じゃボーダーへの復帰は認められないでしょうか…?」
「歓迎しよう、同志よ」
「どっ、同志!?」
「アタシも常々あの二人はどうかと思ってたのよねー!
しかもお互い無自覚であそこまでいちゃつけるってどうよ?」
「自分の気持ちに気付いてないだけで、完全にあのふたり相思相愛だよね!?」
その後ボーダー復帰を果たした千佳は、新たに栞の推しCP・陽太郎×ヒュースの洗礼を受けることになる。
《了》
黒江双葉が木虎藍を嫌うのは推しCPの左右が逆だからと言う理由を知っている者は少ない。
2020/06/22 椰子間らくだ